葛葉は桃子の胸に顔を埋《うず》めて、泣きじゃくった。熱い感触が胸に広がる。
「わたしがあんなことさえしなければ、ちゃんとみんなに相談していれば、こんなことにはならなかった。みんな、殺されなかったかもしれない。みんなわたしのせいなの。わたしが殺したの!」
桃子は力を込めて、葛葉を抱きしめた。はっきりと言う。
「葛葉のせいじゃないわ」
「でも、でも……。せめて、みんなにちゃんと言っていれば……」
桃子は葛葉の髪に頬を押しつけた。女の子特有の甘い匂いが濃く立ち昇る。
できるだけ優しく言った。
「言えないよね……。わたしも言えなかった」
「え?」
葛葉が驚いたように顔を上げる。
「中学生のとき、従兄弟《いとこ》のお兄さんに無理矢理された。でも、わたしもだれにも言えなかった……」
桃子は思い出した。大学の野球部にいて、日に焼けて爽《さわ》やかな印象の人だった。親戚中の評判もよかった。桃子はほんのちょっとだけ、憧れていなくもなかった。
それも夏休みだった。両親が旅行に行っていて、桃子はひとりで留守番をしていたのだ。
お兄さんは、明るい顔で遊びにやってきた。普段はひとりで、遊びにくることなどなかった人だから、桃子は少し不思議に思った。
それでも従兄弟だから、中に通して、麦茶を入れた。
彼が本性を現わしたのは、きてから一時間もたたないうちだった。
桃子はどうしていいのかわからずに、ただ、畳の目を見つめていたような気がする。
痛くて、熱くて、汗をかいて、不快だった。早く終わってほしいのに、彼は何度もそれを繰り返した。
あのときからだろう。桃子にとって、すべての現実が色褪せはじめたのは。どんなことも、どうだっていい、としか思えなくなったのは。
いや、直接あの瞬間からではない。彼が、終わってから桃子に、「夕飯を作れ」と命令し、桃子が台所に立っている間、友だちに電話をかけているのを聞いてからだ。
彼は電話で自慢げに言った。
「従姉妹の中学生をレイプしてやった」と。
そうして、桃子を犯した様子をおもしろおかしく話して聞かせたのだ。
葛葉は聞きながら泣きじゃくり続けた。桃子は葛葉をきつく抱きしめた。
「言えないよね。だれにも。そんなこと言えないよ」
言いながら、桃子も泣いた。あの事件のことで、涙が出たのははじめてだと思う。泣くこともできないほど、自分の感情は遠かったから。