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小説日本芸譚6-2

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   2 光悦は強気の人で、もし大名にでも生れていたら、さぞ近隣を切り従えただろうと存じます。それというのは、一つはあの
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 光悦は強気の人で、もし大名にでも生れていたら、さぞ近隣を切り従えただろうと存じます。それというのは、一つはあの仁《じん》が信仰している法華《ほつけ》宗の影響もあると思います。この宗派のもっている積極性が、光悦の性格にかなりの役割をしていると私には考えられますが、どんなものでございましょう。
 光悦の法華信仰は遠い代からでございます。祖先は南北朝のころの京の公卿《くぎよう》で従二位五条なにがしの子で、これが刀の目利きに長じて足利尊氏の刀奉行でありました。このひとが尊氏の叔父になる日静上人《しようにん》に帰依して剃髪《ていはつ》し、妙本阿弥陀仏といった。それから子孫は、なかの本阿弥の三字をとって家の姓にしたということでございます。この妙本のあと、妙大、妙秀、妙寿と妙の字のつく名がつづいております。この妙寿の養子は清信《きよのぶ》といったが、義教《よしのり》将軍のときに怒りにふれて投獄され、獄中で日蓮宗本妙寺の開祖日親上人と知り合い、法名をもらって本光となのりました。本阿弥家が代々、光の字をつけるようになったのは、こんな因縁からでございます。本光のあとが光心、光心に子がなく光二を養子としたが、あとで実子が生れたので光二は遠慮して退き、別に一家をたてた、これが分家です。ですから光悦は本阿弥家の分家の子で、本家とは別でございます。
 なんにいたしましても、本阿弥家の法華信仰は大そうなもので、本光が帰依した日親上人は、わが仏法がさかえる間は、本阿弥家も栄えるであろうといったそうです。この上人は、宗旨を弘めるための忍耐力を養う必要から、己れから爪を剥《は》いだり、沸《たぎ》り立った湯に手を入れたりして修行し、獄中のときは水火の責《せめ》はもとより焼けた鍋《なべ》をかぶらされる拷問に遇《あ》いましたが、法を説く怒号の声はやまなかったと申します。私は、この強引な宗教精神が信仰から知らずに光悦の身体に入ったと存じます。
 ひとは光悦が、書道、絵、茶道、陶芸、漆芸などの広汎《こうはん》な世界に、いずれも一流の芸域を築いたことに胆《きも》を奪われて驚嘆いたしますが、私は、これは光悦の野心から出たことだと考えております。およそ一芸に長じた者が、その心を他の芸へ伸ばすことは、素人の考えるほどむつかしいものではございません。或る程度の才能があれば出来ることでございます。ただ普通の者は、己れの本領の芸にだけ心魂を打ち込むだけでございます。ところが強気の者は、そのほかの一つか二つかは自分にも出来そうだと考えます。その通り努力いたします。普通の者は、自分の持ち前の芸だけに縮まって、とてもそんな勇気は出ないのですが、自信家は努力します。その心持が一芸家と多芸家の岐《わか》れ道だと存じます。
 つまり、一芸の心が多芸に通じるということでございます。これが画家が書をよくし、茶を嗜《たしな》む者が茶碗や庭をつくり、彫金の意匠を考えるものが漆絵の工夫もするということになるのでございましょう。一芸の心に徹すれば、才能は変通自在とも申せましょう。
 光悦は大そうな自信家でありますから、さきほど申しましたように大名なれば近隣の国々を切り従えたい位の勝ち気な男ですから、とても書道なら書道に満足している性分ではありません。絵だって描けるぞ、茶道だってやれるぞ、茶碗だって作れるぞ、漆絵だって出来るぞ、という心があります。つまり他人のやっている芸は何でもやってみたいのです。みんな征服してみたいのです。それはもう芸熱心というのではなく、野心であります。自分が何もかも一流にならなければ承知出来ない野心でございます。
 普通の素人のひとには、それが不思議に思われ、光悦が天才のように考えられますが、私にはあの仁の実体が分るのでございます。一つの芸の才能は、少々ほかにも応用出来るものでございます。少し分ったような顔をした人が讃《ほ》めるには、光悦は子供のような好奇心で次々の芸術に突込んでいったなどと申します。これは光悦の性質を知らない人の評でございます。そんな素直なものではなく、あらゆる芸術家の上に立たねば気の済まない傲慢《ごうまん》な自尊心からでございます。
 けれども、すべての芸術に悉く抜群になれるかというと、いくら光悦だってそうはいきません。先《ま》ず、あの仁の一級品はやっぱり本領の書道だけでございましょう。あとの画にしても、茶碗にしても、庭作りにしても、とても書には追っつきません。彫金や漆絵などは実際は職人でなければならぬので、これは別としましても、己れが手をかけて出来るこれらの芸術は書からみると、よほど見劣りがいたします。一流どころか二流以下でございます。世間は光悦が何でも出来るという多才に眼を惑わされ、すべてをあの仁の書と同位に価値を考えます。この辺が世間の人の眼がおかしい訳でございます。また、あの仁には外に向ってそう思い込ませようとするはったりがあります。世間の眩惑《げんわく》は二重になります。
 私は自分勝手な解釈で申上げているのではございません。光悦の性質を知るには、その交際圏を見れば分ります。烏丸光広《からすまるみつひろ》、近衛三藐院《このえさんみやくいん》、松花堂昭乗《しようじよう》などの公卿《くげ》衆とも交わりがあれば、江戸の将軍家をはじめ、土井大炊頭《おおいのかみ》などの老中衆や板倉所司代という権力者にも近づきがあり、加賀の前田家はじめ諸大名ともよし、灰屋紹益《しようえき》、茶屋四郎次郎、角倉素庵《すみのくらそあん》、尾形松柏などの富商とも親交がございます。このうち茶屋四郎次郎は政商であり、光悦の経済的な後楯《うしろだて》でもあります。こんなに貴族権門富豪の間を游《およ》ぎ廻るあくの強い芸術家は、まず前代未聞でございましょう。そして常に己れを宣伝し、わが率いたる一派を前面に押し出そうとしています。どうでしょう、これは、あらゆる芸術に万能となりたいあの仁の野心と通わないでしょうか。
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