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小説日本芸譚5-2

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   2 織部が、はじめて利休の茶会に出たのは天正十一年の秋であった。八年前のそのときのことが、彼には昨日のように思える
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 織部が、はじめて利休の茶会に出たのは天正十一年の秋であった。八年前のそのときのことが、彼には昨日のように思える。大坂城内の秀吉の邸の茶室で、朝から終日催された。座敷の飾りまで憶《おぼ》えていた。床には玉澗《ぎよくかん》の夜雨の絵が掛っていた。前に捨子の大壺を置き、棚に載せた細口の花入には、水仙花が白磁のような花弁《はなびら》を立てていた。囲炉裏には紹鴎の霰釜《あられがま》が五徳《ごとく》に懸っていた。台子《だいす》の上の宮王肩衝《かたつき》、四方盆《よほうぼん》、尼子天目《てんもく》、尼ヶ崎の台、下に引拙《いんせつ》の桶《おけ》、同じく胡桃《くるみ》口の柄杓《ひしやく》立、五徳の蓋置といった細かなものまでいまだに眼底にはっきり遺っている。あのときは、細川幽斎や富田知信、宇喜多忠家、佐久間盛春、高山右近、中川忠吉などという武将と、宗薫、紹安《じようあん》、宗二、宗安らの堺の茶人と同席であった。宗匠として利休、今井宗久、津田宗及の三人が来ていたが、やはり利休の態度が一番立派であった。年老いて縮んだ身体も、座敷いっぱいに大きく見えた。秀吉をはじめ、居ならぶ人数を少しも眼中に置かないような挙措が、織部に利休の芸の偉さを感じさせた。この時は大勢の相客の一人にすぎなかったが、織部が利休と個人的な師弟関係に入ったのはそれから間もなくだった。
 利休は織部に眼をかけてくれた。利休は彼の上達によほど期待したに違いない。そのことは織部を更に茶湯の道に駆り立てた。利休は茶湯者として道具の目利きを必須条件としたから、この方の習練も彼は積んだ。
 あるとき織部は利休に、茶湯の心を問うた。利休は即座に、花をのみ待つらむ人に山里の雪間の草の春を見せばや——古今集の中の一首を吟《くちずさ》んだ。侘《わ》びが茶湯の道理であると云った。茶が侘びである、といったのは何も利休がはじめてではない。利休の師の紹鴎も、その先の珠光《しゆこう》も云った。しかしその心を容《かたち》の上で完成したのは利休である。珠光は、藁屋《わらや》に名馬を繋《つな》ぎたるがよし、とも云い、麁相《そそう》なる座敷に名物置きたるが、風体尚面白し、とも云った。茅屋《ぼうおく》と名器と——この照応から生れる雰囲気《ふんいき》が侘びだというのである。
 利休は、茅屋を尊重して名器の円光を消そうとかかった。茶をする者が唐物《からもの》唐物と珍重するのを、楽焼《らくやき》などの和物に更《か》えた。唐物の天目や青磁は形よりも景色を賞美したが、利休は和物の瀬戸焼や今焼の形の面白さを好んだ。台子、棗《なつめ》、湯次、菓子器、硯箱《すずりばこ》、何によらず利休は黒色を用いた。黒でなければ鼠色であった。この彩度の無い色から受け取る無限の色彩が彼の審美感を満足させた。紹鴎のとき、茶室もせいぜい四畳半だったものが、利休は佗びの本意に叶《かな》わぬといって、三畳、二畳半、二畳、一畳半などという座敷にした。三畳敷をつくったのさえ道の妨げかと悔むのである。数名の客の膝《ひざ》をならべる余地も無さそうなこんな狭い座敷に趣向を工夫して変化をつけた。
 茶室の入り口も、これまでの貴人口を廃して、躙《にじ》り口だけとした。どのような身分のある者も、関白さえも、腰を屈めて這入《はい》らねばならぬ。利休が徹底して茶を東山時代の上流の遊びから庶人の寂《さ》びにしようとする努力は大そうなものである。茶庭はもと松や竹などを疎《まば》らに植える程度であったのを、利休の工夫で露地として完成した。樹を多くして深山幽谷の趣にした。茶室は山径《やまみち》の奥に行当る藁屋の見立てである。従って簀戸《すど》、石橋、棕櫚箒《しゆろぼうき》、露地笠、露地草履、杉柄杓、円座、湯桶《ゆおけ》、雪踏などの創造となる。こんなことをならべるときりがない。釜、床の掛物、花入、茶杓、炭斗《すみとり》、金火箸《かなひばし》、水指、どれ一つとして利休の工夫の加わらないものはなかった。
 或る時、茶人の津田宗及が織部に感に堪えぬような面持でこんな話をきかせた。
「ある雪の朝、わたくしは思い立って利休どのの所へ参りました。利休どのは灯を幽《かす》かに点じて蘭麝《らんじや》をほのかに焚いて居られた。座入りして差向い、何かと挨拶しているうちに、水屋の潜《くぐ》りがあく音がしました。利休どのが申されるに、醒《さめ》ヶ井《い》に水汲《みずく》みに遣《や》った者が、遅くなっていま帰ったとみえる。水を改め申そうといって、釜を引きあげて勝手へ持入られたあとを見ると、寅《とら》の火相とて、えもいわれぬ火相です。棚には炭斗に炭が組んで置いてある。わたくしがそれを卸して、炉中に炭を置き添え、羽箒で台目を掃いていると、利休どのが濡釜《ぬれがま》を持って戻られた。そのすがすがしさ何とも申されぬ。利休どのも感じられてか、かような客に逢うてこそ湯沸し茶を点《たて》る甲斐《かい》が厶《ござ》ると挨拶なされ、まだ暗いうちでしたが懐石を出され、食べている間に夜が明けたことがあります。あの仁《じん》こそ古今の名人でございますな」
 宗及が感嘆して語るうちにも、織部の眼には、暁の雪、名香、醒ヶ井の水、えもいわれぬ火相、棚に組まれた炭、濡釜、未明に出された懐石などが一分の隙も無く逼《せま》ってくる。それはたびたび織部自身が、利休と茶席で差向っている時に感じる苦しいくらいの圧迫感と同じであった。
 気づかなかったが、それは利休の「完成」の息苦しさであった。
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