いきなり金の話から書く。石毛宏典遊撃手(駒大、西武)は契約金8000万円、年俸800万円で入団した。それが2年目の年俸となると、850万円アップの1650万円。現在の“プロ野球年俸順位番付”から推定すると、50─55位にランクされる。
あの原辰徳三塁手(巨人)でさえ、年俸1440万円で73─77位である。なぜ、石毛は850万円もアップしたのか。それは新入王と同時に、次の記録を見れば納得がいく。
〈試合数121、打数409、安打127、打率3割1分0厘5毛、本塁打21、打点55、盗塁成功25、盗塁失敗9、盗塁成功率73・5%、犠打39、四球44、三振96、併殺打5〉
同じ新人王でも長島茂雄三塁手(巨人)の打撃は3割5厘であった。それならなぜ、石毛はこれほど打てたのか。私は“開幕日”だったと思う。
昭和56年4月4日、つまり開幕日である。川崎球場でロッテ対西武1回戦が行われた。開幕日だから、東尾修投手(西武)と村田兆治投手(ロッテ)の両エースが登板した。
いまから24年前の昭和33年4月5日の開幕日、後楽園球場で行われた巨人対国鉄1回戦では、新人長島が金田正一投手(当時国鉄)から4打席4三振したが、石毛はどうだったのか。
“時速145キロ男”村田の速球、フォークボールにふるえ上がったのか。とんでもない。三振どころか、石毛は村田を打ちに打った。
「第1打席中前安打、第2打席右前安打、第3打席右翼席本塁打、第4打席二ゴロ」
要するに、村田から4打数3安打、1本塁打である。
ここでプロ野球史上、大物新人たちのデビュー打席を伝えると、
▽29年=野村克也捕手(峰山高、当時南海)三振。
▽34年=張本勲右翼手(浪商、当時東映)三振。
▽同=江藤慎一左翼手(熊本商、当時中日)一飛。
▽41年=長池徳二右翼手(法大、阪急)右飛。
▽44年=田淵幸一捕手(法大、当時阪神)三振。
▽45年=谷沢健一一塁手(早大、中日)中前安打。
▽46年=荒川堯三塁手(早大、ヤクルト)三振。
いかに石毛がエース村田から記録した中前安打が、びっくりするものかわかると思う。
さて私は1月中旬、西武所沢球場で自主トレーニング中の石毛を訪ね、本書のための取材をした。
「あなたが昨年を振り返って、この人物こそ本当のプロフェッショナルだったなあ、この投手こそ最高に恐ろしい男だったなあ、この1試合こそ忘れられないというものがありましたか」
私のこの質問が終わると、石毛はポンと答えた。質問から回答までに2秒と間隔がない。そのことはいつも石毛の頭の片隅に、その人物が住みついていたという証明ではないのか。
私は石毛の回答を聞いて腰を抜かした。
「いま思い出しても、ぞっとするような、最高のプロフェッショナル投手は、ロッテの村田兆治さんですね」
くりかえすが、石毛は村田を相手に開幕日、3打席連続安打している。ぞっとするどころか、好きな男ではないのか。それなのになぜ、石毛は村田を怖がるのか。
「夜、ふとんに入って、平和台での対ロッテ戦(9月27日、12回戦)を思い出すと、いまでも体がぶるぶるふるえますね。あのときの村田さんは人間じゃない、鬼だと思いましたね」(石毛宏典)
石毛の話を取材したあと、開幕日から問題のロッテ対西武12回戦の試合前までにおける“石毛対村田”の勝負を調査してみた。
〈中前安打、右前安打、右本塁打、二ゴロ、左前安打、遊ゴロ、一邪飛、中前安打、三振、四球、四球、投ゴロ、二飛、三振〉
この勝負は14打席のうち12打数5安打、打率4割1分7厘、出塁率5割。だれが判断したって石毛の勝ちである。それがたった平和台の1試合で、石毛がふるえ上がってしまった。
いったい、この試合でなにが起きたのか——。
男が本当にふるえ上がるというのは、どういう場面なのか。それを石毛が教えてくれた。
昨年9月27日、平和台球場でロッテ対西武12回戦が行われた。参考資料として、この試合の背景を伝えよう。
日本ハムの優勝はすでに決定している。それなら、この時点で3位ロッテと4位西武の消化試合なのか。とんでもない。この試合を日本中のファンが見つめていた。石毛と落合博満二塁手(ロッテ)の首位打者あらそいがかかっていたからである。
この試合の始まる時点で、首位打者落合は「試合数124、打数415、安打136、打率3割2分8厘」だったのに対して、打撃2位の石毛は「試合数116、打数389、安打125、打率3割2分1厘」である。
しかし、もし落合がこの試合で4打数ノーヒットなら、打率3割2分4厘5毛に落ちる。逆に石毛が4打数3安打なら、打率3割2分5厘6毛で逆転首位打者になってしまう。ロッテは残り3試合、西武は残り5試合だから、石毛も落合も首位打者争いに体を張っていた。
さて、先発投手が発表されると石毛は腹の中で“しめた”と思った。
「うまくいったら、この試合で逆転首位打者になれるかな」
石毛はそんな思いで第1打席に立った。それが2分後、真っ青な顔で三塁側ダグアウトにもどってきた。
初球、速球を空振り▽2球目、速球をファウル▽3球目、フォークボールを空振り三振。つまり3球三振なのだ。
この日、村田は目がすわっていた。
「石毛に打たれたら、同僚でもあり、後輩でもある落合の首位打者はなくなる。なんとしても落合に首位打者のタイトルをとらせたい」
そういう気持ちから、速球はより重く、フォークボールは音をたてて落ちるようだった。
第2打席、こんどは石毛の目がすわっていた。
「初球、速球ボール▽2球目、速球空振り▽3球目、速球見逃しストライク▽4球目、フォークボールをファウル▽5球目、速球見逃し三振」
これで2打席連続三振である。
第3打席、石毛はバットを代えた。935グラムを942グラムと7グラム重くし、それを短く握った。重いバットで叩きつけてみようと思った。
「初球、速球見逃しストライク▽2球目、速球ボール▽3球目、速球ボール▽4球目、速球空振り▽5球目、フォークボールをファウル▽6球目、速球を捕邪飛」
2打席連続三振の次は捕邪飛である。第4打席、もう一度重いバットで打った。
「初球、速球ボール▽2球目、速球ボール▽3球目、速球空振り▽4球目、フォークボール見逃しストライク▽5球目、速球を左飛」
第5打席は一番ひどかった。
「初球、速球ボール▽2球目、速球ボール▽3球目、速球見逃しストライク▽4球目、フォークボールを見逃しストライク▽5球目、速球ボール▽6球目、フォークボールを見逃し三振」
なんのことはない。5打席のうち3三振、捕邪飛、左飛。投球数25球のうち、見逃しストライク7球、空振り5球、ファウル3球、ボール8球。まともにフェア圏内にとんだのは1本しかない。
「たとえ同僚のとはいえ、タイトルがかかると、ガラリと変わる。これがプロフェッショナルというものか」
試合が終わると、石毛はガツンと胸にこたえるものがあった。そしてこうも思うのだ。
「カネがかかってないところで打ち、カネがかかっているところで三振するオレは、村田さんから見れば大アマちゃんよ」
最終的に、落合は打率3割2分6厘で首位打者、石毛は3割1分0厘5毛で7位になった。