日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

運命を変えた一球22

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:柏原純一 自分の生きる道を知れ 私は本書取材のために多くの選手をインタビューした。インタビューの最初に、私の狙いというか
(单词翻译:双击或拖选)
柏原純一 自分の生きる道を知れ
 
 私は本書取材のために多くの選手をインタビューした。インタビューの最初に、私の狙いというか、取材ポイントを明確に、相手に伝えなければならない。
「あなたがプロ野球で、プロフェッショナルとして野球で飯を食ってきてですね、いままで数多くの試合をやってきたと思いますが、あの1試合があったから、いまの自分がある、あの1試合がなかったら、いまの自分はなかったろう、つまり、あなたの人生観というか、野球観というか、そういうものを変えてしまった1試合です。いいかえればプロフェッショナル集団の底知れない恐ろしさ、そういうものが骨身にしみた1試合という意味です」
 私はこういう意味の話を、かんでふくめるように説明する。
 それでも、なかにはカン違いをして「一番恐ろしいのは死球ですね」などと返事をする男もいる。
 さて、私は柏原純一一塁手(八代東高、日本ハム)をキャンプイン中の沖縄・名護球場で取材した。昼食時間で柏原が、にぎり飯2個とうどんを食べているとき、声をかけた。昼食時間は30分間だから、食べ終わるのを待っているわけにはいかない。
 柏原がちょうど、うどんをすすっている最中、私は取材の狙いを話しだした。すると柏原はどんな反応を示したのか。私の説明の途中部分で、うどんをかみかみ、こんな返事をするのである。
「二年前の後期最終戦、つまり昭和55年度の後期最終戦です。あれが私の野球に対する考え方、姿勢というか、取り組み方を変えちゃいましたねえ」
 たいていの選手たちは、私の質問を聞いたあと、首をひねったり、うなったりして、苦しそうな表情になる。それから思い当たった運命の1試合をポツリ、ポツリと話しだす。
 ところが柏原の場合、口の中にあったうどんを飲み込む前に、うどんをかみかみ、昭和55年度後期最終戦こそ、自分の運命を変えた1試合だという。
 頭の片すみどころか、骨のずいまで、この1試合の悔しさ、恐ろしさが、しみついていたと思う。柏原は右手に、のりの巻きついた三角形のおにぎりを持ったまま、こんな言葉も吐いた。
「試合時間もおぼえていますよ。3時間56分でした。試合開始が午後6時半だから、終わったのは10時半ごろですよ。それから11時すぎに後楽園球場を出て、木田勇、高代延博、岡持和彦さんたちと六本木へ行って飲みましたねえ。悔しさをまぎらわすために、飲んで飲んで——。でも、ちっとも酔えなかったですよ。それから夜明け近い午前3時頃、自宅(東京・大田区中馬込2丁目)に帰ってきたんですが、玄関のところで急に自分が情けなくなりまして——。そう思ったとたん、胃袋の中の物を全部吐いちゃいまして。吐いたヘドの中で10分間ぐらい、すわってましたよ」
 身長1メートル79、体重80キロの男が自分の吐いたヘドの中に10分間もすわりつづけて泣く。
 それはいったい、球団にとっても柏原にとっても、どんな意味を持つ試合だったのか。
 昭和55年10月7日、後楽園球場で日本ハム対近鉄13回戦が行われた。書けば30字で終わってしまうこの試合も、日本ハムにとっては、死ぬか生きるかの後期最終戦であった。
 日本ハムはこの試合の始まる時点で、「試合数64、33勝24敗7分け、勝率5割7分9厘」。2位ロッテに1・5ゲーム差をつけ首位である。そしてこの対近鉄戦に勝てば後期優勝決定なのだ。もっといえば日本ハム球団創設7年目の初優勝である。
 ただし、3位近鉄はこの時点で試合数62、32勝26敗4分け、勝率5割5分2厘。もし近鉄が残り3試合を3連勝してしまえば、勝率5割7分4厘となり近鉄の逆転優勝となる。
 だから、日本ハムにとっては理屈もなにもない。なにがなんでも勝たなければ困る最終戦であった。この夜、三番打者柏原はどんなプレーをしたのか。
 スコアは4対1、近鉄のリードのまま五回裏、日本ハムの攻撃を迎えた。一番・高代延博遊撃手が二飛のあと、二番・島田誠中堅手が鈴木啓示投手から右中間三塁打。ここで三番柏原に打順が回ってきた。
「外野フライでいい」
 日本ハム・ファンは誰でもそう思う。4対1から4対2にしておけば逆転もむずかしくない。
 柏原はこの前の打席まで打数500、安打132、打率2割6分4厘、三番打者としては食い足りない。
「でも柏原は打率2割6分4厘でも、打点が95だから、なんとかしてくれるだろう」
 ファンばかりではない。日本ハム選手の誰もがそう思った。柏原はこの打席で打ったのか。カウント2─3からの6球目、鈴木の内角カーブを空振り三振した。
 試合開始は午後6時30分、試合時間3時間56分、そして午後10時26分、6対5で近鉄が勝った。このあと近鉄は3連勝し、後期逆転優勝をしている。
 試合のあと柏原は岡持、高代、木田、島田、加藤俊夫捕手たちと東京・六本木へ飲みに行った。柏原は水割りを飲みながら、悔しさで胸が潰れる思いだった。4月5日の開幕日から死にもの狂いでやってきて、優勝がきまるという最終戦で勝てないのだ。
 柏原は私にこんな話をするのである。
「一死走者三塁の場面で三番打者が空振り三振した——あれが勝負の分かれ道だったというのは、みんな知りつくしているんですよ。でも一人として文句をいわない。一人として柏原、お前の責任だとはいわない。みんな触れようとはしないんです。だから、余計つらかったですねえ。お前、なにやっているんだと、どなってくれれば、どんなに気が楽になったかわからないのに——」
 同僚が失敗したら冷やかしたり、無視するのはよそう。精いっぱいの心で声をかけてやることだ。文句もいってやることだと私は思った。
「あの試合から一カ月間ぐらい、思い出すのさえゾッとするほど、気持ちが落ち込みましたよ。思い出すのはよそう、よそうと、そればかり考えていました」(柏原純一)
 ところが気持ちが落ち着くと、ふっとこんな考え方を持つようになった。
「おれは首位打者になれる男じゃない。といって本塁打王にもなれる男じゃない。おれの生きる道はただひとつ、走者二塁、走者三塁の場面でそれをホームインさせる打者になることだ。これならできる」
 前にも書いたが、六本本で飲んだ晩、午前3時頃、自宅にもどってきた柏原は、玄関前でヘドを吐き、そのヘドの中ですわりつづけて泣いた。そういう苦しみの果てに、彼はやっと自分の生きる道をみつけ出した。だから今シーズンの目標は——と私が質問すると、打率、本塁打数には一切触れず、ひとことだけこたえた。
「100打点です」
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%