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小説日本芸譚5-1

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   1 古田織部《ふるたおりべ》が、千利休の追放の報《しら》せをきいたのは、その当夜の天正《てんしよう》十九年二月十三
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 古田織部《ふるたおりべ》が、千利休の追放の報《しら》せをきいたのは、その当夜の天正《てんしよう》十九年二月十三日の晩である。愕《おどろ》きはあったが、不意のものではない、とうとう来たか、という感じであった。
 秀吉と利休との間は、その以前から険悪を伝えられていた。それについて、さまざまな雑音が織部の耳に入ってきていた。利休が雪踏《せつた》ばきの己れの像を刻ませ、大徳寺山門の上にあげたのが不遜《ふそん》だと秀吉が恚《おこ》っていることも一つである。彼の茶道具の周旋や目利きに私曲があるとの蔭口《かげぐち》が秀吉の耳に入って腹を立てさせている話も一つである。彼の女《むすめ》を秀吉が所望したのに、拒絶したため憎まれているという噂《うわさ》も同じであった。それらのことは、織部のみでなく、同じように利休について茶を習っている諸大名たちに逸早《いちはや》く知れ渡った。目先のきく大名は、もう利休から遠ざかりはじめていた。
 細川忠興《ただおき》が大そう心配をして、師匠の利休と秀吉の間を、何とか円満に取り成そうと努めていることも織部は知っていた。相《あい》弟子としてその相談をうけたのも先日のことだ。が、彼はそのことが多分は無駄であろうと直感していた。一旦、怒り出したら狂的なくらい感情に駆られる秀吉の性質が分っているからばかりではない。偏窟《へんくつ》で自負の強い利休の性分を承知している故でもなかった。それはもっと二人の本質につながるものの背中合せを感じ取っていたからであった。
 最近までの利休の名望は一種の権勢にまで上昇していた。そのことが気がかりであった。茶道に於《おい》ては「天下一の茶湯者《ちやのゆしや》」の称号を宥《ゆる》され、紹鴎逝《じようおうな》きあと宗易《そうえき》先達なり、と称されている茶頭《さどう》の名声をいっているのではない。秀吉の度の過ぎた鍾愛《しようあい》に、何か利休に危なかしいものが感じられていた。その寵用《ちようよう》によって周囲が彼を押し上げた隠然たる政治的な勢力の座とは別な不安であった。
 富田知信、柘植左京亮《つげさきようのすけ》の両使を迎えて秀吉の沙汰をうけた利休が、聚楽第《じゆらくだい》の不審庵を出て、たった今、堺《さかい》に向った報せをきいたとき、織部にはかねての予感が当ったという満足と、利休の身に起った重大さの意識とがばらばらに来た。
「いま何刻《どき》か?」
 ときくと、戌《いぬ》の刻という返事があった。織部は馬を出すことを命じた。これから淀《よど》川まで舟で下ってゆく師を見送りに行こうというのであった。
 数人の供だけで夜道を駆けながら、織部は、こうして自分のように淀に走っている者は誰々であろうかと考えた。細川忠興は先《ま》ず来るであろう。高山右近《うこん》、瀬田掃部《かもん》、芝山監物《けんもつ》、牧村兵部《ひようぶ》、その他、日ごろから利休について茶の教えをうけている沢山な大名の名を次々に思い出した。しかし秀吉の勘気をうけた今の利休に親切にする不為《ふため》を彼らは知っている筈である。これまで利休に茶道を習っていたのは、実はその光背を慕って寄っていたのだ。宗易ならでは関白様へ一言も申上ぐる人なし、といわれたその権勢に追従してきたとは云えなかったか。その台座が俄《にわ》かに崩壊して当人が転落してしまっては、彼はただの堺の素町人に過ぎない。いや、危険な罪人でさえあった。彼を見送ることは、いつ己れの陥没とならぬとも限らぬ。そう思うと織部の胸に泛《うか》んだ大名たちの名は、指の間から水が洩るように次々と抜けていった。
 雲が無く、十三夜の月が明るかった。あたりは濡れた蒼《あお》い色の中に沈んでいた。淀川が燻銀《いぶしぎん》に流れている。遠くには靄《もや》がたっていた。冷たい風があって、川面《かわも》の蘆《あし》の揺らぐのまで見えた。
 川の中に赤い火が動いていた。松明《たいまつ》を舷《ふなばた》に焚《た》いている黒い舟の影があった。風がそこから微《かす》かな人声を運んできた。
 立っていると、いつのまにか後ろに人が近づいて来た。
「参られたか」
 嗄《しやが》れた声が呼びかけた。霜の降りそうな冷たい枯草を履《ふ》んで横にならんだのは、瘠《や》せて長身の細川忠興の身体《からだ》だった。織部は会釈して、その背後を見た。忠興の供人が三、四人立っているだけで、彼の視界の何処《ど こ》にもそれ以外の人物の姿は無かった。思った通り、ここまで利休を見送りに来たのは、彼と二人だけだった。
「あの舟じゃ」
 忠興は炬《たいまつ》の方に眼を向けたままそれだけを云った。その口吻《こうふん》からすると、彼の方が織部より先に到着したらしかった。そのほかのことは何も云わなかった。月光をうけて氷の面のように光っている川を舟が滑りはじめてからも、忠興は一語も発しなかった。唇からは吐息も洩れなかった。
 織部には、利休を神のように畏敬《いけい》し、今度の事件でも師の身の上を胸が潰《つぶ》れるくらいに心配しているこの武人が、どんな思いで言葉を殺しているかがよく分った。
 暖かい炬の色を水に落しながら、舟は下流にすすんでいた。蒼い光の中で、その光景は妙に現実感が無かった。夢の中の出来事と錯覚すればそうもとれた。ただ、絶えず耳に達してくる水を掻《か》く櫓《ろ》の音だけは別だった。さき程きこえていた舟の人声も今は沈黙していた。
 織部は、その舟の中にうずくまっているであろう利休の姿を想像していた。それが茶席に少し前屈《まえかが》みの恰好で坐っている七十歳の師匠の姿になっていることに不思議はない。前歯が欠けているので、老人特有の下唇を突き出して口を結び、落ち窪《くぼ》んだ眼窩《がんか》の底に、相変らず眼だけを光らせているに違いなかった。織部が想っているのは、ついこの間までは勢威絶頂であったが、今は失脚して数日後には死さえ待っているかも知れない故郷へ戻ってゆく人への尋常な感慨では無かった。隣に黙って佇《たたず》んでいる忠興のことは知らない。炬と櫓の音とを細らせて遠ざかってゆく黒い舟影を見送りながら、織部の胸に来たものは、一種の解放感に似た安堵《あんど》であった。芸術の世界では誰でも持っている、師のどのような恩義でも裏切るあの残忍な満足感だった。
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