本当なら、もうとっくに船がきてもいい頃だ。だのに、海はただ真っ青なだけで、船の影ひとつないのだ。
「船は毎日出てるって言ってたよね」
葛葉が独《ひと》り言のように言った。そう、たしかに宿の人もそう言ったし、船着き場の時刻表にも出ない日があるなんて書いていなかった。
だのに、どうして船はこないのだろう。
里美の緊張の糸は今にも切れそうだ。お腹は空きすぎて、なにがなんだかわからないし、この待合室はひどく暑い。昨日から着ているデニムのキャミソールは汗でべたべたして気持ちが悪いし、丸一日以上お風呂にも入っていない。
頭ががんがんして、吐き気までしそうだ。
聖はたしかにこう言った。
「ここ、なにかいるよ」
そのことばを思い出しただけで、この暑さの中でもさあっと鳥肌が立つ。聖はもしかして、なにものかに連れ去られてしまったのではないのだろうか。
少し前に読んだ怖い漫画でそういうのがあった。その土地は彼岸《ひがん》との境目で、どこからかぬうっと白い手が伸びてきて、少女たちをさらってしまうのだ。
自分で思い出しておいて、里美は泣きたい気持ちになった。
「こなきゃよかった……」
つぶやいて鼻を鳴らす。もしかしたら、里美たちは異次元に迷い込んでしまったのかもしれない。現実の島では、船もきて、釣り人たちが島にやってきているのに、時空を超えてしまった里美たちには見えないし、感じられないのかもしれない。
桃子が口を開いた。
「もしかして、今日だけなにかの問題があって船が出ないのかも」
「じゃあ、あと丸一日、ここで待つってこと?」
ユンジャがそう言うのを聞きながら、里美はスカートを握りしめた。あと一日も待てそうにない。空腹だってひどいし、なによりも精神的にもう限界だ。
せめて、聖が一緒にいれば、これほど恐ろしくはなかっただろうに。
「聖、どうしちゃったんだろう」
つぶやくと、我慢できないように、ユンジャが立ち上がった。
「わたし、もう一度探してくる!」
そう言って出て行こうとするのを葛葉は止める。
「ひとりじゃ危ないよ」
「じゃあ、だれか付いてきて。船を待つ組と、探すのと二人ずつ分かれよう」
一呼吸置いて、桃子が頷いた。
「じゃあ、わたしが一緒に行くわ」
桃子とユンジャは連れだって待合室を出て行った。
待合室には里美と葛葉のふたりだけが残された。
「ねえ、里美。里美はテスト勉強しているとき、なに考えているの?」
唐突に葛葉が聞いた。
「テスト勉強しているときって……別に」
「わたしね。テスト勉強しているとき、いつも、テストが終わったらやる、楽しいことを考えているの。そうしたら、今はつらくても頑張ろうっていう気になるでしょう」
里美はやっと、葛葉がなにを言おうとしているのか理解した。
「だから、帰ったらなにをしようか考えようよ。とても楽しいことをしようよ」
里美は少し考えてから言った。
「ベリーのパフェを食べに行きたい」
葛葉も言う。
「わたしはシュークリームを三つくらい食べてやる」
「ダイエットなんか忘れるよね」
「もちろん!」
「カラオケも行こうよ。カラオケマラソン。五時間くらい歌いまくるの」
「わたしは貯金を下ろそうかな。こないだ見つけたあのスリップドレスを買う。売れ切れていないといいな」
「ピアスを開けてみたい。校則では禁止されているけど、もうそんなことどうでもいいや」
ふと、ことばがとぎれる。いくら楽しいことを並べてみせても、その間から、なにかが忍び込んでくるみたいだ。
里美はラジカセに手を伸ばした。
「音楽かけようか」
葛葉ははっと顔を上げた。
「それより、ラジオ聞こうよ。もしかして、なにか重要なニュースがやっているかもしれないよ」
「台風が近づいているから、船が出ない、とか?」
「そう。それってありえそうじゃない?」
里美はラジカセのスイッチを、AMラジオに切り替えた。つまみを動かしながら、音のはっきり聞こえる場所を探る。
やがて、ラジオからとぎれとぎれの音が聞こえだした。