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運命を変えた一球22

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:柏原純一 自分の生きる道を知れ 私は本書取材のために多くの選手をインタビューした。インタビューの最初に、私の狙いというか
(单词翻译:双击或拖选)
柏原純一 自分の生きる道を知れ
 
 私は本書取材のために多くの選手をインタビューした。インタビューの最初に、私の狙いというか、取材ポイントを明確に、相手に伝えなければならない。
「あなたがプロ野球で、プロフェッショナルとして野球で飯を食ってきてですね、いままで数多くの試合をやってきたと思いますが、あの1試合があったから、いまの自分がある、あの1試合がなかったら、いまの自分はなかったろう、つまり、あなたの人生観というか、野球観というか、そういうものを変えてしまった1試合です。いいかえればプロフェッショナル集団の底知れない恐ろしさ、そういうものが骨身にしみた1試合という意味です」
 私はこういう意味の話を、かんでふくめるように説明する。
 それでも、なかにはカン違いをして「一番恐ろしいのは死球ですね」などと返事をする男もいる。
 さて、私は柏原純一一塁手(八代東高、日本ハム)をキャンプイン中の沖縄・名護球場で取材した。昼食時間で柏原が、にぎり飯2個とうどんを食べているとき、声をかけた。昼食時間は30分間だから、食べ終わるのを待っているわけにはいかない。
 柏原がちょうど、うどんをすすっている最中、私は取材の狙いを話しだした。すると柏原はどんな反応を示したのか。私の説明の途中部分で、うどんをかみかみ、こんな返事をするのである。
「二年前の後期最終戦、つまり昭和55年度の後期最終戦です。あれが私の野球に対する考え方、姿勢というか、取り組み方を変えちゃいましたねえ」
 たいていの選手たちは、私の質問を聞いたあと、首をひねったり、うなったりして、苦しそうな表情になる。それから思い当たった運命の1試合をポツリ、ポツリと話しだす。
 ところが柏原の場合、口の中にあったうどんを飲み込む前に、うどんをかみかみ、昭和55年度後期最終戦こそ、自分の運命を変えた1試合だという。
 頭の片すみどころか、骨のずいまで、この1試合の悔しさ、恐ろしさが、しみついていたと思う。柏原は右手に、のりの巻きついた三角形のおにぎりを持ったまま、こんな言葉も吐いた。
「試合時間もおぼえていますよ。3時間56分でした。試合開始が午後6時半だから、終わったのは10時半ごろですよ。それから11時すぎに後楽園球場を出て、木田勇、高代延博、岡持和彦さんたちと六本木へ行って飲みましたねえ。悔しさをまぎらわすために、飲んで飲んで——。でも、ちっとも酔えなかったですよ。それから夜明け近い午前3時頃、自宅(東京・大田区中馬込2丁目)に帰ってきたんですが、玄関のところで急に自分が情けなくなりまして——。そう思ったとたん、胃袋の中の物を全部吐いちゃいまして。吐いたヘドの中で10分間ぐらい、すわってましたよ」
 身長1メートル79、体重80キロの男が自分の吐いたヘドの中に10分間もすわりつづけて泣く。
 それはいったい、球団にとっても柏原にとっても、どんな意味を持つ試合だったのか。
 昭和55年10月7日、後楽園球場で日本ハム対近鉄13回戦が行われた。書けば30字で終わってしまうこの試合も、日本ハムにとっては、死ぬか生きるかの後期最終戦であった。
 日本ハムはこの試合の始まる時点で、「試合数64、33勝24敗7分け、勝率5割7分9厘」。2位ロッテに1・5ゲーム差をつけ首位である。そしてこの対近鉄戦に勝てば後期優勝決定なのだ。もっといえば日本ハム球団創設7年目の初優勝である。
 ただし、3位近鉄はこの時点で試合数62、32勝26敗4分け、勝率5割5分2厘。もし近鉄が残り3試合を3連勝してしまえば、勝率5割7分4厘となり近鉄の逆転優勝となる。
 だから、日本ハムにとっては理屈もなにもない。なにがなんでも勝たなければ困る最終戦であった。この夜、三番打者柏原はどんなプレーをしたのか。
 スコアは4対1、近鉄のリードのまま五回裏、日本ハムの攻撃を迎えた。一番・高代延博遊撃手が二飛のあと、二番・島田誠中堅手が鈴木啓示投手から右中間三塁打。ここで三番柏原に打順が回ってきた。
「外野フライでいい」
 日本ハム・ファンは誰でもそう思う。4対1から4対2にしておけば逆転もむずかしくない。
 柏原はこの前の打席まで打数500、安打132、打率2割6分4厘、三番打者としては食い足りない。
「でも柏原は打率2割6分4厘でも、打点が95だから、なんとかしてくれるだろう」
 ファンばかりではない。日本ハム選手の誰もがそう思った。柏原はこの打席で打ったのか。カウント2─3からの6球目、鈴木の内角カーブを空振り三振した。
 試合開始は午後6時30分、試合時間3時間56分、そして午後10時26分、6対5で近鉄が勝った。このあと近鉄は3連勝し、後期逆転優勝をしている。
 試合のあと柏原は岡持、高代、木田、島田、加藤俊夫捕手たちと東京・六本木へ飲みに行った。柏原は水割りを飲みながら、悔しさで胸が潰れる思いだった。4月5日の開幕日から死にもの狂いでやってきて、優勝がきまるという最終戦で勝てないのだ。
 柏原は私にこんな話をするのである。
「一死走者三塁の場面で三番打者が空振り三振した——あれが勝負の分かれ道だったというのは、みんな知りつくしているんですよ。でも一人として文句をいわない。一人として柏原、お前の責任だとはいわない。みんな触れようとはしないんです。だから、余計つらかったですねえ。お前、なにやっているんだと、どなってくれれば、どんなに気が楽になったかわからないのに——」
 同僚が失敗したら冷やかしたり、無視するのはよそう。精いっぱいの心で声をかけてやることだ。文句もいってやることだと私は思った。
「あの試合から一カ月間ぐらい、思い出すのさえゾッとするほど、気持ちが落ち込みましたよ。思い出すのはよそう、よそうと、そればかり考えていました」(柏原純一)
 ところが気持ちが落ち着くと、ふっとこんな考え方を持つようになった。
「おれは首位打者になれる男じゃない。といって本塁打王にもなれる男じゃない。おれの生きる道はただひとつ、走者二塁、走者三塁の場面でそれをホームインさせる打者になることだ。これならできる」
 前にも書いたが、六本本で飲んだ晩、午前3時頃、自宅にもどってきた柏原は、玄関前でヘドを吐き、そのヘドの中ですわりつづけて泣いた。そういう苦しみの果てに、彼はやっと自分の生きる道をみつけ出した。だから今シーズンの目標は——と私が質問すると、打率、本塁打数には一切触れず、ひとことだけこたえた。
「100打点です」
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