山根和夫投手(勝山高、広島)の話を伝える前に、15世永世名人・大山康晴をめぐるエピソードを書く。それが山根の気持ちに通じるだろうと思うからである。
大山康晴著『人生に勝つ』(昭和47年4月、PHP研究所)の中に、次のような話がのっている。
昭和37年、大山と挑戦者・二上達也八段が王将戦を争った。第1局は大山が勝った。それも気持ちいい勝ち方である。
「これで王将位は防衛した」
これが第1局を終わったときの大山の本音であった。
さてその晩、玄関をガラリとあけて帰ってきた大山の顔を見て、大山夫人は思ったそうだ。
「こんどの王将戦は負けるわ」
思っただけではない。知人にも王将戦の真っ最中に、そっといったそうだ。
「今年は負けますよ、きっと」
結果は2勝4敗で大山が負けた。第6局を終えて大山が自宅に帰ると、夫人が大山に「やっぱり私のカンが当たりましたね。お友だちにもあなたが負けると話してましたの」といったという。そこでなぜ、大山が負けるとわかったのか、そのあたりを聞くと夫人は、こんな意味の返事をしたそうだ。
「だってあなたは第1局に勝って気分をゆるめていたというか、いい気分になりすぎていたというか——夫婦ですからピンときたんですよ」
あの永世名人の大山康晴でさえいい気分の落とし穴に落ち込むのである。同じ落とし穴に、当時25歳の山根がはまり込んだとしても、彼を責められるものか。
昭和55年10月5日、広島市民球場で広島対巨人22回戦が行われた。この時点で首位広島と3位巨人とは12・5ゲーム離れている。
さて試合が始まった。広島は二回、四番・山本浩二中堅手が定岡正二投手から右翼席本塁打、1対0とリードした。先発山根のピッチングはどうなのか。
一回表無死、一番・松本匡史中堅手に二塁内野安打された。しかし二番・篠利夫二塁手を二ゴロ、三番・山本功児右翼手(現ロッテ)を三振、四番・王貞治一塁手を二ゴロに料理すると、乗りに乗り出した。
三回終了まで松本のほかには、一人の走者も出さない。しかも二回裏には山本浩の本塁打で1対0とリードしたから、祭りで酒に酔ったような気分といっていい。要するに、大山が王将戦第1局目で二上八段に軽く勝って、自宅に帰ってきた気分と思えばいい。
山根は四回二死後、2人目の走者、王を四球で歩かせたが、五番・淡口憲治左翼手を中飛でアウト。五、六回も三者凡退である。
山根のニックネームを“キンバリ”という。山根には腰痛の持病があって、そのため腰に金針20本を打ち込んでいるからだ。チェンジで山根が一塁側ダグアウトにもどってくるたびごとに「キンバリ、最高、最高——」と、ナインが出迎えるものだから、山根はいよいよいい気分になる。
こうして運命の七回表を迎えた。三番山本功が遊ゴロのあと、四番王が一、二塁間安打した。ここで左打席に五番淡口が入った。
初球、内角ぎりぎりのストレートでストライクをとった。問題は2球目である。
「あの日はフォークボールがストン、ストンとよく落ちましてね。だから、これを2ストライクから低めにきめて、ゴロを打たしていたんですよ。ところが淡口さんの打席のとき、ふっとフォークボールで空振りさせようという気になりまして……。カッコよく空振りに取ろうという色気が出たんです」(山根和夫)
そのフォークボールが高めに入った。淡口は右翼席へ逆転本塁打を叩き込み、巨人は2対1で勝った。この試合を広島市内十日市2丁目にある山根の自宅で、みどり夫人がビデオテープにとっていた。
その晩、山根がビデオテープを再生すると「調子に乗っているときこそ、その隣に死に神が待っている。怖いですぞーって、解説者の金田正一さんが解説してました。私のプロ6年間の生活で、一番いいピッチングをした試合なので、金田さんの言葉は一生忘れられませんね」(山根和夫)。
落語家・三遊亭円楽はさる4月4日、後楽園球場で行われた巨人対ヤクルト2回戦に、ラジオ日本のゲスト解説者として登場、そのとき登板中の西本聖投手(巨人)の心理に引っかけて次のような話をしていた。
「投手が1試合完投する間、全投球に全神経を集中するのはむずかしいと思いますよ。私たちが高座にのぼっている時間は30分間か40分間です。それでもきょうは調子に乗ってるなと思う日でさえ、ほんの短い時間ですが、一回はかならず精神状態が空白になる。そこをうまく乗り切らないと、あとはメロメロですな」
私はこの話を聞いたとき、あっと思った。山根和夫投手の苦しみ抜いた気持ちと、円楽の話がぴたり重なり合ったからである。
昭和55年4月15日、甲子園球場で阪神対広島2回戦が行われた。先発は江本孟紀投手(阪神)と山根だった。
広島は一回表、一番・高橋慶彦遊撃手が右翼席本塁打した。まるでこの試合を象徴しているような本塁打だった。広島は三回終了までに打者15人を送って4点、江本をKO。さらに五回にも3点を入れ7対0。八回は二番・衣笠祥雄三塁手の左翼席本塁打などで11対0と引き離した。
さて八、九回の2イニング、11対0と勝っているはずの山根が、なんともつらい思いをした。円楽のいう「ほんの短い時間ですが、精神の空白状態に落ち込みそうに——」なるのである。
しかも本音を吐けば、山根の気持ちのどこかに「2点、3点とられても勝負に関係ない」という安易感が頭を持ち上げてくる。つまり11対0で勝っている投手が、勝っているがために苦しんでいるのだ。そこで山根はどうしたのか。
「打者の顔を見ると雑念やら完封してやろうという、色気が出てきますからね。打者は一切無視しましてね。捕手の道原さんの差し出すミットだけを見ました。人間との勝負ではない、ミットとの勝負なんです」(山根和夫)
かくて山根は被安打4、投球数124球、11対0で完封勝ちした。九回最後の打者、八番・若菜嘉晴捕手を三ゴロに片づけた瞬間、「そうだったのか、ピッチングの極意は打者を無視してミットと勝負することだったのか」。
一つの壁を突き破ったというか、一つの波を乗り越えた思いみたいなものがこみ上げてきた。
話はそれから3カ月すぎた7月16日、神宮球場でのヤクルト対広島15回戦に移る。
先発は松岡弘投手(ヤクルト)と山根で始まった。広島は一回二死後、二塁走者・高橋慶彦遊撃手をおき、四番衣笠が左翼席本塁打して2点を先行。六回は松岡に5安打2四球を集中、4点を入れて6対0。九回には衣笠の2本目の本塁打などで8対0とした。
ところで九回裏のマウンドに歩く途中、山根はまた“ミット”と勝負しようと思った。人間の顔を見れば完封はむずかしい。ピッチングの極意はミットに限ると、自分で自分にいい聞かせた。
だが、人間なんて不思議なものだ。この前は11対0でも無心にミットと勝負できたのに、こんどは8対0でも無心になれない。円楽のいうように好調でも精神の空白状態に落ち込んだのである。
無死、五番・スコット中堅手に左前安打、六番・杉浦享右翼手に左翼線二塁打された。
「こうなったらミットどころか、もろに打者との勝負になっちゃいますね」(山根和夫)
二死後、九番・八重樫幸雄捕手に左前安打、さらに一番・パラーゾ遊撃手を歩かせたあと、二番・角富士夫三塁手に遊撃内野安打されるなど、気がついたら8対3で試合終了となった。
私は山根を取材して思うのである。山根は3カ月前にピッチングの極意をつかんだと思った。それが3カ月すぎてみると、九回に崩れて3点もとられた。だが、それが人間ではないのか。壁を突き破ったり、壁にはね返されたり、こうして中年から熟年へと男たちはみんな老いていく。