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運命を変えた一球12

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:高橋一三 若いときには地獄へ落ちろ 高橋一三投手(北川工、日本ハム)の公式記録をめくっていくと新人のシーズン、つまり昭和
(单词翻译:双击或拖选)
高橋一三 若いときには地獄へ落ちろ
 
 高橋一三投手(北川工、日本ハム)の公式記録をめくっていくと新人のシーズン、つまり昭和40年の項目はこうなっている。
「試合数3、0勝0敗、投球回数6回、打者31、被安打8、被本塁打4、防御率9・00」
 なんとも空しいというか、寒々とした数字である。しかし、この数字の中にひとり高橋が熱い涙をぽろぽろ流した“運命を変えた試合”があった。
 昭和40年5月11日、金沢兼六園球場で巨人対広島4回戦が行われた。先発は城之内邦雄投手(巨人)と森川卓郎投手(広島)である。この日、城之内は荒れに荒れた。そして苦しくなって、ど真ん中にストライクを取りにくるところを狙われた。
 一回二死後、三番・山本一義左翼手に中越え本塁打されて1点。二回には五番・大和田明良中堅手に左前安打、六番・森永勝也右翼手に右翼線二塁打されたあと、七番・漆畑勝久遊撃手にカーブを左翼席本塁打されて計4点。ここで新人高橋と交代した。
 さて、問題の高橋はどうだったのか。これが三度目の登板だが、城之内よりひどかった。三回無死、四番・興津立雄三塁手に左翼席本塁打されると、六番・藤井弘一塁手(現二軍監督、現在は改名して博)にも左翼席本塁打された。
 高橋をめぐる本塁打ばなしは、これで終わっていない。四回一死後、前の回に本塁打された興津に、こんどもまた左翼席に連続打席本塁打を叩き込まれた。そればかりではない。なんとまたまた藤井にも連続打席本塁打を左翼席にぶち込まれた。
 広島はこれで“4イニング連続本塁打”のセ・リーグタイ記録をつくってしまった。脂汗を流しながら、3人目と交代した高橋の記録はこうである。
「投球回数3回、投球数74、打者19、被安打7、奪三振1、与四球3、失点6、自責点6」
 ところで、宿舎に帰ってきた高橋は、川上哲治監督の部屋によび出しを受けた。
「高橋、そこへ座れ。お前に話がある」
「はい」
 高橋は川上監督と1対1で向かい合うのは初めてだ。恐ろしさのあまり、まともに川上監督の顔が見られない。
「いいか高橋。お前が三回に興津、藤井にホームランされたのは目をつぶろう。お前は新人だし、向こうは四番、六番打者だ。しかしなあ高橋。そのまったく同じ興津、藤井に次の打席でまたもホームランされるとは、これはいったい、どういうことなんだ」
「はい」
「お前に研究心がない。どうしたらこの打者をうち取れるかという、真心がない」
 川上監督は高橋に油をしぼった末、山崎弘美マネジャーを呼んだ。高橋がひょいと見ると、山崎マネジャーは手に列車の切符を持っている。川上監督はいった。
「高橋、これで多摩川へ帰れ。お前に真心、研究心がない限り、一軍にいても意味がない。あすから二軍でびっしり鍛え直されてこい」
 高橋は自分の部屋へもどると荷物をまとめた。その最中、突然、湯のように熱い涙がふき出た。自分に研究心、真心がないのではない。いくらあっても技術がないから、実を結ばないのである。
 だが高橋は泣きながらも巨人の恐ろしさに、ふるえ上がった。昼間の試合にKOされた新人が、宿舎にもどってみると多摩川へ帰る切符が用意されているのだ。
「私の記憶では米原までチームと一緒に移動したと思います。それからチームは大阪へ、私は東京へと別れたんです。その年はもう一軍に上がれないで、ずっと二軍暮らしでしたよ。一軍にもどったのは41年6月ですから、約一年間、二軍にいたわけです。この間、毎日地獄を見てきましたよ。私はいまプロ18年生ですが、あのとき二軍に落ちたのが、いま思うと幸せにつながってますねえ。若いうちは地獄を見なけりゃあ——」(高橋一三)
 新人のとき地獄を見た高橋がプロ9年生のとき、もう一度“天国と地獄”の淵に両足をかけて立つ。
 昭和48年10月20日午後2時、東京駅発「ひかり351号」の9号車、10号車で川上監督以下、巨人ナインは大阪に向かった。翌21日、甲子園球場で行われる阪神対巨人26回戦にそなえるためだ。
 ところで、東京駅出発と同時に長島茂雄三塁手や王貞治一塁手は、顔をひきつらせ、トランジスタラジオに聴き入っている。いったい、なにを聴いているのか。この日午後2時1分からナゴヤ球場で中日対阪神26回戦が始まっていた。もし、この試合に阪神が勝てば昭和39年以来、9年ぶりの優勝が決まる。逆に中日が勝てば優勝の行方は、阪神と巨人にとって公式戦最終試合の甲子園球場での26回戦に持ち越される。つまり、その試合で勝った方が優勝なのである。
 だから阪神も死に物狂いなら、巨人もまた死に物狂いでラジオを聴いている。小田原駅あたりまでは文化放送、熱海駅では静岡・NHK、愛知県に入ると名古屋・NHKとダイヤルを合わせながら聴く。
「ひかり351号」がナゴヤ球場の左中間場外を通過したのは午後4時。試合は4対2で中日がリード。戦況は九回表一死後、一塁走者の池田祥浩中堅手をおき、打席に七番・代打の和田徹が立っていた。そこを「ひかり351号」が横目に見ながら通過して行く。セ・リーグ史上に残る名場面である。
 そして列車が名古屋駅に到着したとき、中日の勝利が決まった。
 くりかえすが、優勝は阪神か、巨人かという話である。運命の試合は雨で1日延びた22日午後2時1分から始まった。先発は上田二朗投手(阪神)と高橋一三だった。
 高橋はそれより6日前の16日、後楽園球場で行われた巨人対ヤクルト26回戦に先発、七回終了時点で4点を取られてKO、負け投手となっている。
「KOされて、しょんぼりしていると、川上監督がそばに来ていうんです。“阪神戦はお前でいく。たのむよ”って。もちろんダグアウトの中でですよ」(高橋一三)
 川上監督はなぜ、KOされた高橋を阪神戦で先発させようとしたのか。巨人のV9を見ると、高橋は優勝を決める試合に六度先発し、五度勝利投手になっている。なんとも恐ろしいまでの強運の男なのだ。
 試合の始まる前、両チームの成績はこうである。
「首位阪神=129試合、64勝58敗7分け、勝率5割2分5厘」
「2位巨人=129試合、65勝60敗4分け、勝率5割2分0厘」
 阪神と巨人のゲーム差は0・5。公式戦最終試合に高橋の強運に賭けてみようと、川上監督が考えた。
 さて試合が始まると、上田はカゼをひいていて、まるで迫力がない。巨人は五回終了時点で8対0、しかも毎回得点である。
「これが夢にまで見た、公式戦最終試合の優勝決定戦なのか」
 4万8000人の観客はタメ息をついた。だが高橋は投げに投げた。
「私たちは苦しさのあまりヘドを吐き、涙を流しながら走ってきたんです。それが阪神はどうですか。阪神部屋といわれるほど腹が出っ張っているんです。その阪神部屋には負けられますか。その思いだけで投げまくりました」(高橋一三)
 九回裏二死後、五番・カークランドが空振り三振、9対0で巨人が勝った。その瞬間、3000人の阪神ファンがグラウンドになだれ込み、巨人ナインに乱暴した。もちろん、川上監督の“胴上げ”どころの騒ぎではない。逃げ遅れた牧野茂コーチと王がなぐられ、川上監督は審判室へかくれた。
「カークランドを三振にとるやいなや、三塁側ダグアウトへ逃げ込みましたねえ。シャットアウト勝ちして、監督と握手しなかったのは、あの試合だけですよ。“胴上げ”は宿舎の竹園旅館に帰ってやりました」(高橋一三)
 前にも書いたが、高橋は優勝を決める試合に六度先発し、五度勝ち投手になっている。あのやせた体、疲れ切ったような投球フォーム、それにあの悲しそうな顔の高橋の、どこに強運がかくされているのか。
 でも、私はなおおどろくのだ。そういう強運のはずの高橋でさえ、そして巨人時代110勝(78敗)と貢献度のあった高橋でさえ、2年後の50年12月には日ハムへ放出された。強運がいつまでもつづくなど、考えられるはずもない。
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