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運命を変えた一球02

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示: 私は二子山親方の話を聞いたとき、これはプロ野球選手にもそのまま通用するのではないかと思った。「あのとき、あの試合で、あ
(单词翻译:双击或拖选)
 私は二子山親方の話を聞いたとき、これはプロ野球選手にもそのまま通用するのではないかと思った。
「あのとき、あの試合で、あの男から安打が打てたから、きょうのおれがある」
 そういう思いは誰もが抱いているのではないか。
 私はいまのプロ球界における最高年俸保持者、6500万円(推定)の山本浩二中堅手(法大、広島)に当たってみた。すると、こんな返事がはね返ってきた。
「あの試合の、あの本塁打がなかったら、いまの私は多分なかったと思いますよ。プロ野球というか、自分の職業というか、そういうものを甘く考えちゃってね。いま振り返っても、なにかこうゾッとするような試合でしたね」
 昭和50年8月7日、神宮球場でヤクルト対広島16回戦が行われた。この年、梅雨入りと前後して山本浩は腰痛に泣いていた。たまたまこの試合前、三塁側ダグアウト前で柔軟体操をしているとき、腰部に電流のような激痛が走った。
 そこで山本浩はどうしたのか。古葉竹識監督が先発メンバーを作成する以前に申し出た。
「監督、とても試合できるような状態じゃあないんです。休ませてください」
 ところが、古葉監督はプイッと横を向いたまま返事もしない。
 発表された先発メンバーを見ると、山本浩はちゃーんと四番・中堅手に入っている。本音を吐くと、山本浩はムカッときた。腰痛ばかりは、なった者でなければ、あの痛さ、情けなさはわからない。それなのに古葉監督は先発で野球をやれという。
 ところが、この試合こそ山本浩の野球人生にとって、忘れられない試合につながっていくのである。
 なぜ古葉監督は横を向いたのか。無理もない。この試合の始まる時点で、広島は85試合、44勝36敗5分け、勝率5割5分ちょうどで首位。それを2位中日が82試合、42勝35敗5分け、勝率5割4分5厘、0・5ゲーム差で追っている。しかも山本浩は打率3割3分1厘と当たっているのだから、腰が痛いといわれていい顔できる理屈がない。かくて山本浩は先発メンバーで出場した。
 さて試合は広島のペースで展開した。一回、一番・大下剛史二塁手の中越え三塁打、五番・衣笠祥雄三塁手の左翼越え三塁打などで3点。二、三回も1点ずつを入れ、三回終了で5対0である。
 この間、山本浩はなにをしていたのか。一回の第1打席は四球、二回の第2打席は空振り三振。そればかりではない。一回裏、一番・若松勉左翼手の左中間ライナーを好捕。そのおかげで腰痛はなおひどくなった。
 三回裏、ヤクルトの攻撃が終わると、山本浩はまた古葉監督の前にやってきた。
「監督、申しわけないんですが、5対0になりましたので……」
「だから、なんだというんだ」
「腰が痛くてですねえ。これで交代させていただけませんか」
 この場面で古葉監督はなんと答えたのか。ひとこともしゃべらない。数秒後、中堅守備位置付近に向かって、黙ってアゴをしゃくり上げた。文句いわずに、守備につけという指示である。
 山本浩は小走りに走りながら、涙がこぼれた。腰の痛さ、情けなさ、古葉監督のつれなさなどが、ごっちゃになると、ぽろぽろ涙がこぼれるのである。
 だが、四回から試合の流れが変わった。ヤクルトは四回、二番・永尾泰憲遊撃手(現阪神)の右翼席本塁打、三番・ロジャー中堅手の右翼席本塁打、四番・大杉勝男一塁手の右中間二塁打などで3点。六回もロジャーの連続打席本塁打、六番・中村国昭二塁手以下の4連安打などで3点。七回も中村の右翼線二塁打で1点を入れ、七回終了で7対6、ヤクルトが逆転した。
 ところで私が本当に書きたかったのは、実は広島の八回なのだ。広島は八回一死後、二塁走者大下をおき、三番・ホプキンス一塁手が右越え三塁打して7対7の同点とした。ここで山本浩に打順が回ってきた。腰が痛く、上体だけで打った彼は第3、4打とも三ゴロである。
 打席に立つ前、山本浩はたったひとつだけを考えた。
「ジャストミートして外野フライを打てば8対7と勝ち越せる」
 カウント2─2後の5球目、石岡康三投手のストレートが外角ぎりぎりに入ってきた。山本浩は流した。打球は45度で舞い上がり、右翼席中段に入る逆転2点本塁打になった。
 二塁ベースを回ったところで、山本浩はこみ上げてくるものを抑え切れなかった。なぜ古葉監督がおれを休ませなかったのか、5対0とリードしていても交代させなかったのか、その胸の内がいまわかったという思いである。
 試合は広島が最終回にも1点を入れ、10対7で勝った。試合が終わると山本浩はまっすぐ古葉監督のところへすっとんで行った。
「監督、ありがとうございました」
 古葉監督はチラッと山本浩を見て一瞬、真っ白い歯を見せた。
 あれから7年、いま山本浩はこういっている。
「四番打者はチームを引っぱっていくと、いくらお念仏みたいにとなえても、現実に試合に出なければクソの役にも立たないと、あの試合で骨身にこたえましたねえ。腰の痛さなんて、なった者でなければわかりませんよ。でも、それを乗り切るのもまた、試合に出るという粘着力なんですねえ」
 山本浩の昭和50年度における年俸は1080万円。それが「野球で飯を食っている以上試合に出る。腰痛だろうと腹痛だろうと、なにがなんでも試合に出る」この野球人生を歩き始めて7年、いま彼の年俸はプロ球界最高の6500万円になった。
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