風景全体に、ぽっかりと、知らない大きな穴が開いてしまったかのようだった。船岡の空もよく晴れているけれど、蒼く澄み切った秋の空が、逆に、空しさを運んでくるかのようであった。
今度の上りは、十一時四十九分だった。ざっと三十分待たなければならない。
浦上伸介と谷田実憲は、所在ないままにたばこを吹かした。
無人駅には、公衆電話一台設置されてはいない。鍬《くわ》を肩にした年老いた農夫が一人、枯れ田の向こうから歩いてきたのは、浦上と谷田が、二本目のたばこを灰にしたときだった。
「この駅かい? この駅ができたのは、戦後だね。ああ、最初からずっと無人駅だった」
と、農夫は、声をかけた浦上の質問にこたえた。
農夫は、都会からきた浦上と谷田を物珍しそうに見て、人気のない畦道《あぜみち》を歩いて行った。
その小さい後ろ姿が山間に消えると、浦上と谷田はホームに上がった。
狭い待合室の中に、発車時刻表と運賃が掲示されてあった。もちろん普通列車しか停車しない船岡駅だが、京都行きの上りは十九本あり、問題の「十四時三十二分」もはっきりと記入されている。
駅もあり、当該上り列車も間違いなく走っている。
しかし、駅員がいない。
浦上の電話に対して、
『私は、JR船岡駅の上田邦夫と申します』
とこたえた純朴な声は、幻聴だったのか。いや、幻聴とか錯覚であるはずはない。
あの上田という若い駅員がホームから戻ってくるのを待たされる間、電話の向こうに聞こえた騒音は、確かに、鉄道の駅のものだった。
列車の到着する音が響き、駅名を連呼する駅員の声が聞こえ、そして、ホームから発車して行く列車の音を、浦上はしかと耳にしているのである。
だが、現実に、船岡駅には駅員もいなければ、電話も敷設《ふせつ》されてはいない。
トリックはこれだ。これしかない。
「宮本のやつ、まさか、オレたちが、実際にこんなところまでくるとは思わなかったのだろう」
谷田が沈黙を破った。谷田は、口元を引き締めてつづけた。
「きみは昨日、電話で、宮本が主張するアリバイの裏付けを取った。しかし、あの電話は、きみがダイヤルしたわけじゃないぞ」
「分かってますよ!」
浦上も、思わず声を荒立てていた。確かに受話器は先方が出る前の、まだ呼び出し音さえ聞こえない時点で、浦上は宮本から手渡されている。
『お待たせしました。JR船岡駅です』
という相手の第一声を聞いたのも、浦上である。
だが、�船岡駅�のプッシュボタンを押したのは、浦上自身ではない。
「先輩、そうすると、成瀬の女房が、アリバイ工作の背後にいることになりますか。宮本は、船岡駅の電話番号を、成瀬の女房から聞き出したのですよ。われわれの目の前で見せたあのやりとりは、当然、芝居でしょう」
「成瀬の女房が共犯というのはどうかな」
「完全犯罪なら、共犯は一人でも少ない方がいいに決まっています。でも昨日、宮本はわれわれの目の前で、成瀬の女房に香典の礼を言い、はっきりと船岡駅の電話は何番かと尋ねたではありませんか」
「宮本が電話に向かって問いかけたのは、事実だ。しかし、きみもオレも、先方の声は聞いていないぞ」
「芝居は芝居でも、宮本の一人芝居だったというのですか」
「うん。あれがアリバイ偽装工作の出発点だ。そうは思わんかね」
「そういうことですかね」
「そこまではだれでも見抜ける、ちゃちな工作だ。問題は、その後だな」
と、谷田が両腕を組んだとき、無人の駅に、いきなりアナウンスが流れた。「上りホームに列車が入ります」というアナウンスであり、それを追いかけるようにして、殿田方向のトンネルから朱色の電車が、姿を見せた。
「へえ、こういうものですかね。駅員がいなくても、テープでアナウンスを流すことができる」
と、浦上が待合室を見回すと、
「案外そういうことかもしれないぞ」
谷田の表情が、また一段と厳しくなった。
上り列車が、ゆっくりとホームに入ってきた。