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異域の死者7-5

时间: 2019-04-27    进入日语论坛
核心提示: 翌十月七日、金曜日。 浦上伸介も谷田実憲も、早起きをした。新横浜駅のホームで待ち合わせ、乗車したのは六時五十三分発の�
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 翌十月七日、金曜日。
 浦上伸介も谷田実憲も、早起きをした。新横浜駅のホームで待ち合わせ、乗車したのは六時五十三分発の�ひかり61号�だった。
 谷田の時間が、どうしても一日しかとれなかった。日帰りで取材を済ませるための、早出である。
 昨日と同じように快晴で、穏やかな日和だった。
 二人は自由席の座席を確保すると、食堂車へ行った。五車両後ろの8号車。
 早い時間なのに、自由席も食堂車もほぼ満席だった。コーヒーにトーストを頼み、浦上は用意してきた京都の地図を広げた。
「JR船岡駅は、昨日先輩が話していた船岡山とは、全然別方向ですね。船岡山は市内北区の紫野《むらさきの》の近くですが、船岡駅はもっと北方で、ほとんど兵庫県寄りです」
「この�ひかり�は、何時に京都へ着くのかね」
「九時二十一分です」
「このまま、船岡へ行くか。やはり、船岡駅からスタートするのが順序だろうな」
 谷田は地図を引き寄せた。
 浦上はショルダーバッグから、時刻表を出した。三十一分の待ち合わせで、福知山《ふくちやま》行きの普通列車があった。
「結構時間がかかりますね。船岡到着は十一時十七分です」
「繰り返しになるが、飛行機の場合は、大阪空港発十五時三十五分の�ANA30便�に間に合わなければ駄目なわけだな。新幹線はどうなる?」
「東京駅から不忍池まで、余裕を取って四十分と見れば、十七時二十分には到着していなければなりませんね」
 浦上は時刻表を指でたどり、
「こりゃ、全然話になりません」
 うんざりしたように顔を上げた。十七時二十分に東京駅へ着くためには、京都駅を十四時三十七分に出なければならないのである。
「先輩、十四時三十七分といえば、船岡を出発してからわずか五分です」
「五分か」
「宮本を乗せた普通列車は、やっと隣駅園部へ到着したところです」
 味気ない朝食になった。新発見でもあれば、コーヒーをビールに切り替えたであろうが、それどころではない。
 食堂車が込んできて、空席待ちの客が通路に並んできたせいもあって、浦上と谷田は早々にテーブルを立っていた。
 3号車の座席へ戻ると、列車は熱海駅を通過するところだった。車窓左下に、朝の温泉街が広がり、その向こうに見える相模湾が蒼かった。静かな海は、初島を浮かべている。
�ひかり61号�は、新横浜を出ると、名古屋までとまらない。名古屋の次の停車駅が京都となる。
 ほとんど、無言の車中となった。
 時刻表をいくら引っくり返しても、それは、単なる数字の羅列に過ぎない。ダイヤは何のヒントも、与えてはくれない。
 時刻表からの発見は、全く期待できないのである。
 空路が不可能で、新幹線も駄目。他に、いかなる手段があるのか。
 京都へ行けば、本当に何かが見えてくるのか。何かが隠されているのは間違いないであろうが、巧妙に仕組まれた罠を、果たして見破ることができるのか。
 名古屋では、降りる人よりも乗ってくる客の方が多かった。通路に立ったままの客も出てきた。大方が、ビジネスマンのようである。関西への出張に、格好な時間帯なのであろう。
 列車は予定通りに、京都駅ホームに滑り込んだ。
 古都の空もよく晴れている。最初に、新幹線のホームから目に入ったのは、京都タワーだ。
 浦上と谷田は、長い跨線橋を歩いた。新幹線下りホームは14番線、山陰線発車ホームは1番線なので、構内の端から端まで歩くことになる。
 二人は乗り換え時間を利用して、案内所へ寄った。
「そうですね、福知山経由なら伊丹《いたみ》下車で簡単ですが、船岡からでしたら、やはり京都駅八条口でタクシーに乗るのが、一番速いですね」
 と、係員は大阪空港へのルートについてこたえた。
 念を押すための質問であったが、現地で確かめても、新しいデータは出てこなかった。新幹線利用についても同様である。
 宮本の主張しているルートが、最短であり、もっとも速いという結論しか出てこない。
 1番線ホームに行くと、福知山行きはすでに入っており、何人かの客が乗り込んでいた。朱色の古い五両連結は、いずれも手動式のドアだった。
「福知山経由なら、大阪空港に近い伊丹駅があると言ったね。船岡から、京都へ出るのではなく、福知山を回る逆行は無理なのかね」
 谷田は、やがて列車が走り出したとき、古都の町並へ目を向けて、つぶやいた。しかし、そうつぶやいたものの、大して期待はかけていない横顔だった。
 浦上にしても同様である。だが、無為に列車に揺られていても仕様がないので、時刻表を開いた。
�逆行�が、思いもかけない解決を運んでくることもある。が、この場合は論外だった。船岡発十四時三十二分の上り列車は、次の園部で、タイミングよく二分の待ち時間でUターン、下り列車に乗り換えることができるけれども、福知山着が十五時五十七分なのである。
 さらに、福知山から伊丹までは、一部特急利用で計算しても、正味一時間四十一分もかかる。とてもではないが、大阪空港発十五時三十五分に搭乗することはできない。
「駄目ですね」
「そうだろうな」
 と、短いことばが交わされて、ふたたび沈黙が、浦上と谷田の間に距離を作った。
 二条、花園と過ぎると、車窓に竹林が見えるようになり、嵯峨野だった。
 嵯峨駅からは、十人ほどの船頭が乗り込んできた。
 日焼けした船頭たちは、いずれも地下足袋に半天姿であり、半天には「保津峡《ほづきよう》下り」と染め抜かれてあった。保津川を下ってきた船頭が、船はトラックで返し、自分たちは列車で亀岡まで戻って行くわけである。
 嵯峨を発車して、嵐山隧道《あらしやまずいどう》を通過すると、列車は鉄橋を渡った。
 車窓右手に、保津川峡谷の景観が広がってくる。川を挟んで、山頂と山頂を結ぶ大きい吊橋があった。
 雨が少ないせいか、十月の川は流れがゆるやかだった。水かさの少ない流れを、観光客を乗せた屋形船が下って行く。
「山は、まだ紅葉には早いか」
 谷田はそう言って浦上を見たが、返事を求める問いかけではなかった。
 亀岡を過ぎると、乗客はぐっと少なくなり、沿線の駅も、駅周辺も、ごく小規模なものに変わった。
「おい、これでも禁煙しなければいけないのかい」
 谷田は普通列車に乗って一時間が過ぎる頃、三、四人しか客のいないがら空きの車内と、山と畑しか見えない窓外に目を向けて言った。浦上も、そろそろ、たばこに火をつけたいところだったが、京都から園部までは禁煙区間となっている列車なのである。
 その園部を過ぎて、浦上と谷田はようやくたばこを取り出した。
 一本のたばこを吸い終わらないうちに、列車は短いトンネルに入った。
 トンネルを出ると、目的駅船岡だった。
 小さな駅で降りたのは、浦上と谷田の二人だけである。
 下りの殿田《とのだ》方面にも、前方に短いトンネルがあった。トンネルとトンネルに挟まれた盆地が水田になっており、いまは稲が刈り取られ、すっかり水を落とした枯れ田が小さいホームから見下ろせる。
 田圃を二分する単線鉄道は高い土手の上を走っているのである。
 土手のすぐ下、駅の片側に何戸か民家が並んでいたけれど、商店は一軒も見当たらない。酒屋らしい店は、枯れ田のはるか彼方に、ぽつんとあるだけだった。
 そして、その酒屋の横手に伸びる斜面には、土塀をめぐらした、昔の庄屋ふうの立派な構えの屋敷が、二、三、点在していたが、全く人影のない風景が、ひっそりとそこにあった。
 上りと下りが共用しているホームにも、浦上と谷田以外には、だれもいない。
「列車が着いたとき、駅員も、必ずホームに出るってわけじゃないのか」
「それにしても、寂しい山間《やまあい》ですね」
 白砂利の敷き詰められたホーム中央に小さい待合室があり、その先に、出口へ下りる階段が、ぽっかりと口を開けている。
「おい!」
 谷田が、怒鳴り付けるような声を発して、浦上を振り返ったのは、一足先に階段を下りたときである。
「おい、ここには駅がないぞ!」
「駅がない? どういうことですか先輩」
「ここへ来てみろ!」
 谷田は、自分でも整理が付かない口の利き方をした。
 しかし、次の一瞬、浦上も、谷田と同じような、虚《うつ》ろな表情に変わっていたのである。
 こんなことがあろうか。
 短い階段は途中で右折しており、右に下ると、そこはもう土手下の道路なのである。どこにも駅舎がない。谷田が「駅がないぞ!」と、吐き捨てたのは、そのことだった。
 出札口も改札口もない、無人駅だったのである。
 階段の途中、右折個所には、次のような掲示があった。
 
  当駅は綾部《あやべ》駅が管理しております ご用の方は下記へご連絡ください 電話〇七七三—四二—〇四〇一 綾部駅長
 
 掲示板の下には赤い小箱が置かれてあり、「使用済みの乗車券はこの中へお入れください」と記されてあった。
「きみは、いったいだれと、電話でしゃべったのかね」
 谷田はホームと階段だけの駅を出ると、土手の上の線路を見やって、もう一度、
「この船岡駅の、どこに電話があるんだ!」
 いらだちをぶちまけるようにして、怒鳴り声を上げていた。
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