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運命を変えた一球31

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:大矢明彦 捕手人間の哲学「大矢明彦捕手(駒大、ヤクルト)は神様だ」というエピソードから書く。 昭和51年12月24日から25日に
(单词翻译:双击或拖选)
大矢明彦 “捕手人間”の哲学
 
「大矢明彦捕手(駒大、ヤクルト)は神様だ」というエピソードから書く。
 昭和51年12月24日から25日にかけて、ニッポン放送ではコメディアン萩本欽一さんを中心に「24時間ラジオ・チャリティー・ミュージックソン」が行われた。
 これに自分から志願し、24時間を通じて萩本欽一さんの隣に座りつづけたのが、実は大矢であった。大矢が最初に電話を受けたのは10歳の少年だった。
「お金、あんまりないんだけれど目の不自由な人に寄付します」
 このひとことで大矢の目頭はもう、うるみ始めた。それから24時間、何回、何十回となく大矢はマイクの前で涙を流した。この時期、プロ野球選手のほとんどはゴルフをやるか、マージャンをやるか、酒を飲むか、サイン会で金を稼ぐかしている。それなのに大矢は自分から24時間、“ラジソン”に奉仕しているのだ。本当に大矢は神様みたいな男だと思う。
 だが“神様”だけで大矢は年俸2050万円をもらえない。これから書くように、ぞっとするようなリードを平気でできる度胸を持ち合わせているから、年俸2050万円、日本一の捕手にのし上がれたのだ。
 昭和53年10月21日、後楽園球場でヤクルト対阪急の日本シリーズ第6戦が行われた。第5戦までの成績はヤクルトの3勝2敗である。
 阪急は三回表、ヤクルトの先発、鈴木康二朗投手(現近鉄)をめった打ちにした。得点経過を書けないほど、打ちに打ちまくった。
 たとえば、一死満塁としたあと五番・島谷金二三塁手の遊撃内野安打、六番・ウィリアムス右翼手の右前安打、七番・中沢伸二捕手が左翼ポールに当たる本塁打といった調子で、気がついたら6点を入れていた。
 さて、スコアが6対0になったとき、大矢はいったい、なにを計算しはじめたのか。私は最初、大矢の口から出てくる言葉を疑った。そして話の意味がわかると“捕手人間”の恐ろしさに改めてぞっとする思いなのだ。
 大矢は神様みたいな顔をしながら、淡々と話すのである。
「阪急の先発、白石静生投手は調子がいいんですね。そこで冷静に客観的に分析すると、6対0というスコアを逆転する確率は低いんです。それならば阪急打者にアメをしゃぶらせ、翌日の運命を賭けた第7戦にアメをしゃぶらせた分、取り返そうと考えたんです」(大矢明彦)
 大矢の計算というか、発想法をくだいて書くとこうなる。
 第1戦から第6戦まで6試合も顔を合わせれば、阪急打者の得意なコース、球種、泣きどころのコース、球種はわかってくる。それなら得意なコースに、得意な球種を投げさせたらどうなるのか。
 打者はいい気持ちで打つと思う。そしてなお得点もプラスするだろう。
 しかし野球というのは不思議なものだ。いい気持ちで2ケタ勝ちした翌日、よくシャットアウト負けしてしまう。前日、いい気持ちでスイングし、自分でも気のつかない間に打撃が大味になっているからだ。
 そこが大矢の狙い目なのである。
「6対0を逆転するのは白石のピッチングからみて、可能性は10%ぐらいしかない。それなら、ここで阪急打者をいい気分にさせ、翌日、その反動で優勝しよう」
 ざっくばらんにいえばこうなる。しかし逆に、いい気分になった阪急打線が第7戦でもなおいい気分で打ちつづける場合だって、まったくないわけではない。そこは運命を賭けた勝負である。
 大矢は五回、本当にアメをしゃぶらせ始めた。阪急打者はどうしたのか。島谷が2本目の左翼席本塁打、ウィリアムスも左翼席本塁打、中沢は中越え三塁打などでなんと5点、計11点を入れた。アメの効果は数分間のうちに出た。
「うちの投手の名前はかんべんしてください。投手自身はいまだに気がついていない話なんですから——。それに私自身、一生忘れられないほど、心の中では申しわけないとわびているんですから——」(大矢明彦)
 試合は12対3で阪急が勝った。その翌日、阪急に“アメ”の反動は出たのかどうか。
 翌22日、同球場でヤクルト─阪急の日本シリーズ第7戦が行われた。ヤクルトの先発は松岡弘投手である。
「阪急と6試合もやっていれば、どの打者はどの球種、どのコースが好きで、どのコース、どの球種をいやがるか、わかりますよ。第6戦では好きなコースにサインを出して、アメをしゃぶらせましたから、第7戦ではいやがるコース、球種にサインを集中したわけです」(大矢明彦)
 阪急にしてみれば、第6戦はいい気分で15安打を打った。それが第7戦になると、がらり勝手が違った。違うのは当たり前だ。大矢がいやがるコース、球種のサインで押しに押してくる。
 スコアは1対0、ヤクルトがリードのまま迎えた六回裏一死後、四番・大杉勝男一塁手が左翼席本塁打、このとき左翼線審・富沢宏哉の“本塁打”の判定をめぐって、上田利治監督が午後2時54分から4時13分までの、1時間19分抗議したが認められなかった。
 さて、試合は松岡が完投シャットアウト、4対0でヤクルトが勝ち、日本一になった。
 しかし、このヤクルト日本一の舞台裏に、大矢が第6戦にアメをしゃぶらせた話は誰も知らない。
 私はここで思うのだ。“捕手人間”とは、このくらいの度胸というか、計画性というか、非情さがなければつとまらない——と。
 だが最後に大矢の年俸をめぐるエピソードを書いておきたい。
 昭和56年12月3日、契約更改に現れた大矢は、球団側が「現状維持の2250万円」を提示したのに、なんと大矢自身、「200万円ダウンの2050万円にして欲しい」と粘りに粘り、とうとう2050万円でサインしてしまった。
「今年、鈴木康二朗、梶間健一、尾花高夫などが悪かったのは私の責任だ」——これがその理由であった。
 この200万円ダウンの気持ちの中に、果たして日本シリーズ第6戦のとき、アメをしゃぶらせ、5点を取られた投手への“謝罪料”がふくまれていたかどうか。私はどこかにふくまれていたと思う。
 こういう投手への、愛情が強い男でなければ、球団側の現状維持提示を誰が好き好んで200万円もダウンしますか。
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