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小説日本芸譚4-5

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   5 雪舟は、北京に滞在中、大家に近づこうと思ったが、いかなる画家が居るのかさっぱり分らなかった。彼が日本で師とした
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 雪舟は、北京に滞在中、大家に近づこうと思ったが、いかなる画家が居るのかさっぱり分らなかった。彼が日本で師としたのは、牧谿、夏珪、高彦敬を始めとして宋元の故人ばかりである。現在の明の画壇には皆目通じていなかった。
 彼が人から聞いて訪ねて会ったのは、張有声《ちようゆうせい》と李在《りざい》の二人だけだった。この二人は尤もらしい顔をして日本の画家を引見し、画論を勿体《もつたい》ぶって聞かせた。張は流暢《りゆうちよう》、李は朴訥《ぼくとつ》であった。雪舟は感激したが、あとで考えてみるほどの内容はなかった。彼は死ぬまでこの二人を当代二流の人とは気がつかなかった。
 雪舟が、魯庵《ろあん》と鳥鼠《ちようそ》道人の二人の文人を知ったのは、北京を離れ、帰路について再び江南に戻った時であった。雪舟はこの二人に、宋元の名家について学ぶべき者は誰か、ときいた。
「それは玉澗先生である」
 と二人とも口を合せたように応えた。
 若芬《じやくふん》玉澗は、字《あざな》は仲石《ちゆうせき》、上天竺《てんじく》寺の僧で、その絵は早くから日本に舶載され、雪舟も度々見ていた。線をもって輪郭を説明する端正な院画風の画ではなく、ひどく省略された、草体に崩れた水墨画であった。ちょっと見ると、何を書いたか判じ難いものさえある。今まで難解の故に、日本であまり好まれずに、誰もその画風に従うものが無かった。
 雪舟は、二人の文人が声を揃《そろ》えて讃めたので、なるほど玉澗の画はいい、と認識した。この技法は何だと訊くと、
「破墨の法だ」
 と明人は字を書いて教えた。
 破墨、破墨、雪舟は口の中で呟いた。難解で何か在るらしいところがいいのだ。きれいごとに絵を仕上げることの出来ない手先の無器用な彼には、この直感的な抽象画が大そう気に入った。日本では誰も手をつけていないのが魅力だった。
 雪舟が寧波を発って航海に就いたのは、その年の五月であった。魯庵と鳥鼠道人とは訣別《けつべつ》の詩を雪舟に贈った。故国では文明元年と改まったのを知らない。往路と異い、夏の季節で海は凪《な》ぎ、平安な船旅であった。
 〓夫《ぼうふ》良心が隣に坐っている雪舟に気の好さそうな笑いを投げかけて云った。
「長い旅で、わしらはくたびれたが、貴公には、いい収穫だったな。これで日本に帰ってみろ、等楊雪舟の名は金銀の箔がついて日本中に喧伝《けんでん》されるよ」
 雪舟は答えを与えずに、雲と融《と》け合っている海の水平線を茫乎として眺めていた。
 ——良心の云うような収穫があったろうか。人に会って愛想よく迎えられはしたが、内応は空疎だった。往路に抱いていた功名心も、多少のうぬ惚《ぼ》れも、今は微塵《みじん》に崩れていた。巨《おお》きな壁に刎《は》ねとばされてわが身を知らされたといってもいい。
「別に収穫も無かったようだね」
 雪舟は、しばらくして気の浮かない顔で返事した。すると良心は、元気づけるように云った。
「いや、天童山第一座の肩書だけでも大したものだ。落款には、ちゃんとこれを誌すがいいね。それから北京では礼部院中堂の画をかいて大いにほめられたと云うさ。方々から画を求められて困った位は構わないよ。貴公の腕なら、それくらいはあったろうと聴いた者は疑わないからね」
 のちの「天開図画楼記」の筆者は、熱心に説いた。
「それから、誰か画家に遇ったかときかれたら、張有声と李在の二人だけを挙げれば充分だろう。それも、この二氏の跡を見るに学ぶに足らず、明国に師とすべき人無し、と答えてやるさ」
 雪舟に肩を入れている良心なら、それ位のことは飾って吹聴《ふいちよう》して廻るだろう、と雪舟は相変らず眼を海の上に向けたまま思った。
 海は蒼茫《そうぼう》として一物も見えない。天空に夏の雲が湧《わ》いているだけだった。雪舟の眼にはその容《かたち》から十五カ月の旅行で実見した唐土の山容が泛んできた。
「いや、師はあったよ」
 と雪舟は突然、眼を開いて云った。
「何だね?」
「画本でなく、実際の風景に接したということさ」
 これだった。今までの概念的な知識でしかなかった宋元画の山水が、この眼で実地に見て具象的に実体を把握《はあく》したことである。内面の充実がそこにある。何千何百と舶載画を見ても、頼りなげな観念は手本の画に縛りつけられたままである。実地に踏み入って確実に視覚で捉《とら》えた自信だけが、抜きさしならない手本の桎梏《しつこく》から解放されたのである。
「なるほどね」
 〓夫良心は、一人で合点したように、うなずいた。
「すると、唐土の地、山川草木のみがわが師にして人に在らず、というところかね」
「まあ、そういうところだな」
 雪舟は、初めて晴々とした笑いを見せた。
 日本に還ったら、大いに画こうと勇気がでた。幸い瀟湘地方をはじめ江南や北方の写生図も嚢《のう》を満たしている。小幅だけでなく、大作や長巻を手がけたい。構図はいくらでも出来そうだった。それにふと得た創造として、筆の穂先を細書きにせず、禿筆《とくひつ》の効果を出してみたい。それから、唐土の山水ばかりでなく、日本の風土だって描けそうである。まだ誰も試みたことのないという野心らしい意欲が若々しく湧いてきた。これは、周文、宗湛に対する新しい反逆であった。いや、無器用と自覚した己れへの挑みでもあった。宗湛といえば——
「宗湛はわしが、唐土に渡って帰朝したことをどう思うだろうな」
 雪舟は、ふと、悪戯《いたずら》そうな眼元を見せて良心に問うた。
「なに、宗湛なんぞは今に貴公の盛名に、蔽《おお》われて消えて了《しま》うよ」
 すでに、老境に入った二人は、頬に皺を動かして笑い合った。
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