星野仙一投手(明大、中日、現解説者)をめぐるエピソードは、いつでもどこでも、涙のこぼれるような、同時におかしみを噴き出すような“星野節”である。
たとえば、あの“宇野勝・空中戦事件”がそれだ。
昭和56年8月26日、後楽園球場で巨人対中日19回戦が行われた。七回表、中日の攻撃が終わった時点でスコアは2対0、中日がリードしている。その裏、巨人の攻撃が始まったとき、新聞記者席に異常な熱気が流れ出した。もし星野がこのまま完投シャットアウトすれば、昭和55年度途中からの“巨人連続試合得点”は、159試合目でストップするからだ。
試合はそういう熱気の中で、巨人の七回の攻撃が始まった。七番・淡口憲治右翼手が中飛、代打・柳田真宏のゴロを谷沢健一一塁手がトンネル。代打トマソン三振のあと、一番・松本匡史左翼手の代打・山本功児(現ロッテ)が宇野勝遊撃手の後方に内野飛球を打ち上げた。
「七回も0点だ」
だれもがそう思った。
当日、右翼から左翼方向に5メートル前後の風が吹いていた。揺れながら落ちてきた打球は宇野のおでこに直撃、左翼ポール下まではね返った。一塁走者柳田はホームイン。巨人は紙一重、いやおでこひとつの差で連続得点試合をまたのばした。
柳田がホームインした瞬間、星野はグラブを地面に叩きつけて怒った。試合は2対1で中日が勝ったのだから、宇野の“空中戦”さえなかったら、巨人の連続試合得点をストップさせたのは、投球数131球の星野だったという話になる(同年9月21日、ナゴヤ球場での中日対巨人22回戦で小松辰雄投手が4対0で完投勝ち、174試合で巨人の連続試合得点はストップとなる)。
さてその晩、後楽園から宿舎にもどってきた星野は、ふるえ上がって星野の顔もまともに見られない宇野を銀座へ連れて行った。
「さあ宇野。好きなだけ飲んで、好きなだけステーキ食え。どうした宇野、おでこが笑ってるじゃないか」
2時間前は宇野の“空中戦”で頭にきて、グラブを地面に叩きつける。それが2時間たってみると、その宇野に銀座でステーキ食わしてやる。このあたりが“星野節”なのである。
ところが、男なんて不思議なものだ。そういう星野なのに、わずか“12球”投げるために、死ぬ苦しみを味わった試合があった。
昭和49年10月11日、神宮球場でのヤクルト対中日最終戦がそれである。くりかえすが、星野が2対1で巨人に完投勝ちした試合は、投球数131球なのに、この試合ではなぜたった12球で死ぬ思いだったのか。
「マウンドで立っていても、太ももが前後左右3センチはぶるぶるふるえたろうなあ。捕手の新宅洋志さんの顔がボケちゃうんだから。こめかみのあたりは引きつるし、呼吸困難になるし、本当に死んじゃうんじゃないかと思ったなあ。あの思いに比べたら、優勝決定の瞬間(同年10月12日、ナゴヤ球場での中日対大洋最終戦)なんて軽いもんですわ。最終回二死になったら、マウンドにいる私の耳に、新聞記者席のラジオが“山下大輔、最後のバッターになるか、中日20年ぶりの優勝まであと一人、あと一人——”なんて聞こえてくるんですから」(星野仙一)
ここで星野が“12球”投げるのに、太ももが前後左右に3センチもふるえた背景を伝えよう。
対ヤクルト最終戦は、この時点の首位中日にとって126試合目に当たった。そしてこの試合に勝つか、引き分ければ、なんと初めて“マジック2”が点灯する計算だった。それほど2位巨人の追い込みはものすごかった。
中日の日程を見ると、ヤクルト→大洋→大洋→巨人→巨人、となっているから、ヤクルトに勝ち“マジック2”にしてしまえば、大洋2連戦で優勝決定までこぎつける。しかしヤクルトに負けると“マジック2”が点灯しないばかりか、巨人戦で巨人と優勝決定戦という場面になってくる。なお具合の悪い話には、10月11日時点における中日対巨人の対戦成績は、12勝8敗4分けで巨人がリードしている。だから理屈は後回し、なにがなんでもヤクルト戦に勝たなければならない。それなのに問題のヤクルト戦、九回表を迎えたとき、3対2で中日は負けていた——。
この回のトップ七番・木俣達彦捕手がカウント2─1後、浅野啓司投手のカーブを左中間二塁打(代走・西田暢)、八番・広瀬宰遊撃手の代打・谷木恭平の一塁線送りバントで西田は三進したが、三沢淳投手の代打・飯田幸夫は遊ゴロ。三塁走者西田はそのままで二死。だが一番・高木守道二塁手が初球、ストレートを三遊間安打して3対3の同点になった。
私が本当に書きたいのは、実はこの瞬間から先の話なのである。
3対3の同点になったとき、星野は三塁側ブルペンにいた。そこへ近藤貞雄投手コーチがすっとんできた。
「仙一、たのむ。お前が九回裏だけ抑えてくれたら、マジック2がつく。仙一、やってくれ」
かくて星野はこの試合の8人目の投手、出場選手数では25人目としてマウンドに歩いた。
「私も今年でプロ14年生ですけれど、マウンドまで歩く間、両足のスパイクがすれ違うとき、カチャカチャ音がするんです。なぜだかわかりますか。両足がぶるぶるふるえるから、スパイク同士が歩きながらぶつかるんです」(星野仙一)
九回裏、最初の打者、八番・永尾泰憲(現阪神)と顔が合い、星野はあわてた。ぶるぶるふるえるのは太ももだけではない。胴体までふるえがのぼってくる。こめかみはけいれんし、歯の根は合わない。
「そのとき思ったんです。結果は神様だけがご存じだ。おれは生身の人間なんだから、どうにでもなれ、やけくそというか、開き直ってやれと」(星野仙一)
永尾は初球ストライク、2球目空振り、3球目ファウル、4球目空振り三振した。九番浅野の代打・井上洋一は初球、2球目ストライク、3球目ボール、4球目三ゴロ。なぜ異常興奮状態の星野なのに、これほどコントロールがよかったのか。
「打者は見ない。ただ一点、新宅捕手のミットしか狙わなかった。打者は誰でもいいと、このとき悟りましたねえ」(星野仙一)
最後の打者、一番・武上四郎二塁手が右打席に立った。胴ぶるいはまだとまらない。
「あと一人、あと一人——」
胃袋のあたりからこみ上げる感情と、胴ぶるいで星野は大声を出したくなった。
武上は初球ボール、2球目ストライク、3球目ストライク、4球目ストライクで見逃し三振——。
「あの試合は打者三人、投球数は12球、でも完投したよりうれしく、完投したよりへばったなあ。でも星野はプレッシャーに強い。とくに巨人戦に強いといわれるようになったのは、あの12球を境にしてですね」(星野仙一)
翌12日、ナゴヤ球場での対大洋ダブル・ヘダーに中日は連勝、20年ぶりの優勝をやってのけた。星野は第2試合に完投、九回二死後、山下大輔遊撃手をカウント1─0後の2球目、三塁ライナーでアウトにした瞬間、胴ぶるいどころか、観客の声が子守歌のように聞こえたそうだ。