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小説日本芸譚6-5

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   5 それは異変といっても差支えなかった。俄《にわ》かに江戸の幕府から出府を命ぜられたのである。理由は武州川越の東照
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 それは異変といっても差支えなかった。俄《にわ》かに江戸の幕府から出府を命ぜられたのである。理由は武州川越の東照宮喜多院が先年焼失したので、その再建に当り、拝殿に掲げる三十六歌仙図を揮毫《きごう》せよというにあった。
 これはどのような事情からか彼自身にもさだかには分らなかった。まさか自分の画が江戸まで聴えたとも思えなかった。
 あとで分ったことだが、江戸の大奥に荒木の局《つぼね》というのがいて、かなりの地位にいた。この女中が実は又兵衛の異腹の兄、つまり村重の正妻の子の荒木村常《むらつね》の養母であった。荒木の局は、又兵衛の存在を知って春日局《かすがのつぼね》に頼みこみ、この一代の大奥の勢力家が東照宮再建の奉行堀田正盛《まさもり》を動かしたらしかった。春日局は、正盛の生母である。
 が、それだけではなかった。東照宮はいうまでもなく天海僧正の勧請《かんじよう》であるが、天海と松平忠昌とは特別な親しい関係にあった。忠昌は家康の曾孫であるから、天海も疎略には扱えなかった。忠昌は又兵衛のことを或るとき自慢して、その画も天海に見せた。天海がそれに感服して又兵衛を江戸に呼ぶ気になったことも重要な理由であった。
 だが、又兵衛は、この折角の機会も迷惑にうけとった。若いときなら、無論のこと喜んで出府したであろう。しかし、彼はもう六十になっていた。功名心も野心も疾《と》うに洗い流されていた。機会の来かたがあまりに遅すぎたといえる。辛酸の風雪に晒《さら》されて、髪は真白になり、皺の寄った顔は老醜が漂いはじめていた。不惑をこえて作った二度目の家庭も捨て難かった。
 江戸からの召喚は、しかし絶対だった。応じないとすれば、藩主の忠昌にも迷惑がかかりそうであった。彼は己れの腕の自負をただ一つの恃《たの》みとして重い腰をあげねばならなかった。
 江戸に出たら、果していつ帰れるものか分らなかった。それほど大きな仕事なのである。己れの年齢を思うと、生きて妻子の顔を見られるかどうか分らない。
 又兵衛はまだ雪が解けぬ寛永十四年二月の半ば、梅も咲かぬうちに福井を出立した。妻子は城下の外れまで来て見送った。子の顔が冷たい風の中に赭《あか》いのがいつまでも彼の眼に残った。
 越前国湯尾峠を越えたときは、寒返る山風と大雪に一方ならぬ難儀をした。この道は二十年前、興宗寺の心願に伴われて京から来た道であった。今は、それを逆に還るのである。その心願も五年前に入寂していた。
 峠を越えると又兵衛は一部落について小家に入り、柴《しば》や萱《かや》で焚火《たきび》をたかせ、粟飯《あわめし》をたべ、瓢《ひさご》の酒などのんで人心地をつけた。それから夜明けて行くと敦賀《つるが》の浦についた。浜には海士《あ ま》の塩やく煙が立ち、北の海が茫漠とひろがっている。ここに知り人があって一日逗留《とうりゆう》し、磯辺の貝など拾ってのどかに遊んだ。昨日の峠越えの難儀とは嘘のように変っていた。福井の方角を見ると灰色の重い密雲に閉されていた。
 敦賀を立ち、琵琶湖をすぎて大津に泊り、あくる日、逢坂《おうさか》山を越えると、なつかしい京が見えた。これが見たいばかりに、東下の途中を彼は廻り道をして来たのであった。幼時より三十九歳まで馴染んだ京都は、忘れ得ない彼の故郷であった。二十年、暗鬱な福井の田舎で夢に見たことも一再でなかった。彼は泪《なみだ》をこぼした。
「古郷といひ、都といひ、一かたならずうれしかりし。いにしへには繁昌《はんじよう》のよそひ誠に帝土ぞ高かりけり。みやこは二条油小路にてゆかりの家に人訪ぬれば、年久敷《ひさしく》してあひ見しとて、主のさまざまにもてなして、こよなき心の色を見する程に、十日あまり逗留し侍《はべ》り、むかし見しかたこひしく、しのびかねて方々あるきし。まづ祇園円山雙林寺《ぎおんまるやまそうりんじ》竜山清水《きよみづ》ここかしこに詣《まう》でて日をくらしつ」
 と彼は筆をなめながら日記につけた。
 京の生活は苦労だったが、既往の苦痛は剥脱《はくだつ》して、なつかしさだけが残った。昔みた土地が慕わしく、方々を歩き廻った。土地の様子にも変化があったが、彼自身も老爺《ろうや》になっていた。
 北町のあたりまで歩いて来たときは、足が萎《な》えるほど立ちつくした。大茶会の様子が昨日のことのようであった。子供のときに見た秀吉の派手な風体が、松林の間からいまに出て来そうな幻覚さえした。
 そういえば、あのとき茶坊主が近寄ってきて、彼にひどく丁寧な挨拶をしたものだった。十歳の少年に向ってではなく、一人前の武人に対しての礼儀のある口吻《くちぶり》であった。その瞬間、彼は自分が武人になれぬことを予感したものだった。
 その予感は、五十年を隔てた現在、本当だったと応えに来たと云おう。武人には、まさに成れなかった。とうにそれから転げ落ちた。惨めな生活に何十年となく苛《いじ》められてきた。今も、計り知り難い老いさらばえた身を、行方も遠々しい江戸に運ぶ途中である。
 空疎な長々しい人生がまだ続いている。又兵衛は茫乎《ぼうこ》として北野の松林の中に立ちつくした。
「世のおとろへのかなしさに、ひなの住ひに年を経て、はたとせ余り越前といふ国へ下り、いやしのしづの交り、みやこの事を忘れはてて、老いくくまれるよはひの程——」
 と彼は日記に書きつけた。
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