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運命を変えた一球35

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:佐野仙好 カンドウシタ サノハオトコダ 昭和52年4月29日、川崎球場で大洋対阪神3回戦が行われた。先発は高橋重行投手(大洋
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佐野仙好 カンドウシタ サノハオトコダ
 
 昭和52年4月29日、川崎球場で大洋対阪神3回戦が行われた。先発は高橋重行投手(大洋)と江本孟紀投手(阪神)である。
 大洋は一回、一番・山下大輔遊撃手が左翼席本塁打して1点を先行した。ところが、阪神は四回一死後、観客2万5000人が腰を抜かすような、逆転劇をやってのけた。
 二番・原良行遊撃手(現日本ハム)が投手内野安打、三番・藤田平三塁手が左前安打、四番・田淵幸一捕手(現西武)が四球で満塁、五番・ブリーデン一塁手は捕邪飛に倒れたが、六番・佐野|仙好《のりよし》左翼手(中大、阪神)がカウント1─2後の4球目、高橋のストレートを右翼席満塁本塁打、4対1と逆転した。
 佐野は三塁ベースを回ったところで「バンザイ」をやった。当日、試合開始は午後2時である。バンザイしながら走る佐野の顔に、太陽がきらきら輝くのを私は記者席からはっきり見た。それから1時間50分後、このバンザイをしながら走る男が“頭がい骨骨折”で意識不明になろうとは考えもおよばない。
 さて試合は7対6、阪神が1点リードのまま、大洋の九回裏の攻撃に移った。六番・長崎啓二中堅手が三振、七番・福島久晃捕手が左前安打(代走・野口善男)。ここで八番・江尻亮右翼手の代打・清水宏悦が左翼フェンスぎりぎりの飛球を打ち上げた。
 佐野は背番号「9」を記者席に見せて背走、顔を中堅方向に向けながら好捕した。しかし好捕した瞬間、両足は空中に浮いている。しかも捕球地点から外野フェンスまで1メートル前後しかない。そのまま飛行機が着陸するように、コンクリートのフェンスに左前頭部から激突、意識不明になった。
 代走野口はどうしたのか。二塁ベース近くまで走っていたが、捕球するのを確認すると一塁ベースまでもどってきた。
 野口が一塁ベースにもどってきたとき、ボールは誰が持っていたのか。池辺巌中堅手が佐野のところへかけつけると、佐野は白目を出してケイレンしている。本当ならここで佐野のグラブからボールをとり、原に返球するのだが、池辺は佐野を見て仰天した。ボールはとらず、三塁側の阪神ダグアウトを見て「タンカ、タンカ。タンカだ!」とどなった。
 くりかえすが、ボールは佐野のグラブに入ったままである。阪神ナインはどっと現場に走る。これと逆行するように、代走野口は一塁からタッチアップ、走りに走ってホームイン、7対7の同点にした。
 こういう場合、野球規則ではどうなっているのか。
   〈野球規則五・一〇〉
   次の場合、球審はタイムを宣言しなければならない。
   (C)突発事故により、プレーヤーがプレーできなくなるか、あるいは審判員がその職務を果たせなくなった場合——
 だから、まともならタイムがかけられると思うのだが、主審・平光清は「代走野口が走りつづけていたので、タイムはかけられない」として同点を認めた。しかも記録上は佐野に“野選”がつく。
 救急車で川崎駅前の太田総合病院に運ばれた佐野はレントゲン検査の結果、左前頭部に長さ8センチのヒビが入り、頭がい骨線状骨折で全治1カ月と診断された。
 ここで私は思うのだ。「タイム」をかけなかった審判団は正しかったのかと。
 明治38年、真下飛泉作詞、三善和気作曲の軍歌「戦友」の4節でも、こういっているではないか。
 軍律きびしい中なれど
  是が見捨てておかりょうか
  しっかりせよとだき起こし
  仮ほうたいも弾丸の中
 池辺がボールをとらず、「タンカ、タンカ」と絶叫したのは人情である。人情を無視した野球規則なんて味もソッケもない。
 ところで、佐野自身は私にこういった。
「事故が起きたのは六回ごろでしょう」
「打球を追いかけて行ったところまではおぼえていますが、ジャンプ捕球したことも、ぶつかったことも全然記憶にないですね」(佐野仙好)
 二度と思い出したくないためか、当日の新聞記事は読んでいないのだ。さて、この事故から65日目、もう一度、佐野の運命をゆさぶるような日が訪れる。
 5月30日、佐野は退院した。
 私が本当に書きたいのは、佐野の事故の話ではない。どうしても伝えたいのは同年7月3日、甲子園球場で行われた阪神対ヤクルト、ダブル・ヘダー(15、16回戦)なのだ。
 第1試合の15回戦は8対3で阪神が勝ったが、八回表、佐野は守備固めに出場した。あの衝撃的事件から65日、45試合ぶりの出場であった。
 さて、問題の第2試合(16回戦)の先発メンバーを聞いて当日、甲子園球場にやってきた3万人の観客は感動した。「六番・左翼手佐野」と発表されたからだ。
「頭がい骨にヒビが入れば、へたすれば死んでしまう。それが立ち直って野球ができるまでになったのか」
 そういう思いが観客の胸を締めつける。
 二回裏無死、この回は佐野から攻撃が始まる。相手投手は安田猛である。佐野は復帰第1打席に立った。安田は初球、内角低めにストレートを投げ込んできた。佐野はそれをすくい上げるように左翼席本塁打した。
「私は昨シーズン(昭和56年)終了までに64本の本塁打を打っているんですが、一番忘れられない本塁打を選べといわれたら、あの復帰第1打席の本塁打ですね。605号室のベッドで、私は何十回、何百回考えたかわかりませんよ。“おれはもう一度、野球ができるのか。もう二度とできないのじゃないか”——。くる日もくる日も、そればっかり考えていましたからね。それが復帰第1打席で本塁打が打てたんですから。二塁ベースを回るまでは夢のようでしたね。三塁ベースを回ったら涙があふれましてねえ。ホームで出迎えてくれている次打者の池辺巌さんが、よく見えませんでした。おれはまた野球ができる、おれはまた野球ができると、胸の中でどなりながら走りましたよ」(佐野仙好)
 当日、阪神対ヤクルト第2試合はラジオ放送された。
「佐野が先発で出場し、本塁打を打った——」
 これを聞いて、たまりかねた阪神ファンが、阪神の合宿「虎風荘」に電話をかけてくる。「カンドウシタ サノハオトコダ(感動した、佐野は男だ)」という電報まできたそうだ。
 試合途中、沼本虎風荘寮長に女性から電話がかかってきた。
「佐野の母親でございます。このたびは皆さまにご心配をおかけいたしまして申し訳ありません。ただいまラジオを聞いておりまして、ただもう涙が出てまいりまして——」
 退院したあと、佐野は二軍で調整した。そして一軍へもどるとき、二軍選手が、佐野のために輪をつくり、三、三、七拍子で送り出してくれたという。
「頭が割れそうに痛かった入院直後のこと、拍手で送り出してくれた二軍選手の気持ち、これが私の心の支えになっているんです。野球ができるって幸せなんですよ」(佐野仙好)
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