ユンジャがふと、顔を上げた。背中の真ん中くらいまで伸ばした髪が、ふわり、と揺れて、いい香りがした。
「遅い、かなあ?」
聖は、葛葉の座っていた場所を見た。葛葉が出て行ってから、十分くらいたっている。たしかに少し遅いかもしれない。
「見てこようか」
ユンジャはそう言って立ち上がった。ほかの三人を見回す。
「だれか、一緒にきてくれる?」
一秒ほど間があって、里美が領いた。聖は少しだけほっとした。
ユンジャが嫌いなわけじゃない。友だち思いで、曲がったことの嫌いないい子だ。だけど、聖は少しだけ彼女が苦手だ。
口に出すほどじゃないし、好きか嫌いか、と聞かれれば、好きだと思う。でも、ふたりきりになると話が続かない。なんとなく、呼吸のリズムが合わない感じだ。
ユンジャと里美が待合室を出ようとしたとき、ちょうど葛葉が帰ってきた。
どこかぼんやりしたような顔で、なにも言わずに座っていた場所に戻ると、鞄を掻《か》き回した。
「遅いから、探しに行こうと思ってたんだよ」
ユンジャがそう言うと、驚いたように顔を上げる。二、三秒目を見開いて、それから笑って、ありがとう、と言った。
葛葉のリズムはいつも独特だ。なんとなく、ほかの人よりも時間の流れが緩《ゆる》やかな気がする。
「夕日がきれいだから、見ていたの。ごめんね」
ユンジャも、ふ、と笑った。いいけど、と言って、ベンチに腰を下ろす。
葛葉は鞄の中からスケッチブックと色鉛筆を出すと、黙って絵を描き始めた。
なんとなく、下の方に目をやった聖は、声をあげた。
「葛葉、血が出てるよ」
彼女の臑《すね》に沿うように、一筋赤い血が流れていた。
「あ、本当だ」
葛葉はスケッチブックを置いて、ワンピースの裾をちょっとだけ上げた。
「さっき、転んじゃったから、そのときかな」
彼女の膝《ひざ》小僧は、子供のように擦りむけていた。
「わたし、絆創膏《ばんそうこう》持っているよ」
桃子が、バスケットを開けながら言う。
「洗ってきたほうがいいんじゃない?」
ユンジャの提案に、葛葉は、ん、と答えたけど、その場を動こうとしなかった。
用意周到にも消毒薬のスプレーまで出した桃子は、葛葉の傷の手当をする。
「ワンピースに血がついちゃったね。裾だけでも洗う?」
葛葉は首を横に振った。
「いいよ。これ、あんまり気に入っていないし」
聖はぼんやりと考えた。葛葉の様子が少し変だ。
だが、葛葉が自分の世界に入ってしまうのはよくあることだ。ほんのちょっとのきっかけで、彼女は別世界にトリップする。
聖は、なんの気なしにベンチの傍《かたわ》らに置かれたスケッチブックに目をやった。赤い色鉛筆で塗りつぶされかけたページがあった。