切り裂かれた二の腕は、どこか熱っぽく痛んでいる。桃子は汗を拭った。
こんな時間がいつまで続くのだろう。たぶん、今日は夜になっても眠れないだろう。いつ、男が襲ってくるのかわからない。
交代で眠るにしろ、葛葉も桃子も疲れ切っていた。
桃子はぎゅっと目を閉じた。ユンジャのことを、里美のことを、聖のことを考えた。あの子たちと一緒に逝くのだったらそんなに悪くはないかもしれない、と思った。
藪蚊《やぶか》にあちこちを刺された。髪も服も汗に濡れてひどく不快だ。
お風呂に入りたい。眠りたい。なにもかも忘れたい。
どんどん暗くなってくる。また夜が近づいてくる。
ふと、遠くにぼうっと灯りがついた。桃子ははっと身体を強《こわ》ばらせた。
たぶん、あの灯りは殺人者のテントだ。あきらめてテントに帰ってきたのだ。桃子は葛葉を揺さぶった。
彼女はうつろな目で、桃子を見上げた。彼女に灯りを指さしてみせる。
「たぶん、今なら待合室に帰っても大丈夫だと思う。戻ろう」
葛葉は頷いて立ち上がった。もう、視界は薄暗くなっていた。早く帰らないと、林を歩くのが苦しくなってくるだろう。
やっとのことで、林を抜けた。桃子はふうっと息を吐く。なにか胸のあたりに重いものが覆い被《かぶ》さっていた。
今夜は月が出ないかもしれない。うっすらと曇った空を見ながら、桃子は思った。
砂浜を歩いて船着き場に出る。さっきのことがあるから油断しないように、待合室を覗いた。
ロッカーも開いたままだし、あの男が隠れている気配はない。おそるおそる中に入る。
薄暗いせいで、ベンチにぐったりとしているユンジャは、まだ眠っているように見えた。
桃子はユンジャの鞄を開けた。無理にでも食べて、力をつけなければならない。
ふと、鞄の底に冷たく光る物を見つけた。サバイバルナイフだった。
桃子はそれを手に取って、刃の部分を引き出した。刃物だけが持つ硬質な輝き。
桃子の手は震えていた。天啓のようになにかが心を切り裂いたのだ。
「ねえ、葛葉」
「なに?」
「一度、なくしたものを、もう一度失うことなんてあり得ないわよね」
葛葉はぽかんとした顔で、桃子を凝視した。桃子は立ち上がって、葛葉に笑いかけた。
「ちょっと行ってくる。心配しないで待っていて」