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運命を変えた一球14

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:梶間健一 逃げたら負けだ 梶間健一投手(鉾田一高、ヤクルト)が、マウンドではどれほど冷静なのかを物語る、ひとつのエピソー
(单词翻译:双击或拖选)
梶間健一 逃げたら負けだ
 
 梶間健一投手(鉾田一高、ヤクルト)が、マウンドではどれほど冷静なのかを物語る、ひとつのエピソードから書く。
 昭和50年12月のある日、梶間の妹・恵美子さんが福島県で結婚式をあげた。当然、梶間も出席した。披露宴に恵美子さんの鉾田二高時代の同級生、紀子さんも出席した。憂いをふくむ紀子さんの表情に、なんとなく梶間はひかれた。
 さて話は翌51年8月、後楽園球場で行われた都市対抗決勝戦・日本鋼管対北海道拓殖銀行戦に移る。鋼管のエースで左投手の梶間は、一塁側拓銀ダグアウトがよく見える。ところが試合途中、あっと思った。妹の恵美子さんの結婚式にきていた、あの美人が一塁側ダグアウト後方に座っているのだ。紀子さんは拓銀に勤務していたから、応援にやってきたのである。
 決勝戦という雰囲気、白一色のスタンドから特定の人をさがし出すのは、よほど冷静でないとできない。この試合で日本鋼管は優勝、ついでに梶間はこの紀子さんを口説きに口説き、53年12月3日、紀子さんと結婚した。
 そういうマウンドでの冷静男・梶間も、腰を抜かした相手がいる。王貞治一塁手(巨人)である。
 昭和52年6月26日、神宮球場でヤクルト対巨人12回戦が行われた。先発は安田猛投手(ヤクルト、現ピッチングコーチ)と新浦寿夫投手(巨人、現韓国)だった。
 試合は六回表終了時点で4対0、巨人がリードした。「勝負あった。巨人の勝ちだ」と、だれもがそう思った。
 ところが、ヤクルトは六回裏一死後、三番・ロジャー中堅手が中越え二塁打、四番・マニエル右翼手が四球、五番・大杉勝男一塁手が左翼席本塁打して4対3、新浦をKOした。1点差ならどうなるかわからない。こういう状況で問題の七回表、巨人の攻撃を迎えた。
 二番・河埜和正遊撃手が投手強襲の内野安打、張本勲左翼手が右前安打して2人目の西井哲夫投手をKO、打順が四番王に回ってきたところで、広岡達朗監督(現西武)は3人目の梶間を登板させた。
 初球、内角低めのシュートでストライク、2球目ファウル、3球目ボールでカウント2─1になった。すると大矢明彦捕手が走り寄ってきた。
「外角にボール半分ぐらいかかる、そういう気持ちのカーブを投げろというんですね。つまりストライクゾーンから、ボールの半分は外側にはみ出している、そういう気持ちのカーブの注文なんです。そこで、その注文通りカーブを外角に投げたら、ボールの半径分だけ内へ入っちゃったんです。いいかえればボールがすっぽりストライクゾーンに入るカーブだったんですねえ」(梶間健一)
 王はそれを右翼席中段に3点本塁打した。梶聞はふるえ上がった。
「ボールの半径分(約3・5センチ)甘くなっても王さんは見逃さないのか。この人には針の穴ほどのコントロールミスでも許されないのか」
 そういう恐怖心である。くりかえすが、都市対抗決勝戦で相手チームの一塁側応援団席にいる一人の女性を見つけ出したほどの梶間が、同じマウンドで真っ青にふるえ上がったのである。この試合は王の3点本塁打が決め手になり、10対4で巨人が勝った。
 それからの梶間は王と顔が合うと、頑固なまでに自分で自分にいいきかせた。
「王さんの目はボールの半径分でも見逃さない。だからボール半径分、完全なボールで勝負しよう」
 王の終身本塁打は868本である。その868本のうち、梶間が打たれた一発は735本目に当たる。だがこの1発以外、梶間は王に本塁打を打たれていない。ボール半径分だけ、ストライクゾーンから外しまくった戦法のためらしい。
「王さんが800本を記録したとき、記念のタオルが売り出されましてね。そのタオルに号数と打たれた投手名が書いてあるんです。800本の中に1本だけ、ぽつんと私の名前がのっているんです。世界の王さんに打たれたのなら、投手として本望じゃなかったのか、そのとき、ふとそんな気分になりましてね。もし名前がのってなかったら、逆にさびしい気分になったんじゃあないかなあ」(梶間健一)
 プロ球界には特異な才能を持った人物がいる。
 野村克也捕手(当時南海)は、三冠王のほかに“ささやきの名人”でもあった。マスク越しに、打者にささやくのである。
 平田薫二塁手(巨人、現大洋)は“左投手打ちの名人”といっていい。
「とくに極意なんてないですねえ。いつも考えていることは、タイミングをぴたり合わせることだけなんですが……」(平田薫)
 さて、これから書く話は、その平田に2年連続してやられた左投手、梶間健一の、なんとも無念の思いである。
 昭和55年8月6日、神宮球場でヤクルト対巨人16回戦が行われた。先発は梶間と西本聖投手(巨人)である。
 巨人は二回、五番・シピン二塁手が左翼席本塁打して先行した。するとヤクルトは三回一死後、一番・パラーゾ遊撃手が中前安打、二番・角富士夫三塁手が右翼線二塁打して1対1の同点にした。四回以後、梶間と西本の投げ合いとなって、八回終了時点まで1対1は動かない。そして問題の九回表へと移っていく。
 巨人は九回無死、シピンが中前安打(代走松本匡史)、六番・柴田勲中堅手は三振、七番・山倉和博捕手は遊撃内野安打で一死一、二塁とした。打順が八番河埜に回ってきたところで、長島茂雄監督は代打平田を起用した。
「平田君が左に強いのを知らない投手は一人もいませんからね。きたなという実感ですよね。ボールカウント2─2にしておいて、内角ヒザ元のストレートを投げたんですが、それを中前安打されちゃいまして。問題は神宮球場から自宅に帰ってきたあと、フジテレビの『プロ野球ニュース』を見ようか見るのよそうか……」(梶間健一)
 試合は平田の中前安打が決勝点になって、2対1で巨人が勝った。だから当然、そのシーンはテレビ画面に出るはずだ。梶間は歯を食いしばる思いで『プロ野球ニュース』を見た。
 相手はプロ野球NO・1の左投手キラーである。それにムザムザ食われた自分に腹が立つ。テレビの画面を見ながらこうも思う。
「ストレートよりシンカーがよかったなあ。こんど、あいつに会ったらシンカーで勝負する」
 だが、プロ野球は人間がやっていると思う。一度ヤケドしたはずの梶間が、またほとんど同じ舞台設定で二度のヤケドを負うのだ。
 昭和56年6月22日、神宮球場でヤクルト対巨人7回戦が行われた。細かな得点経過は省略するが、九回終了時点でスコアは2対2の同点。ヤクルトは梶間ひとりなのに対し、巨人は加藤初─角三男のリレーである。
 延長10回表、巨人の攻撃に入ると藤田元司監督は、三番・篠利夫二塁手にかえて代打平田を送ってきた。
「去年の中前決勝打のことは頭に残ってましたからね。またきたな、という気分でしたね。ボールカウント1─1からシンカーを投げたんですが、左翼席本塁打されましてね。試合は3対2で負けました。ダイヤモンドを走る平田を見て、悔し涙が浮かびましたね。左投手キラーにまたも、まんまとやられたのかという、悔しさなんですよ」(梶間健一)
 試合のあと、梶間はまた自宅に帰ったあと『プロ野球ニュース』を見ようか見るのよそうか、苦しみに苦しみ抜くのだ。
 決勝本塁打だから、そこだけが集中的に放映されるだろう。そう思うと梶間の胸は|潰《つぶ》れそうだ。テレビの前から逃げ出そうかとも思う。しかし、もうひとつの胸の中では「これがお前の飯のタネだ。これでお前は女房、こどもを食わせている。逃げたら負けじゃないか」という声も聞こえてくる。
「……『プロ野球ニュース』を見ました。シンカーが沈んでなかったんですねえ。打たれるには、打たれるだけの理由がちゃーんとあったというのが、画面を見た収穫でした。でも、つらかったですよ、自分が左投手キラーに打たれるのを見るのは——」(梶間健一)
 梶間は平田に二度やられた。そのたびごとにテレビを見た。本当につらいだろうと思う。だが、三度目にまた平田にやられないという保証はない。そこが人生のつらさなのである。
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