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運命を変えた一球41

时间: 2019-05-09    进入日语论坛
核心提示:大橋穣 守備の名人も一球に泣く 大橋|穣《ゆずる》遊撃手(亜大、阪急)が、どれほどの名人芸を持っているのか。たとえば、こ
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大橋穣 守備の名人も一球に泣く
 
 大橋|穣《ゆずる》遊撃手(亜大、阪急)が、どれほどの名人芸を持っているのか。たとえば、こんな資料がある。
 昭和51年8月22日、西宮球場で阪急対日本ハム8回戦が行われた。日本ハムは四回表二死後、一塁走者に指名打者・永淵洋三をおき、七番・加藤俊夫捕手(現大洋)が遊ゴロを打った。それを大橋がポロッと前にはじいた。この瞬間、大橋がつづけていた「144回にわたる守備機会連続無失策のパ・リーグ記録」は終わった。
 私は大橋の持つこの記録を前にタメ息が出るというか、気の遠くなるような思いがする。144回もゴロがきて1個も失策をしないなんて、人間業では考えられない。要するに“守備の名人”である。
 だが、人間なんて不思議なものだ。それほどの名人・大橋が私に向かっていうのだ。
「あのときのライナーをなぜ落としたのかと思うと、いまでも眠れないんですよ」
 社内野球の遊撃手がいうのではない。144回連続無失策で打球をさばいた男がいうのだ。
 昭和53年10月18日、西宮球場で阪急対ヤクルト日本シリーズ第4戦が行われた。あれから4年たったいまでも大橋の頭にこびりついて離れないというシーンは、六回表、ヤクルトの攻撃中に起きた。
 スコアは4対0、阪急のリードのうち六回表、ヤクルトの攻撃が始まった。九番・井原慎一朗投手の代打永尾泰憲(現阪神)が二塁内野安打、一番ヒルトンの中前安打で無死一、二塁とした。
 ここで問題の二番・船田和英三塁手が打席に入った。スコアは4対0だから船田は打った。打ったのはいいが、今井雄太郎投手のシュートにつまり、ハーフライナーが大橋の前にとんだ。
「心持ち二塁ベース寄りで、数メートル前につまったハーフライナーがとんできたわけですね。しんに当たったライナーなら、体が勝手に動いてくれるんですが、ハーフライナーですから、タイミングを合わせながら突っ込んだんです。ところがグラブの土手に当てちゃって落としたんです。タイミングが10分の1秒ぐらいズレたんですね。記録はエラーですよ」(大橋穣)
 これでヤクルトは無死満塁である。このあと三番・若松勉中堅手の右前安打、五番・杉浦享左翼手の一塁線安打などで4点、ヤクルトは同点に持ち込んだ。
 だが、これだけなら大橋も一生忘れられないプレーにならない。4対4で迎えた九回表二死後、一塁走者に代走・渡辺進をおき、ヒルトンが左翼席本塁打をとばし、6対4でヤクルトが勝ったのである。
「翌日の新聞を読んだらですね、“ヒルトンは下手投げに弱い。九回二死後なのだから、なぜヒルトンひとりに足立光宏投手を持ってこなかったのか”という批判が多いんです。そして、どの新聞を読んでも“大橋の落球が同点のきっかけになった”とは書いてない。それだけに胸が痛みましたねえ」(大橋穣)
 それだけではない。この日本シリーズは3勝3敗になった。そして10月22日、後楽園球場で行われた運命の第7戦の六回裏一死後、四番・大杉勝男一塁手の左翼席本塁打をめぐって「あれはファウルじゃないか」という上田利治監督の“1時間19分”の抗議場面となる。だが、ここでも4対0で阪急は負けた。
「私がエラーした第4戦に勝っていれば、阪急の3勝1敗なんですよ。だとすれば多分、第7戦まで展開しなかったのではないか。あの歴史的なホームラン事件も起きなかったのではないか。それもこれも、私が落球しちゃったからかなあと、思いは果てないんですよ」(大橋穣)
 社内野球でも失策をすると「あのとき、あそこで、おれがあんなプレーさえしなければなあ」と、ヤケ酒をあおりながら、やり切れない思いに落ち込む。大橋の胸の内を聞くと、それとちっとも変わっていない。名人でも社内野球でも思いは同じなのだ。野球は人間がやっているのである。
 日本スポーツ界史上、“顔”以外のところに“目”がついているといわれた男が二人いる。一人は先代若乃花(現二子山親方)。もう一人は大橋穣遊撃手である。
 若乃花は体重105キロしかなかった。それでも160キロ級の相手に押し込まれ、両足が俵にかかると動かない。それでも押しに押すと俵の上を踊るようにつたわって、どこまでも逃げる。ときには足の親指1本で逃げる。そういうところから「若乃花のカカトには“目”がついているんだ」と恐れられた。
 それなら大橋の“目”はどこについているのか。“右手指先”といっていい。一塁送球が正確だからだ。捕球もそうだが、一塁送球のコントロールも正確でなければ「144回守備機会の無失策パ・リーグ記録」は作れるものではない。
 私は“右手指先”に目のある大橋に、本書の狙いどころを話した。すると、しばらく考え込んだ大橋は、こういう返事をするのだ。
「あのプレーから4年すぎましたが、夜中にふと目をさまして思い出すと、毛穴という毛穴が総毛立つプレーがあるんです」
 プロ野球とは恐ろしいものだ。右手指先に目のあるといわれる大橋でさえ、毛穴が総毛立つというのである。
 昭和53年9月23日、藤井寺球場で近鉄対阪急13回戦が行われた。近鉄にとってこの試合がいかに重い意味を持つかは、次の資料を見ていただければわかる。この試合の始まる時点で、首位近鉄は64試合、39勝19敗6分け、勝率6割7分2厘。2位阪急は62試合、36勝18敗8分け、勝率6割6分7厘でゲーム差は1。つまり近鉄は、この後期最終戦に勝つと後期優勝が決まる。逆に阪急が勝つと、なお残り2試合があるから、逆転優勝の可能性も出てくるという、どちらも優勝を賭けた試合なのだ。
 先発は鈴木啓示投手(近鉄)と山田久志投手(阪急)で始まった。さて近鉄は一回裏一死後、二番・小川亨一塁手が中前安打、三番・佐々木恭介右翼手は三振に終わったが、四番・栗橋茂左翼手、五番・アーノルド二塁手が連続四球で歩き、二死満塁と持ち込んだ。
 なにしろ優勝がかかっている。さすがの山田も脂汗が浮かんできた。しかも山田は六番・指名打者・有田修三の初球に暴投を記録。三塁走者の小川がホームイン。なお二、三塁のピンチ場面である。もしここで有田に安打されると3対0になり、阪急は苦しくなる。
 カウント2─2後の5球目、山田はカーブを投げた。それが真ん中に入った。有田はジャストミートした。
「やったあ。三遊間を抜いた」
 だれもがそう思った。だが次の瞬間、大橋の下半身が地面をなめるようにすーっと三塁寄りに移動、三遊間最深部で逆シングルで捕球した。
「三遊間の最深部で逆シングル捕球した場合、ステップしなおして一塁送球したら間に合いません。有田君のゴロをとったときも、ノーステップのノーバウンド送球でした。コントロールをつけている余裕なんかありませんよ。とって振り返ったときは、もうボールを離してましたねえ」(大橋穣)
 大橋の一塁送球は目もくらむようなスピード、コントロールで高井保弘一塁手のミットに吸い込まれた。有田の足で1歩分、間に合わなかった。
 試合は4対2で阪急が逆転勝ちした。もし有田の打球が抜けていたら、阪急は逆転できていたかどうか。さらに阪急は残りロッテ戦にも勝って逆転優勝した。
 この試合に勝ち18勝4敗になった山田はMVPに選ばれた。しかし大橋を評価する声はほとんど聞かれなかった。でも大橋はひとり、夜中に目をさましては、自分のプレーに全身を総毛立たせたり、同時にしびれたりしている。
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