警部は、谷田ほど大柄ではないが、がっしりした肩幅だった。色は浅黒く、ギョロリとした目に特徴があった。
警部は、その目で谷田を見詰めた。
「なるほどねえ、福島産の鳥取みやげか。細かいところへ注意がいくのは浦上さんの特技だとばかり思っていたけど、先輩のあんたもなかなかやるねえ」
パックの二十世紀梨は、いわば、交換情報として、谷田が持ち出したものだった。
今朝、谷田がそれをちらつかせて、藤沢市に住む淡路の自宅へ電話を入れると、
『ほう、そりゃ詳しく話を伺いたいね』
警部は乗ってきた。
そして、そのとき、警部が電話で返してきたのが、
『浅野機器の手塚常務は、リストから名前が消えたよ』
ということだった。
谷田は一刻も早く、アリバイがどう裏付けられたのかを知りたかった。
「聞き込みには骨折ったけど、証言自体は、簡明なものだった」
淡路は、谷田の説明が一段落したところでコーヒーを飲み、口調を改めた。
「村松真理と『ホテル・サンライズ』のレストランへ立ち寄った男が、本当に手塚久之なのかどうか。いわば替え玉ではないかという意見は、当初から、上野西署の捜査本部でも出ていたんだ」
と、警部は言った。
警視庁からの要請を受けて、聞き込みに際しての、神奈川側の責任者となったのが、捜査一課課長補佐淡路警部である。
谷田と浦上が話し合ったように、三日前のあの夜、『ホテル・サンライズ』のレストランには、真理たちのほかにも、何組かの予約客がいた。
いずれも常連客だった。氏名と連絡先の電話は、その場で分かった。
「十月三日の午後七時前後、あのレストランで食事をした客のうち、身元が判明したのは十六人だった」
捜査一課では、外出時の手塚を隠し撮りし、その写真持参で、あの夜の予約客に当たった。
中には、両親に連れられてきた中学生と小学生の子供も二人いたが、刑事たちは全員個別に当たったという。
手塚の写真だけでは、先入観の下に、相手に妙な思い込みをされても困る。そこで、手塚と同じような長身の刑事三人の写真も用意し、四枚の写真を提示して、
『この四人の中に、あの夜、レストランで見かけた男性はいませんか』
という具合に質問を進めた。
「ホテルの従業員と同じことで、残念ながら、確証は得られなかった」
「手塚の写真を指差した人間は、一人もいなかったのですか」
「はっきりした記憶ではないが、という前提付きで、手塚の写真を取り上げた客は二人いた。しかしだよ、別の刑事の方の写真を指差したのが、五人もいたんだ」
「やはり、人間の記憶なんて、あいまいなものですかね」
「鉢植えにつまずいて転ぶとか、口論をするとか、よほど派手なことをすれば別だ。そうでなければ、なかなか覚えていてもらえない」
「そうですね、前から手塚を知っている人間でなければ、確かな証言は出てこないか。で、警部、どうやってウラを取ったのですか」
「その手塚の顔見知りが、現われたのさ」
「手塚の知り合いが、フランス料理を食っていたのですか」
「うちの捜査員は、私の口から言うのも妙だが、優秀なのがそろっている」
「おせじでなく、ぼくもそう思いますね」
「あの日、中華街の広東料理店で、午後六時半から、三十人ほどの懇親会が開かれていた。手塚がベンツをとめたという東門駐車場の、すぐ近くにある飯店でね、この懇親会のメンバーが、医院の調剤薬局関係者であることを、刑事が聞き込んできた」
と、警部は要点に触れた。
医院の調剤薬局関係者なら、『浅野機器』とも、かかわりが深い。手塚常務は、営業部の最高責任者だ。当然、三十人の中には顔見知りがいるだろう。
「しかも、時間帯が同じだし、懇親会場の飯店は、東門の駐車場とは、つい目と鼻の先だ。乗用車の来会者なら、この駐車場を利用するのが自然だと思うね」
というわけで、三十人の参会者のだれかが、手塚と擦れ違っていないか、ということになった。
同じ時間帯に、何人かが同じ駐車場に出入りしていて、だれも手塚に気付いていなかったとしたら、それはそれで、新しい問題提起となる。
「ところが、ここで、ばっちり証人が登場してきたってわけさ」
聞き込みは、三人目で、早くも反応が出た。薬剤師の一人は言った。
『はい。確かに手塚常務の姿を見かけましたよ。あいさつしようとしたのですが、女性連れだったでしょう。それで、気を利かして、遠慮しましたがね』
証人は、ほかにも四人いた。
『そうですね。六時二十分頃だったと思いますよ』
『ええ、手塚常務は、小柄で髪の長い女性と腕を組むようにして、山下公園の方へ歩いて行きました』
手塚と顔見知りの五人は、刑事の質問に対して、異口同音に、
『あれは手塚常務に間違いありません』
と、こたえた。
無論、口裏を合わせたり、うそをついている感じではなかった。五人もの人間の、別個の目撃証言である。これは、その通りに受けとめていい。
「警部、午後六時二十分に、横浜の中華街ですか」
「六時五分の、不忍池の逃亡者は、どう操作しようとも、手塚じゃない。六時二十分といえば、京浜東北線利用の犯人《ほし》は、いかに急ごうと、品川へも到着していない」
「手塚と、そして真理の名前が、まず、完全に消えますか」
谷田は取材帳を開いた。顔をふるようにして、手塚の名前の上に記した二重丸を、×印に訂正した。
それから谷田は、宮本の捜査内容について、尋ねた。