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運命を変えた一球13

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:角三男 勝つと思うな、思えば負けよ 角三男投手(米子工、巨人)を取材して、私は思うのである。なんだかんだいわれても、前巨
(单词翻译:双击或拖选)
 角三男 勝つと思うな、思えば負けよ
 
 角三男投手(米子工、巨人)を取材して、私は思うのである。なんだかんだいわれても、前巨人軍監督・長島茂雄は、名監督ではなかったのかと——。
 なぜ私は長島を名監督だったと思うのか。それがこれから書く試合である。
 昭和53年4月20日、甲子園球場で阪神対巨人4回戦が行われた。先発は小林繁投手(当時巨人)と江本孟紀投手(阪神)で始まった。
 阪神は一回二死後、三番・掛布雅之三塁手が中堅本塁打して1点を先行した。だが四回表、巨人は逆転する。江本が突然といっていいほど、乱れに乱れるのである。
 巨人は無死、二番・河埜和正遊撃手が右前安打、三番・高田繁三塁手も左前安打したあと、四番・王貞治一塁手が四球で無死満塁とした。ここで五番・柳田俊郎左翼手が押し出しの四球で同点、六番・シピン二塁手は遊直併殺に終わったが、七番・山本功児右翼手が中前安打、3対1と逆転した。
 ところが、阪神も粘りに粘る。五回無死、八番・植松精一左翼手が左前安打、九番江本の投前バントは小林の野選となり、無死一、二塁と持ち込んだ。ここで一番・中村勝広二塁手が右前安打、3対2と1点差に追い上げた。打順はこのあと二番・藤田平遊撃手、三番掛布と左打者がつづく。下手投げの小林にとっては、最大のピンチ場面である。
 さて私がどうしても書きたいのは、藤田を迎えたときの、長島監督の発想である。
「ブルペンで調整していた私のところに連絡が入ってきたんです。そこでマウンドヘ行ったら長島監督が、私に向かって腰を抜かすようなことをいうんですよ。そういう戦法が高校野球なんかではよくありますけれど、本当にプロでやるとは思ってませんでしたから。まして私が直接ねえ」(角三男)
 長島監督は角に向かって、どういう戦法を吹き込んだのか。
「なあ角よ、お前は藤田と掛布だけ料理してくれ。お前が二人を料理している間、小林は右翼に回しておく。料理し終わったら四番田淵からまた投手にもどす」
 角はこの年新人である。しかもこの時点で「試合数5、0勝0敗、0セーブ」であって、いまのように“リリーフの神様”になるとは、だれも思ってはいない。それなのに長島監督は、このピンチ場面で新人角にぽんとリリーフさせた。長島独特のカンで、角の持つ素質を見抜いたからか。
 角がマウンドに立ち、小林が右翼の守備位置につき、山本右翼手が左翼に回って試合は再開された。
 角は藤田に対し、初球ストライク、2球目ファウル、3球目ボール、カウント2─1後の4球目、空振り三振にとった。さらに三番掛布にも初球ストライク、2球目ストライク、3球目ボールでカウント2─1と追い込んだあと、空振り三振である。打者数2、投球数8球、三振2、完全内容である。
 掛布を三振にとったところで長島監督がすっとんできた。
「角、ご苦労、ご苦労。休んでくれ」
 角はダグアウトにもどり、小林は右翼からまたマウンドへ。山本も左翼から右翼へ、左翼には庄司智久(現ロッテ)が入り、試合は始まった。
 二死一、二塁、打席は四番・田淵幸一捕手(西武─引退)だから、小林の顔も青い。だが小林は田淵を投ゴロに片づけ、ピンチを切り抜けた。小林は六回以後、1本の安打も打たれず、3対2で巨人が勝った。
「あのリリーフで左打者を攻めて攻めて、攻め抜く実感みたいなものをつかみましたね。なにしろ小林さんが右翼にいるんですから、同じリリーフでも緊迫感みたいなものは凄かったなあ」(角三男)
“魔術師”三原脩が大洋監督時代、全く同じ戦法をやったところ、阪神監督・藤本定義から「おれが松山商業時代に使った手をやってやがる——」と冷やかされた。しかし、その古い戦法から“リリーフの神様”角三男が生まれたとすれば、古い戦法もまた名戦法ではないのか。
 角は出番が回ってきそうになると、ひそかにダグアウトを抜け出す。行き先はトイレの個室である。
「個室に入ると気持ちが落ち着くからなんです。ただし個室に入るだけで用は足しませんよ。いつ登板するかわかりませんから」(角三男)
 後楽園球場の場合、選手の昼食は午後4時すぎである。選手専用サロンでとるのだが、メニューはめん類、サンドイッチなどが多い。なにしろ試合開始時刻が目の前に迫っている。米の飯や、肉類を腹いっぱい食べられる道理がない。だが、角だけは違う。カツ丼、カツライス、えびフライライスなど、がっちり胃につめ込む。
 なぜなのか。角の登板時刻は“午後8時半”前後と決まっている。4時間も先だから腹が減ってたまらない。
 角は六回に入ると20球のキャッチボールをする程度で、投球準備を終えてしまう。そのかわりマウンドに立ち、本番までの“1分間、8球”に全神経を集中する。プロ野球46年間におよぶ歴史を振り返り、あの8球にあれほど全神経を集中するのは角しかいない。
 昭和56年9月22日、甲子園球場で阪神対巨人26回戦が行われた。巨人にとっては、なにがなんでも勝ちたい理由があった。この試合に勝てば「マジック1」になる。そうなれば、もう優勝したも同じといっていい。2位広島が負ければ優勝がころがり込んでくるからだ。
 先発は定岡正二投手(巨人)と工藤一彦投手(阪神)で始まった。細かな得点経過は省略するが、六回終了時点でスコアは2対1、阪神がリードしている。
 ところが巨人は七回無死、四番・ホワイト中堅手が工藤から右翼席同点本塁打、2対2とした。六回にキャッチボールをすませ、三塁側ダグアウトにいた角は、するりと抜け出し“個室”に入った。出番が回ってきそうな予感がしたからだ。
 すると藤田元司監督は七回裏から定岡を角に交代させた。球審松下充男の「あと5球、あと3球……」の指示にしたがって、角は1分間、8球の投球練習に全神経を集中する。こうして「マジック1」を賭けた角のピッチングは始まった。
 七、八、九回の3回投げて打者10人、この間、被安打は五番・オルト一塁手に左前安打されただけだ。一番・北村照文右翼手と三番・佐野仙好中堅手は捕邪飛、いかに高めに浮き上がるストレートに伸びがあるかの証明だと思う。
 試合は2対2で延長戦に移った。巨人は延長十回一死後、六番・淡口憲治左翼手が中前安打、八番・山倉和博捕手の代打柳田俊郎が四球で一、二塁とした。ここで九番・松本匡史中堅手が二塁内野安打で満塁、一番・河埜和正遊撃手が中前安打して4対2とした。
「十回裏を抑えればマジック1ですからね。私は心臓男で通っていますが、あの十回裏は足がふるえましたね。あの場面“おれは勝つんだ”という気持ちは崩れるもとですね。“おれは負けない”がいいんじゃないですか。勝とうではなく、負けないですよ」(角三男)
 八番・原良行遊撃手(現日本ハム)を中飛、九番・福間納投手の代打・川藤幸三には右前安打されたが、一番北村を遊ゴロ、二番・吉竹春樹左翼手も遊ゴロに料理、4対2で勝った。「マジック1」実現を自分の勝ち投手でやってのけたのだ。
勝つと思うな、思えば負けよ……関沢新一作詞、古賀政男作曲、美空ひばりが歌った「柔」の名文句である。“リリーフの神様”角の極意は、柔の精神と同じだったのである。
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