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運命を変えた一球30

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:高木嘉一 世間は自分を中心に回らない 人間の運命なんて不思議なものだ。平社員と全く関係のない会社上層部の人事異動で、平社
(单词翻译:双击或拖选)
高木嘉一 世間は自分を中心に回らない
 
 人間の運命なんて不思議なものだ。“平社員”と全く関係のない会社上層部の人事異動で、平社員の運命まで変転してしまうのだから——。
 当時、新人でしかも二軍にいた高木嘉一右翼手(淵野辺高、大洋)の場合も、上層部の人事異動で運命が激変した。
 昭和47年8月30日、後楽園球場で行われた巨人対大洋21回戦は、3対2で巨人が勝った。勝ち投手は高橋一三(現日本ハム)、負け投手は坂井勝二である。
 この時点で大洋は5位とはいえ、対巨人戦に限っていえば13勝8敗と勝ち越している。昭和56年の対巨人戦4勝20敗2分けを思えば、夢みたいな数字である。
 だが、大洋・中部謙吉オーナーは翌31日、政権交代劇を発表した。つまり別当薫監督の休養、青田昇監督代行の発表である。
 それなら青田監督代行の最初の試合、31日、後楽園球場での巨人対大洋22回戦はどうなったのか。11対4で大洋は負けた。勝ち投手堀内恒夫、負け投手間柴茂有(現日本ハム)である。その晩、青田監督代行は考えた。
「このままでは大洋は巨人にもつぶされてしまう。なにか、あっとおどろく手はないものか——」
 考えに考えた末、ひとりの若者の顔が浮かんできた。
 46年11月のテストのとき、神奈川県相模原市税務部徴収課、いってみれば安定した公務員の生活を捨てて応募、契約金ゼロ、支度金20万円、年俸84万円(月給7万円)で入団してきた変わり者、二軍の高木嘉一の顔である。
「公務員というより、土建会社従業員という顔つきと、筋肉に惚れたわけですよ」(青田昇)
 この時点の高木は、市役所の同期生、妙子さんと婚約中だったので、多摩川の合宿にいた。深夜、青田監督代行から合宿に電話がかかってきた。
「いいか高木。お前、あさっての中日戦から一軍に上がるぞ。せいぜい、今夜はぐっすり寝ておけ」
 くりかえすが人間の運命ほどわからないものはない。巨人戦を13勝8敗と勝ち越しているのに、中部謙吉オーナーが監督を別当から青田に交代させたためにまわりまわって給料7万円で二軍にくすぶっていた男に道がひらけた。男の運命なんて、自分が切りひらくものなのか、他人がひらいてくれるものなのか——。
 さて9月2日、川崎球場で大洋対中日22回戦が行われた。
「なにせ生まれて初めての一軍ダグアウトですからね。右を見れば松原誠さん、左を見れば江藤慎一さん、前を見ればボイヤーさん、みんな神様ばかりですから、太ももがぶるぶるふるえましたね。そのうち先発メンバーが発表されて、小便をちびりそうになりましたよ」(高木嘉一)
 先発メンバーに高木の名前があったのか。それどころの騒ぎではない。なんと青田監督代行は「一番・左翼手」に高木をすえているではないか。
 生まれて初めて一軍登録された日に、一番打者として先発するのだ。高木は小便をちびりそうになったというが、本当はちびったのではないか。
 一回裏、高木は左打席に入った。胴体のふるえが自分でわかる。カウント1─1後の3球目、稲葉光雄投手(現阪急)はカーブを投げてきた。高木はそれを左中間二塁打した。
「打球が左中間を割ったときに思いましたねえ。公務員やめたこともふくめて、これでよかったんだと。プロで飯を食っていける自信みたいなものが、胸のあたりにごりごりって、こみ上げてきましてねえ」(高木嘉一)
 高木は昨年終了時点で安打660本(本塁打77本)を打っている。しかし660本の安打のうち、たった一本を選べといわれたら、この1本をとるという。
 私は本書執筆のために数多くの人物を取材したが、高木のように運命の試合の年月日をすらすら暗記していたのは彼ひとりしかいない。
「初打席で初安打した晩ですか? 電話しましたよ、電話。婚約中だった女房だけじゃなくて、市役所の税務部徴収課の連中にねえ」(高木嘉一)
 昭和51年5月12日、神宮球場でヤクルト対大洋7回戦が行われた。高木が入団して5年目の話である。
「男のめぐり合わせなんて、奇妙なものですねえ。ツイてると思うときにはツイていなくて、ツイてないとガックリする場合は、逆にツイてるんですから——」(高木嘉一)
 それなら高木が首をひねる不思議な運命とはなにか。
 これは余談だが、高木の新人テストのときの舞台裏ばなしを書くと、60メートル競走、80メートル遠投には不合格だった。それが合格したのは、打撃テストのとき右翼席へ数本叩き込み、そのパワーが買われたからだ。
 ところが、入団して5年目になるのに、1本の本塁打も記録していない。
「足と肩は不合格、パワーだけを買われたのに、本塁打が出ない。退団するまで出ないのじゃないか」
 ふと、そんな気分になってしまう。
 さて話題を試合にもどそう。
 五回表無死、打順は六番高木から始まった。カウント1─1後の3球目、渡辺孝博投手はストレートを投げた。高木はそれをバックスクリーン左横に叩き込んだ。感動的プロ入り第1号本塁打である。
「当時、神宮球場のバックスクリーン両脇に、東京スタイルという会社がスポンサーになって、ここのゾーンに入ると婦人服地をくれたんです。私がダグアウトへもどってくると、場内放送で“東京スタイルより婦人服地6着分が高木選手に贈られます”と放送するんです。私は昭和47年10月10日に市役所の同期生の女房と結婚式をあげ、そのころ川崎市多摩区登戸の六畳一間のアパートに、長女の愛子と三人で生活してましたからねえ。女房に洋服なんか買ってやる余裕はない。それが第1号ホームランで婦人服地6着分でしょう。試合中に女房の顔がちらつきましたよ」(高木嘉一)
 ところが、世間は自分を中心に回ってくれない。六回表の場内放送を聞いて、高木は腰を抜かした。
「先ほどの高木選手のホームランは、東京スタイルのきめられたゾーンを1メートルほどオーバーしておりましたので、婦人服地6着分はプレゼントされないことになりました」
 高木はその晩、六畳一間のアパートで待つ妙子夫人の前で、この東京スタイルの一件を話していいかどうか、本気で迷ったそうだ。
 話題を移そう。
 それから2カ月後の7月25日、川崎球場で大洋対巨人18回戦が行われた。六回裏一死後、一塁走者の田代富雄三塁手をおき、七番高木が左打席に入った。小林繁投手は、1─1後の3球目、思い切って内角球を投げた。それが高木の右側頭部に命中、あっと気がついたときヘルメットは真っ二つに割れ、高木は馬が横倒しに倒れるように音を立てて倒れた。私も何度かヘルメットに命中する死球を記者席で見ているが、真っ二つに割れたのは高木のほかにはいない。
 投球がヘルメットに当たったとき、カーンという乾いた音がしない。なんともいえない不快音を残して割れた。高木の倒れ方といい、命中音といい、全身が総毛立つような死球であった。
 高木はすぐ救急車で川崎市中原区にある関東労災病院に運ばれ、精密検査を受けた。だが結果は脳しんとうで異状はなかった。その証明材料として7月27日、広島球場での広島対大洋14回戦に三番・右翼手として先発、八回に中前安打している。ヘルメットが真っ二つに割れたのに、2日後には安打を打っているのだ。
 高木はプロ入り第1号本塁打で婦人服地6着分もらっていたら、あの頭部死球でやられていたかも知れない。理屈なしに、私はそんな気がするのである。
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