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運命を変えた一球25

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:淡口憲治 仕事ができねばメシ食えぬ 長島茂雄三塁手(巨人)をめぐる空振り三振・初打席は、あまりにも有名である。 相手はも
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淡口憲治 仕事ができねばメシ食えぬ
 
 長島茂雄三塁手(巨人)をめぐる“空振り三振・初打席”は、あまりにも有名である。
 相手はもちろん金田正一投手(当時国鉄)である。だが、一流打者のプロ初打席を調査してみると、意外なほど涙を流しているケースが多い。たとえば、こんな状況だ。
 ▽昭和29年=野村克也捕手(当時南海)空振り三振。
 ▽同34年=江藤慎一左翼手(当時中日)一飛。
 ▽同34年=張本勲右翼手(当時東映)見逃し三振。
 ▽同41年=長池徳二右翼手(阪急)右飛。
 ▽同44年=田淵幸一捕手(当時阪神)空振り三振。
 ▽同45年=谷沢健一一塁手(中日)中前安打。
 ▽同46年=荒川堯三塁手(ヤクルト)空振り三振。
 これは余談だが、長島が金田から“デビュー・4打席4三振”を食ったのは昭和33年4月5日、後楽園球場での巨人対国鉄1回戦である。ちょうど桜の季節だった。しかし長島はこのデビュー・4打席4三振を境にして、桜の花がきらいになったそうだ。
「プロ野球選手が、桜の花のようにあんなに見事に散っては(三振しては)飯が食っていけるか」という話である。
 長島は桜がきらいになったせいか、金田が昭和39年12月、国鉄から巨人に移籍するまでの7年間、長島対金田の名勝負・名場面における通算成績は「打率3割1分3厘、本塁打18本」という見事な記録を残している。
 さて、淡口憲治左翼手(三田学園、巨人)の話を書くのに、なぜ長島の話題を先に持ってきたのか。淡口のプロ初打席は“三振”ではない。ちゃーんとバットをボールに当てている。しかし、その心の底は、桜の花がきらいになった長島と同じように、なんともみじめだった。
 昭和46年7月3日、川崎球場で大洋対巨人15回戦が行われた。先発は坂井勝二投手(大洋)と堀内恒夫投手(巨人)で始まった。細かな得点経過は省略するが、九回終了時点で3対3、同点のまま延長戦に移った。
 新人淡口はダグアウトに座っているが、まだ一度も打席に立っていない。
 ところで延長11回表、巨人の打順は九番・菅原勝矢投手からだ。川上哲治監督はここで代打淡口を指名した。マウンドに立っているのは、平松政次投手だった。
「25人の選手のうち21人出場した試合なんです。だから私に出番がくるかなという予感はしていたんですが、指名された瞬間、どきんとしましてね。いま思うとこれで勝負あったですよ」(淡口憲治)
 淡口はカウント2─2後の5球目、外角をえぐるように沈むシュートを打ち、遊ゴロに終わった。あの長島、野村、張本、田淵たちが初打席で三振しているのに比べれば、平松の“カミソリシュート”にバットを当てただけ、ましではないか。
 だが、そう思うのは第三者である。淡口自身はそうは思わなかった。
「ど真ん中にストレートが入ってきた——一瞬、私はそう判断したんです。だから喜んでとびついた。私の気持ちとしてはゴロで一、二塁間を抜けたか、ライナーで右前安打になるか、そんなストレートに見えましたね。だから打った瞬間、顔は二塁方向に向いているんですよ。ところが、ボールは手もとにきて、ぐっとシュートして沈んだため、バットの先端、それも下側に当たって遊ゴロですよ」(淡口憲治)
 アウトになって戻る途中、自分のバットを拾った淡口は青くなった。バットの根元15センチのあたりから斜めに20センチほど裂け目が走っているのだ。
「平松さんの“カミソリシュート”は、新聞やテレビで知ったんですが、これほどだとは——。裂けたバットを見て、口もきけませんでしたね。そのとき心の中で思ったんです。左打者の私は、これからも平松用に代打として起用されるはずだ。平松を倒さなければ、プロ野球で飯は食ってはいけないと——」(淡口憲治)
 かくて淡口はプロ入り初打席で“打倒平松”の秘策と取り組み始めた。
 昭和50年4月5日、後楽園球場で巨人対大洋1回戦が行われた。開幕日である。
 試合は堀内投手と平松投手の先発で始まった。大洋は前半、堀内を攻めに攻めた。二回二死後、三塁走者に長崎啓二中堅手、一塁走者に伊藤勲捕手をおき、九番平松がカウント1─2後の4球目、内角の速球を左翼席本塁打して3点、四回にも四番・シピン二塁手の左翼席本塁打をふくむ4安打を集中して3点、打者18人で堀内をKOした。
 これに比べて巨人はどうなのか。四回終了時点まで安打は七番・矢沢正捕手の1本だけである。大洋は五回にも2点を入れ、8対0と引き離した。
 さて、巨人は五回一死後、矢沢が左腰に死球、八番・河埜和正遊撃手が四球で一、二塁。打順は九番・谷山高明投手に回ってきた。ここで長島茂雄監督が淡口に声をかけた。
「おい淡口、お前しかいない。平松と勝負してこい」
 淡口はカウント2─2後の5球目、外角低めへえぐるように沈む“カミソリシュート”を左翼席3点本塁打した。
「私は本塁打を69本(昭和57年4月19日現在)打っているんですがね。一番忘れられない本塁打を1本さがし出せといわれたら、この開幕日に平松さんから打った1本ですね。理由は外角シュートを左翼方向に本塁打できたということですね。これが内角の速球を右翼席本塁打したというのなら、とっくに忘れていますよ」(淡口憲治)
「ど真ん中の速球だ——」と思って、早く右腰をひらくと球道は外角低めへそれて逃げ、空振りか、当たってもバットの先端である。だから右腰を早くひらかない。次にバットのしんに当てるため、右足を外角寄りにふみこんでいく。さらに左脇を締め、おっつけるように左翼方向に持っていく。
 順序立てて書けばこうなるのだが、平松のシュートは指先を離れてからホームプレート通過まで0・5秒弱しかない。その間にいま書いたような作業をやらなければ打てない。シュートを待っていてカーブがきたら、どう対応するのかという問題もある。
 長島茂雄三塁手が“ミスタープロ野球”になれたのは、昭和33年4月5日、後楽園球場での巨人対国鉄1回戦、つまり開幕日における新人初打席で金田正一投手から、空振り三振したからだという説がある。私もこの説に納得している。
 淡口もプロ初打席に平松の“カミソリシュート”にいじめられなければ、50年の開幕日に平松を打てたかどうか。
「あの開幕日の本塁打以来、平松さんとは相性よくなりましてねえ。いま平松さん、私の顔見るといやな顔しますよ」(淡口憲治)
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