浦上と谷田は、車内で、車掌から京都までの乗車券を求めた。
きたときと同じように、がら空きの車内だった。一両に、せいぜい五人ぐらいしか客が乗っていない。
谷田は靴を脱ぎ、ボックスシートに足を投げ出して、
「これまたちゃちな工作だが、テープを流すという方法がある」
と、無人駅ホームでの発見をつづけた。
「テープって、昨日の電話は、一方的な通話じゃありませんよ。�船岡駅員�は、ちゃんとぼくの質問にこたえています」
「当たり前だ。いまのアナウンスがヒントをくれたのは、背景だよ」
「背景?」
「きみは確かに二人の駅員、正確には二人の男と電話でことばを交わしている。それはその通りだろう。いくらうまくテープを回したって、テープではこっちの質問にタイミングよくこたえられるものじゃない」
「先輩が言うのは、船岡ぁ、船岡ぁ、という駅名連呼とか、列車の音。すなわち、駅の騒音のことですか」
「ああ。調子よくテープをセットすれば、駅の雰囲気にリアリティーを与えることができる」
「そりゃ、ひとつの推理ではありますがね」
浦上は乗らなかった。谷田は直接電話を聞いていないから新しい発見を貴重なものとして口にするが、あれは決して、テープが再生した擬音なんかではなかった、と、浦上は否定する。『週刊広場』の別のルポライターが、カセットテープと電話を組み合わせたトリックに挑戦し、浦上はアシスタントとして、実験に協力したことがある。一年前のことだ。
そのときの体験から推しても、
「あれはテープの音ではありませんよ」
と、浦上は繰り返した。実際の音と再生した音の間には、微妙な違いがあることを、浦上は経験的に承知している。
「二人の駅員にしても、そうですよ。あれが演技だとしたら、相当なものです。素人じゃ、ああはできないと思いますね」
「きみが、それほどまでに言うのなら、このことは宿題として残しておこう」
「宿題ですって?」
「不満かね」
「第一、あれが宮本の仕組んだものだとしたら、宮本は電話工作だけで、複数の共犯を用意したことになりますよ。共犯は一人でも少なくなければならない、完全犯罪のルールに反しませんか」
「宮本が自らプッシュボタンを押した昨日の電話が、アリバイ工作であることは、間違いあるまい」
「ぼくだって、それはそう思います」
「それではきみは、どこのだれと話をさせられたのかね」
谷田は、船岡が無人駅と知ったときの、さっきのショックを、再度顔に出した。
「そう畳み込まないでくださいよ」
浦上は窓外に目をやって、考え込んだ。
上り列車は千代川《ちよかわ》、並河《なみかわ》と過ぎて、ごく少しではあるが、さっきよりは乗客が増えている。浦上は車窓を過る山影を見ながら、昨日の電話を思い返した。
上田邦夫と名乗った若い駅員にしてもそうだが、
『お待たせしました。JR船岡駅です』
と、最初に電話を取った太い声の駅員にしても、不審な個所は何もなかったのである。
(あれは間違いなく、本物の駅員だ)
これまでの取材経験が、浦上の内面でそう主張しており、浦上もそれを信じている。
浦上は視線を戻した。
「どう考えても、あれは、�JR船岡駅�の駅員だと思うのですがね」
「何を寝ぼけたことを言ってるんだ。駅舎もなければ電話機もない無人駅で、だれがどのようにして、横浜からの電話を受けたというのか」
「先輩、JR船岡駅は、もう一つあるのではないですか」
浦上は谷田を見た。発見を整理するよりも先に、思い付きが口を衝《つ》いた、という感じだった。
「おい、船岡という同名の駅がもう一つあって、宮本がプッシュボタンを押したのは、もう一つの方の駅だというのか」
「この場合は電話だけですから、文字は違っても構わない。�ふなおか�と、読み方さえ同じならいいわけです」
「なるほど。よく捻《ひね》り出したもんだ。しかしなあ、浦上、大事なことを見落としていないか」
谷田は両腕を組んだ。
谷田が指摘するのは、宮本が十四時三十二分発の上り普通列車に飛び乗って行ったという駅員の証言だった。
「仮にだよ、仮に�ふなおか�駅がもう一つ別に存在したとしてもだ、ここの船岡と同じように、上り普通列車がぴたり十四時三十二分に発車する、そのような偶然の一致があると思うか」
「そう言われてみれば、根拠があってのことではなし、自信はありません。でも、これこそ、宿題になるのではありませんか」
「もう一つの�ふなおか�駅ねえ」
と、谷田が組んだ腕を崩して、しばらく経ったとき、車掌が回ってきた。
浦上は思わず立ち上がって、車掌を呼びとめていた。
「はあ?」
質問された車掌は、一瞬きょとんとした顔になった。胸のネームプレートに「福知山車掌区」と記されている車掌だった。
「船岡という駅が、山陰本線以外にあるか、というのですか」
「普通列車という言い方をする線ですから、ここと同じように、特急も急行も走っていると思うのですが」
「さあ、聞いたことはありませんね」
車掌は、妙なことを尋ねる客だ、というような顔をしている。それでも、浦上があまりにも真剣だったせいか、
「路線バスも特急とか急行という区分があるのではないでしょうか」
と、首をひねりながら言った。
「バスなら心当たりがあるのですか」
「いえ、そうではありませんが、鳥取県の八頭《やず》郡に船岡という町があるので、ひょっとして関係があるかもしれないと思ったのですがね」
と、車掌はつづけ、
「いずれにしても、JR西日本で船岡といえば、ここの駅だけです。全国的なことを知りたければ、京都駅に着いてから、案内所か、出札窓口でお聞きになってください」
と、アドバイスしてくれた。
もちろん、そうするつもりだ。
しかし、京都へ着くまで待てなかった。車中、他に何をするあてがあるわけでもない。いまは、宮本が仕掛けた電話工作の解明こそ、先決なのである。
浦上は車掌が立ち去ったところで、時刻表の索引地図を開いた。
「こうなったら、全国の駅を、ひとつひとつチェックしてやります」
「京都まで三十分ぐらいか」
「三十分でどこまでやれるか、ともかく当たります」
「よし、オレもやろう」
谷田は時刻表を取り上げると、索引地図の何ページかを、慎重に破った。
実際に着手してみると、これは、文字通り、気が遠くなるような作業だった。全線では、二万キロを越えると言われるJRなのである。
浦上が南から、谷田は北から、一駅ずつ、見落としがないよう、駅名を指で追った。�ふなおか�は出てこない。
そうした浦上や谷田の焦燥など関係ないかのように、列車は一定のスピードで、走っている。
帰途の保津峡は、車窓左手に見えている。
快晴の昼下がりなのに、浦上も谷田も、窓外を流れる素晴らしい風景が、濃い霧に覆われているのを感じた。
船岡駅は、霧の向こうにあった。
保津川を渡り、嵯峨までくると、相当に客席が埋まってきた。
揺れる車内で、小さい文字を追っていると、目が痛くなってきた。
「百科事典のように、時刻表に全国駅名の索引を付けるって着想はないものですかね」
浦上が顔を上げたのは、九州のチェックを、ほぼ終えたときであった。谷田の方は北海道を完了したが、
「そうか、オレも焦《あせ》ったな。ばかみたいに全国の駅名を、隅から隅まで当たる必要はなかったんだ」
と、浦上を見た。
「いまの車掌のことばを信じれば、まず、JR西日本は除外していいわけだし、空港を持たない遠隔地は、捜しても意味がない」
「うん、十八時までに不忍池に立てる距離ですか」
「そういうこと」
谷田は索引地図に目を戻した。
しかし、そう気付いたからといって、追跡が容易になるわけではなかった。結果から先に言えば、車内での作業は徒労に終わった。
「本当に�ふなおか�って駅が、あるのかなあ」
「車掌さんがヒントを与えてくれたけど、バスターミナルってことはないと思いますよ。そりゃ、バスにも急行や普通の区別があるでしょうし、ターミナル名を連呼することもあるでしょう。でも、電話機を通して聞こえてきたのは、自動車のエンジンではありません。あれは間違いなく、レールを走る列車の音でした」
「無人駅の発見ではないけどね、もう一度何か、発想の大きい転換を迫られるのではないかと、オレにはそんな予感がするのだけどね」
谷田と浦上は、そうしたことを話し合いながら、京都駅1番線ホームに降りた。谷田の方は、もう一つの�ふなおか�駅を、半ばあきらめかけているようだった。
二人は長いホームを歩いて、烏丸《からすま》中央口を出た。
コンコースは、修学旅行などの団体客で、ごった返している。
浦上と谷田は、烏丸口の中央切符売り場へ入って行った。
浦上の後ろに従う谷田は、�お付き合い�という感じが見え見えだった。確かに、もう一つの�ふなおか�駅への期待を、捨てた顔である。
出札窓口はどこも込んでいた。乗車券を求めるわけではない浦上は、
「お忙しいところ、申し訳ありませんが」
と、恐縮した口調で尋ねた。
「線名も分からないのですか」
駅員は迷惑そうにこたえたが、不親切ではなかった。回転いすを回し、背後の棚からやけに部厚いファイルを取り出した。
駅員は手慣れたふうに、ファイルのページをあちこちめくり、それを元の棚へ返すと、もう一冊別の、やはり部厚いファイルを引き抜いた。
駅員の回転いすが元へ戻るまで、三分ほどであったか。
駅員は開いたファイルをカウンターに置いて、浦上にこたえた。
「ありましたよ」
「あった?」
大声を発したのは、背後の谷田だった。
谷田は一歩前に出てきた。
谷田と浦上の視線が、カウンターの上のファイルに吸い寄せられた。それは、文字も同じ「船岡」だった。もう一つの船岡は東北本線だった。駅の所在地として、宮城県柴田郡柴田町船岡中央一丁目、と、記されている。