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運命を変えた一球20

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:掛布雅之 一瞬の迷いがツキを見放す 人間、運命を賭けるような大仕事とぶつかったとき、心と体はどういう状態がベストなのか。
(单词翻译:双击或拖选)
掛布雅之 一瞬の迷いがツキを見放す
 
 人間、運命を賭けるような大仕事とぶつかったとき、心と体はどういう状態がベストなのか。
 乗りに乗って突っ走ったらいいのか。それとも薄氷の張った池を渡るように、より慎重になった方がいいのか。それを掛布雅之三塁手(習志野高、阪神)が私たちに教えてくれる。
 さて掛布が最初、乗り始めたのは昭和56年7月25日、甲子園球場で行われたオールスター第1戦だった。三回裏二死後、三塁走者・若菜嘉晴捕手(阪神、現大洋)、二塁走者・田尾安志右翼手(中日)をおき、掛布は山田久志投手(阪急)から中前安打、2打点をかせいだ。
 くりかえすが、人間なんて不思議なものだ。掛布はこの中前安打で腰を抜かすほど乗りに乗った。六回にも遊撃内野安打して、この日は4打数2安打、2打点を記録。そして翌26日、問題の横浜球場でのオールスター第2戦を迎えた。
 九回裏無死、掛布が第4打席に立ったとき、スコアは3対1、全パがリードしていた。全パはこの九回から江夏豊投手が登場したから、2万9573人の観客の大部分は、全パがこのまま逃げ切るだろうと思った。
 だが、掛布は1─2後の4球目、江夏の速球を右翼席本塁打して3対2。このあと四番・山本浩二中堅手(広島)も中堅本塁打して同点、延長戦に入った。
 何度でも書くが、掛布は乗っている。掛布自身も「いま、おれは乗りに乗っている。何も考えず、脇見もしないで走りに走れ」と自分で自分にいい聞かせた。
 延長十回二死後、一番・原辰徳三塁手(巨人)が三塁内野安打、二番・山下大輔遊撃手(大洋)も左前安打、ここで三番掛布に打順が回ってきた。掛布はまた、自分で自分にいって聞かせるのである。
「二死後から連続安打が出たあと、おれに打席が回ってくるなんて、ツキまくっている証拠だ。何も考えるな、押して押して押しまくれ」
 カウント1─0後の2球目、柳田豊投手(近鉄)は内角に速球を投げてきた。掛布が叩くと右翼席サヨナラ3点本塁打になった。
 プロ入団以来8年間、掛布は公式戦でただの一度もサヨナラ本塁打を打っていない。それがオールスター戦でとび出した。当然、最優秀選手賞は掛布で「ニッサンレパード280XSF─L」をもらった。
 28日、神宮球場でのオールスター第3戦当日、なお掛布は自分の胸に何度もいうのである。
「乗っている間は自分からおりるな。走れ走れ、押しに押しまくるのだ」
 掛布は六回裏、一塁走者若菜をおき、またまた松沼弟投手(西武)から左翼席本塁打。しかも試合が終わってみたら4打数2安打、2打点。3試合の通算記録は「13打数6安打、打率4割6分2厘、本塁打3、打点8」を記録。とくに打点8は昭和26年以来、31回におよぶオールスター戦史上、新記録になった。
 掛布はオールスター戦が終わった夜、改めて感動がよぎるのだ。
「人間、乗るときに乗り切れないような人間じゃあ、一流になれないんだなあ。なにも考えずに乗れてよかった」
 波に乗るほど恐ろしいものはない。オールスター戦でツキまくった掛布は、その反動がくるどころか、そのすぐあとの対大洋、対中日戦で、あっと声をあげるような記録を残した。「10打数連続安打」という日本タイ記録がそれだ。
 オールスター戦から8日目の8月5日、横浜球場で大洋対阪神17回戦が行われた。掛布の第1打席はカウント2─2後、投ゴロだったが、第2打席は0─1後の2球目、平松政次投手から左前安打した。なんとこれが“10打数連続安打・日本タイ記録”の最初の打席になった。
 第3打席は初球、同じ平松から右前安打。第4打席もまた平松から1─1後の3球目、中前安打した。これで3打数連続安打である。
 翌6日、同球場で対大洋18回戦が行われた。掛布は第1打席で1─1後の3球目、前泊哲明投手から中前安打。第2打席も前泊から1─3後の5球目を右前安打。これで5打席連続安打である。第3打席は竹内宏彰投手から四球。第4打席も斎藤明夫投手から四球。そして第5打席は、同じ斎藤明から1─3後の5球目を右中間本塁打した。
 ダイヤモンドを走りながら、掛布はもう一度オールスター戦を思い出していた。
「いまのおれは、12球団全選手のうち最高に乗っている。いまは理屈をいう前に黙って走ればいい」
 第6打席は藤岡貞明投手から1─2後の4球目を左前安打。これで2四球をはさみ7打数連続安打となった。
「10打数連続安打」がどれほど大変な仕事かは、次の記録を見ればわかる。
 プロ野球が創設されたのは昭和11年、あの“雪の2・26事件”の起きた年だ。以来46年の歳月が流れている。この間、約4000人以上のプロ野球選手が登録されているが、10打数連続安打をやってのけたのは、昭和29年の坂本文次郎三塁手(当時大映)と、53年のマニエル右翼手(当時ヤクルト)の二人しかいない。
 ところで、掛布のツキはまだつづく。翌7日、ナゴヤ球場で中日対阪神17回戦が行われた。
「なにも考えるな。わき見もするな。黙って乗りに乗れ」
 この気持ちにこり固まっている掛布は、第1打席で曽田康二投手から2─3後の6球目、遊撃内野安打した。第2打席も曽田から1─1後の3球目を右翼線二塁打、第3打席もまた曽田から2─2後の5球目、中前安打した。これで“10打数連続安打タイ記録”となった。
 そして運命の第4打席は八回表二死後、無走者の場面でやってきた。この打席で安打が出れば、プロ野球46年間、のべ登録選手数4000人をこえるうち、だれもがやれなかった“11打数連続安打”が実現するのである。相手投手は曽田で変わりはない。
 そのとき打席に歩く掛布の気持ちに、信じられない変化が起こった。
「それまでの打席は、ただ黙って乗りまくれ、押しまくれの気持ちだったんですね。ところが、日本新記録がかかったこの打席に入る直前、ふっと思ったんです。こんなチャンスはもう二度とこないかも知れない。それなら、このチャンスを生かさなければ損だ。大事にいけ、より慎重に打てよ、という気分に変わっちゃったんです」(掛布雅之)
 そういう掛布の心の動きを曽田はわからない。初球、ど真ん中に速球を投げてきた。打たれたら仕方がないという、開き直った精神である。
 掛布は見逃した。より慎重にという配慮が、ど真ん中のストレートを見逃させた。
 2球目ボール。3球目、内角の速球をファウル。こうして2─1後の4球目、外角のシュートにこわごわバットを出して遊ゴロに終わった。
 オールスター戦で打ちまくり、10打数連続安打時点まで、乗りまくっていた掛布が、なぜかんじんカナメの日本新記録打席で用心深さに変化したのか。それは掛布が人間だからと考える以外にはない。
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