最初に、ものにこだわらない山下大輔遊撃手(清水東高、当時慶大、大洋)のエピソードから書く。
昭和47年4月22日、神宮球場で慶大対立大1回戦が行われた。スコアは3対3の同点のまま延長十二回裏、慶大の攻撃に移った。二死後、二塁走者に臼井喜久男右翼手(飯商)をおき、三番山下に打順が回ってきた。たいていの男なら、顔から血の気の引く場面である。
ところが、山下はウエーティングサークルを出ながら、ダグアウトにいる大戸洋儀監督に話しかけた。
「ライト前、ライト前——」
つまり中村憲史郎投手(横浜南高)の外角球を右前打するという話である。
大戸監督は腰を抜かした。なぜなら、馬場秋広捕手(横浜南高)がマスク越しに、こちらをうかがっているからだ。
だが、山下はカウント1─0後の2球目、予告通り中村の外角球を持田幹雄右翼手(熊谷高)の右斜め前に、ワンバウンドのサヨナラ安打した。同僚に抱きつかれ、頭をなぐられながら、大戸監督と目と目が合うと、山下はニコッとしながらいった。
「ね、監督、やっぱりでしょう」
さて、そういう山下を私は横浜球場でインタビューした。私が本書の狙いを話すと、一瞬、山下の顔がくもった。それから10秒間ほど両手で後頭部をかかえこんだ。そのあと、ポツリ、ポツリとしゃべってくれたのが、これから書く試合である。ものにこだわらない山下にしては、ずい分と深刻な思い出を持つ試合のようだ。
昭和50年4月29日、川崎球場で大洋対巨人4回戦が行われた。先発は坂井勝二投手(大洋)と高橋一三投手(現日本ハム)である。両チームとも坂井、高橋、それに六回からリリーフした小川邦和投手崩しに決め手がない。気がついたら、八回終了時点まで0対0のままだ。
ところが、速いペースですすんだ試合ほど、大詰めで荒れる。くりかえすが、ものにこだわらない山下が、ふるえ上がる場面が九回表、巨人の攻撃で起きた。
巨人は九回無死、七番・矢沢正捕手の代打・萩原康弘(現広島)が四球で歩いた。この瞬間からウソのように坂井が崩れ始めた。八番・河埜和正遊撃手の左腰に死球で無死一、二塁とされると、頭に血がのぼった。九番・淡口憲治左翼手の右肩にも死球をあたえ、なんと無死満塁と持ち込まれてしまった。
一番・柴田勲中堅手を迎えたところで、間柴茂有投手(現日本ハム)がリリーフに登場した。
「九回表、0対0、無死満塁」こういう状況を考えて、谷岡潔三塁手、山下、シピン二塁手、松原誠一塁手の大洋内野陣は数メートル前進守備をとり、本塁送球にそなえた。そして柴田のゴロが三遊間へとんだ。
「ゴロがきた瞬間、体中がカーッと熱くなりましてね。当時、まだプロ2年生ですから。あとは夢中ですよ。逆シングルで捕球して本塁送球したんです。だけど、体がカチンカチンになってますからね。ボールを握っている時間が長すぎたんですかね。ボールがとどかないんですよ。捕手の伊藤勲さんの前でワンバウンドしちゃって、それを伊藤さんが後逸したんです。それで2人の走者がホームイン、2対0ですよ。川崎球場は満員でね。怒りとタメ息が聞こえてくるんです。遊撃のポジションに立っていても、心は地獄だったなあ」(山下大輔)
なお無死二走者を残したが、二番・土井正三二塁手は二飛、三番・ジョンソン三塁手、四番・王貞治一塁手が連続三振して巨人は2点に終わった。
「ダグアウトへもどってきたら、誰もなんにもいわない。だいいち、誰も私の目を見ない。あれはこたえました。せめて“このヘタクソ野郎”ってどなってくれる先輩がいると救われるんですがね」(山下大輔)
だが、私はなお山下を取材していておどろいた。山下の悲しいというか、つらい思い出の試合として、このエラーは半分の部分しか占めていない。あとの半分の部分が残されていたのだ。
「九回裏の攻撃中に起きたんですが、あれもエラーしたときと同じように、つらくてつらくて」
それなら残りの半分とはなにか。大洋は九回無死、七番・江尻亮右翼手が左翼線二塁打、八番伊藤が中飛に倒れた。九番間柴の代打・長田幸雄が四球で、一、二塁となったところで、長島茂雄監督は小川を倉田誠投手に代えた。だが一番・中政幸左翼手も四球で歩き、大洋もまた一死満塁に持ち込んだ。
野球はドラマだというのは、ここらあたりなのか。打順は二番山下に回ってきた。安打で同点、長打なら逆転場面である。
「ウエーティングサークルで待っているとき、本当に胴体がぶるぶるふるえましたね。頭にあったことはただ一つ、一死満塁ですから低めにバットを出し、併殺だけは食うな——それだけです」(山下大輔)
中が四球になった瞬間、山下は打席に向かって歩き出した。このときである。背中から秋山登監督に声をかけられたのは——。
「おい山下——」
山下は振り返って、あっと思った。自分で胃袋のあたりから、すーっと血の気が引いていくのがわかった。秋山監督の後方でバットを2本持った福島久晃捕手が、ダグアウトから出てきた。つまり自分の代打である。
秋山監督は無言のまま山下の前を通りすぎると、主審・松橋慶季に伝達した。
「山下の代打福島」
世間なんて甘いものではない。数分前エラーした山下が、いま一死満塁の場面で逆転打を打てば、涙と感動のドラマ・ストーリーができあがる。それなのに秋山監督はそのチャンスさえあたえてくれない。
この日の山下は第1打席以下、三振、中前安打、四球、投ゴロ、出塁率5割なのに、秋山監督はすとーんと切って捨てたのだ。
しかし、この代打策は成功した。福島の左前安打で1点。三番・松原誠一塁手の右前安打で2対2の同点とした。2万6000人の観客は酒に酔ったようにしびれている。四番・シピン二塁手は三ゴロ、中は本封された。しかし、なお二死満塁の場面に五番・長崎啓二中堅手が中前安打し、大洋は3対2で逆転・サヨナラ勝ちした。
一度は山下のエラーで負けた試合である。それが夢のように逆転した。一塁側ダグアウトの屋根から、ファン10数人がバッタかイナゴのように飛び下り、選手に抱きついた。
しかし、山下だけは不思議な生理現象に悩んでいた。体の右半身は熱いのに、左半身はしーんと冷えているのだ。自分だけが逆転劇の仲間から外された疎外感のぶんだけ、体の半分が冷えて燃えない。
「もうプロ9年生になっちゃいましたけど、あの試合はいつも頭の片隅に残っているなあ。勝った喜びより、プロフェッショナルの恐ろしさが忘れられないって、実感ですねえ」(山下大輔)