芭蕉の人生と文学とについての私の考えを、ざっとまとめて置きたいという気持ちは、大分前からあったが、なかなかその暇を得なかった。一昨年(一九六六)の秋、角川書店版『芭蕉全集』の「評伝篇」をどうしても私が書かなければならなくなり、慌てて筆を執って、三十代までの芭蕉についてはどうやら私の考えを述べ得たが、それ以後は締め切りに追われて極めて簡単な素描になってしまった。
私の考えによれば、芭蕉の大きな転回は二度ある。第一回は三十代の後半であり、第二回は四十代の後半である。第一回の転回については、前記「評伝篇」の中でほぼ述べたので、本書に於いてもほとんどそのままの考えを述べた。文章も重複するところがある。第二回の転回は、『おくのほそ道』の旅を契機とするもので、本書では前著に書き切れなかったところを、かなり書き得たと思っている。
もっとも、平易に書かなければならない本書の制約のため、考証を省いたり、突っこむべき問題を十分突き得なかった点はあるが、これは他日を期すより仕方がない。それでもこの新書の性格からいうと難解に過ぎたのではないかと恐れている。本当は新書版などの形にしない方がよかったかもしれないのだが、講談社の天野敬子さんがうまく私をリードしてくれたので、ようやく一本にまとまったのであるから、今さら何もいえた義理ではない。長い間忍耐強く待ってくれた天野さんにお礼をいいたい。
なお、芭蕉の作品など、古典の原文の引用は、なるべく原文通りとしたが、読みやすいように振り仮名をつけた。原文には送り仮名を省いてある場合が多いので、その場合にも振り仮名をつけて補った。巻末年表には渡辺扶桑子さんの協力を得た。また本書執筆に当たり、多くの先学の研究成果によったことはいうまでもないことで、改めて万謝を捧げる。新書版の性質上、一々注記できなかった非礼についても寛恕を乞う次第である。
一九六八年四月