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運命を変えた一球18

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:谷沢健一 心の師匠をもつことの強さ「谷沢健一一塁手(早大・中日)の本当の相手は、張本勲左翼手(当時巨人)ではなく、実は王
(单词翻译:双击或拖选)
谷沢健一 心の師匠をもつことの強さ
 
「谷沢健一一塁手(早大・中日)の本当の相手は、張本勲左翼手(当時巨人)ではなく、実は王貞治一塁手(巨人、現監督)だった」という話を書く。
 昭和51年10月19日、ナゴヤ球場で中日対広島25回戦が行われた。この試合の始まる時点で、谷沢の打率3割5分2厘。またすでに全日程を消化している張本は打率3割5分4厘7毛で首位打者だった。
 谷沢と張本の関係をもっと詳しく書くとこうなる。
 もし谷沢がこの試合で4打数3安打すると、打率3割5分4厘8毛、張本の3割5分4厘7毛を1毛上回って逆転、首位打者になる。要するに谷沢と張本は、金と栄光と生活を賭けて“1毛差”の勝負をしている。
 それなのに谷沢の本当の敵は、なぜ張本ではなくて王なのか。話をそのあたりに移してみたい。
 谷沢と張本が勝負する1年前の昭和50年8月28日、後楽園球場で巨人対中日21回戦が行われ、5対2で巨人が勝った。勝ち投手小川邦和、負け投手佐藤政夫(現大洋)である。
 さて、試合終了が午後9時4分、いったん宿舎にもどった谷沢と徳武定之打撃コーチ(現ロッテ)と後楽園球場から直接やってきた王の三人は、東京・銀座のステーキ料理店で落ち合った。徳武は早実時代、王の2年先輩だから、よく会って食事をする。この夜、徳武は谷沢を連れて王の前に現れたのである。
 三人の話は当然、打撃論に移る。徳武もそれが目的で、谷沢を連れてきた。いま王と谷沢の会話を再現してみるとこうなる。
 王「きょうの谷沢は安打がなかったな」
 谷沢「第1打席から四球、左犠飛、中飛、死球、二ゴロ。いいところありませんでした」
 王「私は安打が出なかった結果をいうのではない。ただキミの打撃には不満がある。それは志の低い打撃ということだ」
 谷沢「志の低い打撃とは、王さん、どういう意味ですか」
 王「谷沢、キミはおれを目標にしたことがあるかね。王貞治を抜こうという目標、志を立てたことがあるかね」
 谷沢「ありません。初めから無理ですから——」
 王「それを志が低いという。今夜のバッティングにそれが現れていた。ただ結果として安打を狙う。こんな次元の低い打撃では、谷沢健一の名が泣くなあ」
 谷沢「王さん、次元の高い打撃、志の高い打撃ってなんですか」
 王「おれを追い抜こうとする打撃だな」
 谷沢「それは無理です」
 王「無理かどうか、あしたを出発点にしてシーズン終了まで、おれと勝負してみようよ」
 この夜、谷沢はプロ6年目で打撃に次元があり、志の高い打撃、志の低い打撃があるのを初めて知った。
 王にいわれてみれば、打席内でただ安打を欲しがる自分だった。納得のいく人物を目標にしようとか、納得のいくフォームでスイングしようとか、いうのではない。ただ結果として高打率が欲しかった。
 この時点の谷沢の打撃は2割8分9厘だった。そういう谷沢を王は見抜いていたのである。
 くりかえすが、志の高い打撃とは、王貞治を目標に王貞治を追い抜こうという精神の打撃である。志の低い打撃とは、安打が出れば満足する打撃を指す。
 王の話を聞いた谷沢は、これが精神的打撃の極意かと思った。
 その翌日から谷沢は、王を目標にしはじめた。どれだけ王が高い目標だろうと、同じ人間じゃないかと、自分で自分にいいきかせたのだ。
 昭和50年が終わってみて、谷沢は腰を抜かした。あの銀座でステーキを食べた翌日から、シーズン終了までを計算すると、
〈王=35試合、114打数26安打、打率2割2分8厘〉
〈谷沢=33試合、123打数38安打、打率3割8厘〉
 谷沢は心の中にいつも王をおき王と格闘しながら33試合をすごし、打率で王に勝ったのである。この年、谷沢は最終的に打率2割9分4厘を残し、打撃ベスト10の6位になった。
「翌51年に首位打者を賭けた大勝負をするわけですが、王さんと食事した夜というか、食事をした当日の試合が、なんだか私の運命を握ってたような気がしますね」(谷沢健一)
 昭和51年10月19日、ナゴヤ球場で運命の中日対広島25回戦が行われた。
 その前夜、谷沢はいったい、なにをしたのか。冷や汗を流しながらバットの素振りをしたのか。それとも名古屋市名東区猪高町の自宅で敏子夫人、長女順子ちゃん、長男一貴君とショートケーキでも食べていたのか。
 そうではない。実は自宅を出て二軍合宿に泊まり込んだ。汗くさいユニホームの中に自分をおかなくては落ち着けない気分だった。そして鈴木孝政投手と午前3時ごろまで酒を飲み、野球人生を語るのである。
 さて第1打席、カウント0─1から谷沢は金城基泰投手(のち南海、現巨人)の速球をつまった右前安打。第2打席も1─1後の3球目、金城のシュートを右前安打。これで打率3割5分4厘2毛。張本に5毛差と迫った。
 第3打席は2─3後、7球もファウルしたが、14球目、高橋里志投手(現日本ハム)のカーブを見逃し三振した。
 だが問題の最終打席、1─1後の3球目、高橋里のフォークボールを中前安打。これで打率3割5分4厘8毛、1毛差で逆転、首位打者になった。
 試合が終わった直後、谷沢は涙をぽろぽろ流しながら、バットマンレース史上に残る名語録を吐いた。
「打球が高橋里の肩を越えたら、涙で見えなくなった——」
 ところで、私はいま谷沢と張本をめぐる“毛単位”の首位打者争いの話を書いている。だから、谷沢は第1打席から第4打席にいたるまで、つねに頭の中に張本勲がいたと思う。
 もっと大胆にいえば、金城や高橋里と勝負しているのではなく、張本と勝負していたのではなかったか。
「張本さんとも勝負していました。でも、それ以上に王貞治さんと勝負していたように思いますね」(谷沢健一)
 張本も打撃の天才、“安打製造機”といわれた。だが、谷沢は張本と1毛差でせり合っていても、心の中では王を追っていた。谷沢にとって王こそは、心の師匠といえるのかも知れない。
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