「プロフェッショナルに“予定原稿”はない」
門田博光外野手(天理高、南海)は、プロ13年間でたった一度だけ“予定原稿”を書き、プロフェッショナルの恐ろしさに脂汗をかくのである。
昭和46年10月6日、東京球場でロッテ対南海最終戦が行われ、延長十三回、6対5で南海が勝った。この試合で門田は6打数3安打2打点を記録、とくに打点部門では120点でトップを走っている。
さて試合開始が午後2時、そして延長十三回の試合時間3時間24分だから、門田の前に某民放ラジオ局アナウンサーが現れたのは、午後5時30分前後と見ていい。門田とアナウンサーとの会話を再現してみるとこうなる。
「門田さん、打点王をとった感想をしゃべってください。録音を取りたいんです」
「打点王といったって、阪急の試合がこれからあるじゃないですか」
同日、平和台球場で午後6時から西鉄対阪急最終戦が残っている。しかも長池徳二右翼手(阪急)は打点114で打点部門第2位。6点差はあるとはいえ、門田は打点王の感想など録音する気分になれない。そこで断った。西鉄対阪急最終戦がすみ、門田対長池の打点王争いの決着がついてからの話にしてくれといっても、アナウンサーは引きさがらない。
「門田さん、6点差ですよ、6点差。まさかでも逆転はない。それにだいいち、野村克也さんでも王貞治さんでも、みんな“予定原稿”は常識ですよ。平和台球場の試合が終わると同時に、とっておいた門田さんの録音を流したいんです」
人のいい門田を口説きに口説く。最後には門田もその気になって、“予定原稿”を書いた——つまりまだ阪急戦が残っているのに、打点王の感想をマイクの前でしゃべった。
ところでこの年、阪急の公式戦優勝はもう決定しているから、問題の西鉄対阪急最終戦はテレビ・ラジオとも放送がない。それなら門田はどうして長池の情報をキャッチしようというのか。
午後6時以後、門田は東京・原宿の宿舎「神宮橋旅館」で待機する。そこへ阪急担当記者が平和台球場から刻々、長池の打席ごとの結果を電話連絡する段どりになっていた。
いよいよ試合が始まった。なにしろ門田は“予定原稿”をしゃべっている。これで長池に逆転されたら、笑い話ではすまされない。プロ野球史上、打点王の話題が出るたびごとに、新聞記者に書かれてしまう。
新聞記者から第1報が入った。
「門田さん大変だ。四番打者の長池がトップ打者に入っている、打席数をふやすためだ。ひょっとすると、ひょっとするよ」
門田は心臓がとび出すほどおどろいた。電話連絡は刻々入る。
〈第1打席=三塁フライ〉
〈第2打席=遊撃内野安打、打点なし〉
〈第3打席=三塁ゴロ併殺〉
〈第4打席=三塁ゴロ〉
〈第5打席=一塁フライ〉
それはそれでいいのだが、試合そのものは6対6の同点のまま延長戦に移っていった。
阪急は延長十一回表、代打当銀秀崇が高木喬一塁手のトンネルで出塁。一死後、七番・岡田幸喜捕手、八番・平林二郎二塁手が連続四球。さらに、ここで登場した東尾修投手(現西武)からも九番・井上修遊撃手が選んで押し出し1点。なお一死満塁の場面に、打順は一番長池に回ってきた。
「門田さん、ちょっとややこしくなりましたよ。一死満塁で長池ですから、一発ホームランで打点4。その差2点ですわ」
門田は顔色の変わるのがわかった。長池の満塁本塁打のあと、西鉄も十一回裏4点を入れ、同点にすればまた長池に打席が回ってくるかもしれない。そうなったら、2打点差なんか問題にならない。受話器の向こうで新聞記者が実況放送してくれた。
「あっ、長池打った。凄いレフトライナー。レフト東田正義、とったあ。三塁ランナー岡田、タッチアップ。東田、バックホーム。あっ、タッチアウト、ダブルプレー」
気がついたら長池は0打点、試合は7対6で阪急が勝った。しかし門田は体中、冷たい脂汗をかいていた。
以来、門田はどんなに口説かれても、二度と“予定原稿”はしゃべっていない。