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小説日本芸譚3-1

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   1 利休《りきゆう》は雪の中を大徳寺から帰った。天正十九年の閏《うるう》正月の末である。七十歳の瘠《や》せた身体に
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 利休《りきゆう》は雪の中を大徳寺から帰った。天正十九年の閏《うるう》正月の末である。七十歳の瘠《や》せた身体に寒さが沁《し》みた。
 出迎えた妻の宗恩《そうおん》が表情を窺《うかが》うようにしたが、いつもの不機嫌な顔で奥に通った。顴骨《かんこつ》が出て、頬がすぼみ、顎《おとがい》のあたりで皮膚がたるんでいた。顔色に疲労があった。
 宗恩が、留守の間に、細川忠興《ただおき》から生貝のあぶり二百個が届いた旨を告げた。
「そうか」
 いつもなら、すぐそれを見たい、というのだが、それはさだめし美味であろう、晩の膳に上すがよい、と云っただけで茶室に入った。
 利休は、炉の前に坐ったまま、茶杓《ちやしやく》をとる様子もなく凝然と身体を動かさずにいた。もとから体格の大きな男だったが、腰が少し曲って、前屈《まえかが》みの恰好は縮んだものだった。
 五徳《ごとく》には紹鴎《じようおう》の霰釜《あられがま》がかかっている。利休の眼はそれにぼんやり視線を当てていた。無論、頭の中では、別なことを考えていた。
 忠興が生貝を贈ってくれたのは、どういうつもりであろうか、と彼は思った。或いは見舞品のつもりでくれたのかも知れない。忠興のことだから、秀吉の周囲の雲行きを逸早《いちはや》く読んだかも分らない。何だかそういうような気がした。
 すると、自分にこういうものをくれる一方、政所《まんどころ》などに縋《すが》って、秀吉と自分の間を執り成そうと運動している忠興の姿が、利休の瞳《ひとみ》には泛《うか》んだ。いつも師には親切な男なのである。
 利休は、忠興がかねがね自分の持っている挽木《ひきぎ》の鞘《さや》を欲しがっていることを思い出した。古雲鶴《うんかく》茶碗だが、長めの筒で胴の前後に黒を交えた丸紋の白象嵌《ぞうがん》があり、自身でも気に入ったものだった。そうだ。あれを進ぜよう、と彼は思った。
 そのとき、利休はふと自分がいま形見分けの心になっているのではないか、という気がした。意識せずにその心算《つもり》になっていることに気づいたといえる。そして改めて、悪くはないな、と思った。
 形見分けをするのだったら、誰に何をやろう、という考えが、はっきり意識に上った。金の屏風《びようぶ》二枚のうちの一枚は、大徳寺の古渓和尚《こけいおしよう》に進上し、ほかの一枚は息子の紹安《じようあん》に譲ろう、と、そんなところから何は誰、何は誰と次々に思いうかべた。が、現実はまだ意識に密着していなかった。間に隙があった。だから、それはどこかまだたのしい空想の部分があった。が、すぐにもその現実は必ず来る予感がした。
 現実が、いよいよ皮膚に触れるまでは興ありげに待つ。利休のその時の気持は、そういう矛盾したものだった。
 そのことは今日、大徳寺で古渓和尚と話したときも同様といえる。
 和尚は山門に上げた利休の木像が秀吉の気色に触れたことを頻《しき》りと心配した。だが、相手はほかならぬ利休である。今まで秀吉の愛寵《あいちよう》をあれほど蒙《こうむ》っていたことであるから、秀吉の側近にいる利休の弟子たちが執り成せば必ず勘気はゆるむであろうと慰めた。和尚は本気でそう思っているらしかった。
 利休は微笑していた。顔では古渓の言葉に和《なご》んでいるようでも、実際はもっと危険を切実に感じていた。他人の言葉の逆へ逆へと考え勝ちないつもの性質からのみではない。今度こそは苛酷な命令を秀吉からうけ取る予感が冷たい水のように湧《わ》いてきた。しかし、それが来るまでには、まだ間《ま》がある。その一分の間に利休の心はあそんでいた。
「不思議なものですな」
 と利休は寺庭に咲いている梅に眼を遣《や》って云った。
「いつぞやあなたを慰めたのはわたしだった。今度は、わたしがあなたから慰められる番になった」
 古渓は以前に秀吉の怒りをうけて筑前《ちくぜん》に流されたことがあった。そのとき送別の茶会を開き、和尚を慰めたのは利休であった。古渓が再び京へ呼び戻されたのは、利休が秀吉に切《しき》りと頼んだからである。が、今度は古渓はそのときの利休にはなり得ない。
「まことに、そうですな」
 何も気づかずに和尚は返事した。二人の老人は声を揃《そろ》えて笑った。
 大徳寺の山門金毛閣に、利休が雪踏《せつた》ばきで杖《つえ》を突いて雪見をしている自分の木像を上げたのは、つい、この間のことである。山門は連歌師の宗長《そうちよう》が自蔵の「源氏物語」を売ってまで建てた。彼の力では山門だけしか出来なかった。その上部の金毛閣が利休の出費でようやく出来上った。和尚はよろこんで、そこに利休の木像を置くことを請うた。利休はそれに心を動かした。己れの費用で建てた金毛閣に自像があることに不都合はあるまい。その時の利休は、そういう心持であった。
 それを誰が秀吉の耳に吹き込んだか分らない。多分、仲の悪い石田治部《じぶ》あたりであろうと思うが、秀吉がそれを聞いて激怒している由であった。
 山門はどのような身分の者でも、下をくぐるところである。その上に雪踏をはいた自像をのせるなどとは、沙汰の限りの僭上《せんじよう》である、というのが理由であった。
 その問題が起ると、利休は出仕を遠慮した。当然に何かの沙汰が来るまで、そうするのが慣行であったが、このまま無事に済むとは思われない直感が時日の経過とともに、利休にはだんだん強くなってきた。
 木像のことは、ただきっかけである。もっと本質的な、目に見えぬ長い間の秀吉との闘争が、ようやくこんな形式を借りて畢《おわ》りに来た、と感じたのであった。
 
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