激しく揺さぶられて、桃子は目を開いた。いつの間にか眠っていたようだ。
葛葉が真っ青な顔で、桃子を覗き込んでいた。
「あ……葛葉、熱は下がったの?」
「そんなことどうだっていいよ」
葛葉は泣き出しそうな顔でそう言った。
「ユンジャがいないの。トイレも見てみたけど、いないんだよ」
そう言われて飛び起きる。たしかに待合室に彼女の姿はなかった。
「聖のときと一緒。目が覚めたら、もういなかったの……」
桃子はベンチから降りた。夜のうちにユンジャが座っていたベンチには、なぜか彼女の持ち物が散乱していた。
キツネのキャラクターのついたポーチや、蛍光ピンクの手帳。ビーズストラップの携帯電話、水着の入った袋。
でも、それが入っていたはずの、帆布の大きなバッグがどこにもない。
ユンジャは空《から》のバッグだけを持って、どこに行ったのだろうか。
葛葉が探しに行く、と言い出したのを止めた。ユンジャは帰ってくるような気がした。変に桃子たちが動くと、帰ってきたユンジャが待合室でひとりになる。
葛葉はひどく怯えていた。
「もう嫌。こんなのはやだ……」
泣きじゃくりながらそう繰り返す。ユンジャは戻ってくるよ、そう言いたかったけど、どこかが疲れて痺れ切っていた。葛葉を慰めることすら、おっくうに思う自分が不思議だった。
葛葉はふと、身体を強《こわ》ばらせた。なにか決心したように口を開く。
「あのね、桃子……」
がたん、と入り口で大きな音がした。
葛葉と桃子は飛び上がらんばかりに驚き、それから立ち上がった。
ユンジャが、入り口にもたれていた。鞄を肩にかけ、片手にスコップを持っている。
「ユンジャ。どこに行っていたの。心配したんだよ!」
葛葉の声がひどく遠くから聞こえた。桃子は動揺していた。つんとするような血の匂いがしたから。
ユンジャは笑みを浮かべ、そうして、その場に崩れ落ちた。
「ユンジャ!」
彼女の小花模様のブラウスの背中は、鮮やかな赤に染まっていた。
桃子と葛葉はユンジャをベンチに座らせた。彼女の背中にまわした手は、べっとりと血に濡れた。タオルで押さえても、血はどんどん溢れてきた。
「ユンジャ、ユンジャ、いったいなにがあったの!」
葛葉が悲鳴のような声で尋ねる。ユンジャはかすれた声で答えた。
「鞄の中に、食べ物が入っているから。男のテントに行って盗んできたの……。気絶させて、縛ったつもりで……油断しちゃった……」
「どうしてそんなことを!」
「だってこのままだったら……、三人とも衰弱して、負けちゃうよ……」
葛葉は泣き叫んだ。
「そんなことして欲しくなかった!」
ユンジャは目を細めて葛葉を見た。
「うん、わかっている。ごめんね」
そうして大きく息を吐いた。
「あの男、スコップで殴ってしまったから、もしかして、殺しちゃったかもしれない……」
「そんなの気にしなくていいよ。あいつが聖も里美も殺したんだから!」
「聖が埋められているところも見つけた……、そばの枝にブレスレットをつけてきたから……、もし、あんたたちが助かって、迎えがきたら……、聖も迎えに行ってあげて……」
「うん、わかった」
桃子は、深く頷いた。ユンジャの血は止まらない。あっと言う間にタオルが真っ赤に染まる。
タオルを替えようとすると、ユンジャは今まででいちばんはっきりした口調で、もういいから、と言った。
「あんたたち、食べなさいよ……。人の好意を無にするもんじゃないわよ……」
ユンジャはぶっきらぼうにそう言った。息がどんどん上がってくる。
桃子は思った。彼女に今、どう言うのがいちばん正しいのだろう。
ユンジャの頬にかかる髪にそっと触れた。そして言った。
「ユンジャ、ありがとう」
彼女は笑った。どういたしまして、とも、気にしなくていいわよ、とも言わなかった。ただ、笑っただけだった。