泣き叫ぶような悲鳴がして、三人はびくん、と足を止めた。
一瞬だけ時間が止まったように、だれも動かなかった。葛葉は身震いした。なにが起こっているのか、想像するのが恐ろしかった。
桃子がかすれた声で言った。
「里美……」
たしかに里美の声だった。ユンジャが弾《はじ》かれたように走り出した。あわてて、桃子も後を追う。葛葉は足がすくんで動けなかった。
先を走る桃子が振り返って、手招きする。それに力を得て、やっと走りはじめた。悲鳴の方に行くのも恐ろしかったけれど、ひとりだけ取り残されるのは、もっと恐ろしい。
葛葉は必死で走った。息が切れて、汗が目に入った。
船着き場に向かう階段を駆け上がる。桃子とユンジャの背中が見えた。
息を切らしながら、駆け寄ろうとする。ユンジャが叫んだ。
「葛葉! きちゃ駄目」
一瞬、足がすくんだけど、なにが起こったのか知りたい気持ちには勝てなかった。
里美が倒れていた。船着き場のコンクリートの上に俯《うつぶ》せに。
後頭部が割れた石榴《ざくろ》みたいになっていて、あきらかに事切れているのがわかった。
あたりは血だまりのようになっていた。
殺されたのだ。
そう思うと、足ががくがくと震えてくる。崩れそうな身体を、桃子に抱き留められた。恐ろしかった。
ユンジャは、里美の方に歩いていって、急に足を止めた。彼女もどうしていいのかわからないみたいだった。
桃子が震える声で言った。
「中に入ろう……。見ていたくないよ」
そう、たぶん里美だってこんな姿を見られたいなんて思っていないはずだ。
葛葉の足はまだうまく動かなかった。桃子に引きずられるようにして、待合室の中に入る。
三人は崩れ落ちるようにベンチに座りこんだ。
最初に鼻を啜《すす》り上げたのはユンジャだった。膝の上に額を押しつけるようにして泣いた。それにつられるように桃子も啜り泣いた。
里美は殺されてしまった。聖だって、生きているのかどうかわからない。
なによりもつらいのは、あんなに仲良かった里美に触れることもできないということだ。手をつないだり、抱きついたり、じゃれたりして、あんなにそばにあった彼女の身体に、もう自分から触れることすらできない。
恐ろしくて。
そう思うと、どうしようもないものがこみ上げてきて、葛葉は両手で顔を覆った。嗚咽《おえつ》が洩れた。
ごめん。里美、本当にごめん。
葛葉たちはしばらく泣き続けていた。いちばん最後まで啜り泣いていたのは、ユンジャだった。葛葉には少し意外だった。ユンジャが泣いているのを見たのははじめてだったから。
桃子がぽつん、と言った。
「あのテントの人が殺したのかな」
「テントの人?」
「林にテントがあったの。わたしたちのほかにもだれかがこの島にいる」
「どうして……」
「わからない」
ユンジャが髪を振り乱して、大きく首を振った。なにかを振り払おうとしているみたいだった。
「どうして里美を殺さなきゃいけないの?」
「わからない」
そうだ。なにもかもわからないことばかりだ。聖はどうしていなくなったのか、今、どこにいるのか。そうして、そのテントの人間は何者なのか。
そうして、最後の疑問。
葛葉はきつく唇を噛《か》んだ。意を決して口を開く。
「わたしたち、みんな殺されちゃうの?」
空気が止まった。桃子とユンジャは目を見開いて、葛葉の方を向いた。
だれも、そんなことは考えつかなかったみたいだった。
「殺される……殺されるのかな」
桃子はまるで、夢うつつのようにつぶやく。
「わからないわ。だって、どうして里美が殺されたのかも、わからないんだもの」
ユンジャは吐き捨てるように言った。
「そんなことさせるもんですか」
まだ赤く充血した目で、葛葉を見る。
「テントはそんなに大きくなかったから、せいぜいいたとしてもふたり。たぶん、ひとりだと思う。だとしたら、三人で一緒にいれば負けないはず。相手がいくら男の人でもね」
ユンジャはいつも強い。目の前にあるものにまっすぐ向かって行く。
葛葉は眩しく思いながら彼女を見つめた。
桃子も言った。
「もし、何人もいるんだったら、わたしたちが寝ているところを襲って、殺したっていいはずだもの。わざわざ里美がひとりになるのを待っているってことは、たぶん、ユンジャの言うように、ひとりかふたりしかいないってことでしょうね」
ユンジャは立ち上がった。窓から外の様子を窺う。
「それに、気がついている?」
「え?」
「わたしたち、あの船で帰っていたら、全員昨日のうちに、死んでいたわ」
海難事故のことをやっと思い出した。そうだ。時間に間に合って、船に乗り込んでいたら、葛葉たちは全員、海の藻屑《もくず》となっていたのだ。
ユンジャは窓にもたれて振り返った。
「だから、今が最悪というわけじゃないのよ。少なくとも、わたしたち三人は生きているもの」