「梨は持っていません。鳥取みやげが、やっぱり墓穴を掘りましたね」
「上野駅だな。あんなもの、なまじ上野で買ったりしなければ、アシがつかなかったのに。偽装工作のやり過ぎってやつだ」
「しかし先輩、そうすると、アタッシェケースが問題となりますが」
浦上は残っていたコーヒーを飲み、考えながら言った。
池畔の目撃者三人は、だれも、逃げて行く犯人が、アタッシェケースを所持していたとは証言していない。小さいショルダーバッグなどと違って、アタッシェケースならば、必ず目につくだろう。
浦上はそれを、疑問として口にしたが、
「上野駅にはいくらだって、コインロッカーがある」
谷田は、その件に関しては、全く問題にしなかった。
凶行後の宮本は、全神経を逃亡に向けている。従って、�鳥取みやげ�は、犯行前に買い調えるのが自然だ。
もちろん、わざわざ梨のかごをぶらさげて人を殺すばかはいない。
「宮本は返り血を避けるための黒いコートを着、アタッシェケースは、梨と一緒に、コインロッカーに入れておいたのに決まっている」
と、谷田は言った。
「そりゃそうですね。殺人《ころし》も逃亡《とんずら》も、身軽でなければならない」
浦上はうなずいて、話を戻した。
「それにしても先輩、これで、先輩の発見入手した吉井果樹園の短冊が、有力な物証として、浮かび上がってきましたね」
「短冊と、黒いコートが物証としてものを言うためには、まず、宮本を上野へ連れてこなければならない」
すべては、山陰本線の終着駅、京都、ということになる。
「オレも京都へ行ってみるか」
「そうですね。いくら毎朝日報でも、今度の場合は、京都支局に取材を頼むネタじゃありません」
「京都駅を中心点に据《す》えて、何が見えてくるか。これは実際に行ってみるしかない」
谷田は両腕を組み、難しい顔をした。
そして、それが、この場の結論となった。
浦上は喫茶店を出ると、谷田と別れた。真っ直ぐ神田へ引き返し、『週刊広場』編集部へ入った。
木曜は校了日なので、編集室は午後から人の出入りが慌ただしい。
「仙台に始まり、京都に終わるか」
長身の編集長は、窓際の机で、パイプたばこをくゆらしながら浦上の報告を聞いたが、
「宮本の鳥取出張と、村松の横浜出張が微妙に重なったのは偶然かな」
と、独り言のようなつぶやきを、漏らした。京都取材は、もちろん、簡単にオーケーだった。
「浦上ちゃん、入稿までにちょうど一週間ある。次号のトップは、不倫人妻殺人事件のアリバイ崩しでいくぞ」
編集長は浦上の実績を全面信頼といった感じで、取材費の仮払い伝票に判を押し、
「毎朝の谷田さんによろしく」
と、新しいパイプをくわえたが、浦上は、改めて厚い霧を感じていた。京都を取り巻く、灰色の霧である。
その霧の中に、果たしてどのようなルートが隠されているのか。