日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

芭蕉 その人生と芸術18

时间: 2019-05-21    进入日语论坛
核心提示:異体変調からの脱皮自分を滑稽小説の主人公に擬して こうして芭蕉は故郷に帰った。旧暦九月八日のことである。延宝四年の帰省以
(单词翻译:双击或拖选)
 異体変調からの脱皮
 
自分を滑稽小説の主人公に擬して
 こうして芭蕉は故郷に帰った。旧暦九月八日のことである。延宝四年の帰省以後からでも七年|経《た》っている。故郷に今は母はなく、風物も変わりはてていた。
 
何事も昔に替《かは》りて、はらからの鬢《びん》白く、眉皺寄《まゆしわより》て、只《ただ》、命|有《あり》てとのみ云《いひ》て言葉はなきに、このかみの守袋《まもりぶくろ》をほどきて、母の白髪《しらが》おがめよ、浦島の子が玉手箱、汝がまゆもやゝ老《おい》たりと、しばらくなきて、
手にとらば消《きえ》んなみだぞあつき秋の霜
 
(『野ざらし紀行』)
 
という次第であった。 芭蕉はしばらく故郷に滞在の後、大和の竹内村の門人|千里《ちり》の実家を訪れ、当麻《たえま》寺に詣《もう》で、吉野山に登って西行の旧跡を見た。大和から山城・近江路を辿《たど》り、今須・山中・常盤《ときわ》塚《づか》・不破関址《ふわのせきし》を経て、美濃国大垣に出る。ここにはかねて文通のあった木因《ぼくいん》等の知友・門人もいて、俳席が持たれた。それから桑名・熱田・名古屋でも、招かれて多くの俳席に出た。風狂の隠者としての名望が地方にも知られて来ていたのである。
 名古屋では、次の句を発句にして、連句の会が行なわれたが、その発句にも、この頃の芭蕉の心境の一端は示されている。
 
笠は長途の雨にほころび、帋衣《かみこ》はとまりのあらしにもめたり。侘《わび》つくしたるわび人、我さへあはれにおぼえける。むかし狂歌の才子、此国にたどりし事を不図《ふと》おもひ出て、申侍る。
狂句 こがらしの身は竹斎《ちくさい》に似たる哉
 
芭蕉
(『冬の日』)
 
 竹斎は実在の人物ではなく、仮名草子『竹斎』の主人公である。山城の藪医者で、食いつめて江戸へ下る途中、名護屋に入り、狂歌を詠みちらす。つまり滑稽小説の主人公である。
 この句は、名古屋の俳諧作者たちと連句を作る会で披露され、これを発句にして連句が巻かれたのだが、まだ馴染《なじみ》のうすいこの人々に対して、自分は滑稽小説の主人公のようなものなのですよ、と宣言しているわけである。地方俳壇の人々に対して、自分は他の宗匠と違って、俳諧を「狂句」だと思いながら、しかもその狂句に献身している人間だ、世間からなぶり者にされ、戯画化されている竹斎同然なのだ、ということによって、自分を無用者だと宣言する。しかしまた、単なる無用者ではない、世間的な無用者であることによって、かえって純粋に芸術に献身するものだ、と自負を語っていることでもある。
 この時の連衆は、野水(呉服商)・荷兮《かけい》(医師)・重五(材木商)・杜国《とこく》(米穀商)・正平・羽笠等で、この連句を中心に編まれた『冬の日』(貞享元年刊)は、後にいわゆる『俳諧七部集』の第一集となった。始めのところを引用して置く。
 
狂句 こがらしの身は竹斎に似たる哉
 
芭蕉
たそやとばしるかさの山茶花《さざんくわ》  野水
有明《ありあけ》の主水《もんど》に酒屋つくらせて   荷兮
かしらの露をふるふあかむま  重五
朝鮮のほそりすゝきのにほひなき 杜国
日のちりに野に米を苅《かる》   正平
 
(下略)
 
 
ひたすらに風狂の中に沈潜
 歳末に郷里に戻って越年したが、一月二十八日付けの同郷山岸半残宛ての書簡の中で、江戸で出版された俳書の中に、「なまきたへなる句、或は云《いひ》たらぬ句」などがたくさんあるから、もしそんな句を手本と考えたらよくない、前々年の六月に刊行された『虚栗《みなしぐり》』(其角編)の中にも、「さた(沙汰)のかぎりなる句」などがたくさんあるといって、自派の句集である『虚栗』に対しても、批判的態度を示している。
『虚栗』には、漢詩漢語調や字余りの句が多く、奇矯な句や、わざとらしい句が少なくない。芭蕉自身の作品にも、そのような傾向の見られた時期の句集である。芭蕉は、一、二年のうちに、そこを通り抜けてしまった。もう今の芭蕉には、そのような異体変調は「さたのかぎり」となった。問題外である。世間の栄華に抵抗するために、肩を怒らせて、隠者を気取る必要はなくなった。今は、風狂の人という声望を得た芭蕉である。風狂の中に沈潜することが芭蕉の志す方向である。だからこの時期の発句は、
 
尾張の国あつたにまかりける比《ころ》、人|師走《しはす》の海みんとて、舟さしけるに、
海くれて鴨の声ほのかに白し翁
 
(『皺筥物語』)
爰《ここ》に草鞋《わらぢ》をとき、かしこに杖《つゑ》を捨て旅寝ながらに年の暮《くれ》ければ、
年|暮《くれ》ぬ笠《かさ》きて草鞋はきながら
 
(『野ざらし紀行』)
大津に至る道、山路をこえて、
山路来て何やらゆかしすみれ草
 
(『皺筥物語』)
湖水の眺望
辛崎《からさき》の松は花より朧《おぼろ》にて
 
(同右)
 
というような自然調詠や風狂的姿勢が見られるのである。
 この年(貞享二年・一六八五)四月の末に、木曾路・甲州路を経て、芭蕉は江戸に戻った。そして、芭蕉庵にあって『野ざらし紀行』の草稿を書いたり、江戸の門人・知友等と、風雅の交わりを深めたりして、その年は暮れ、
 
もらふてくらひ、こふてくらひ、やをらかつゑもしなず、としのくれければ、
めでたき人のかずにも入《いら》む老のくれ
 
(『栞集《しおりしゆう》』)
 
と詠んだ。隠者としての心境が、ようやく安定して来たさまを見られよう。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%