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小説日本芸譚6-3

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   3 光悦で、私が認めますのは、書だけと申上げましたが、これは大したものでございます。お師匠さんは、青蓮院宮《しよう
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 光悦で、私が認めますのは、書だけと申上げましたが、これは大したものでございます。お師匠さんは、青蓮院宮《しようれんいんのみや》(尊朝)さまということでございますが、あの肥痩《ひそう》の差のはげしい筆蹟《ひつせき》を見ますと、そこに自ら旋律が奏でられているようで、何ともゆったりとした、しなやかな強さを感じます。あの仁も、とりわけそれが得意のようで、こんな話があります。あるとき、近衛三藐院から、当世の能書家は誰だときかれたとき、光悦は「先ず……さて次はあなたさま、次は滝本坊(松花堂)です」と答えた。「その先ずというのは誰だ」と三藐院が問いかえしますと、「私でございます」と云ったということでございます。いかにもあの仁が云いそうな話でございます。けれども、世の人は三藐院と松花堂とともに当代の三筆と申しますが、私はやはり光悦が図ぬけて上手と存じます。古筆は何人《なんぴと》のものを学んだか分りませんが、王羲之《おうぎし》や空海や道風《とうふう》などの書風に影響をうけたと存じます。ですが、今はあのような自分の立派な書風を完成して居ります。だが、あの書をみますと、やっぱり光悦の性格が出ております。和歌類は初筆をぐっと太くし、ついですぐ細く書き流しております。いかにも自信ありげに、恐れげの無い書き方でございます。
 光悦の書は天下に認められておりました。これはどなたもご存知のことですが、寛政二年でしたか、甥《おい》の光室が江戸で亡くなったとき、光悦は下向いたしました。そのとき、思いがけぬことだったので将軍家(家光)への土産を持参していなかった。土井大炊頭のところに先年書いて進上した色紙があったので、それを一時借りて献上いたしました。つまり光悦の色紙は将軍家への献上品になるほどでありました。それくらい名筆として有名でありました。
 ついでながら、そのときの様子を申しますと、将軍家は光悦に会うと、お前は年とって座敷でもよろよろして居るだろうと思ったが達者で江戸に下るほどの元気があって目出度い、いよいよ養生して長命せよ、とお言葉があり、翌日お暇を下されて時服や銀子を賜った。大炊頭が光悦に、一昨日《おととい》着いて昨日お目見え、今日お暇を下されるような例はないことだから有難く思え、と申しました。これは大炊頭が云う通りで、どのような大名でもそのような例がない。お目通りを願い出てから二、三日は待たねばならぬ、また、お暇を賜るときも時日を要しました。将軍家が光悦に、座敷でよろよろしていると思ったと申されたのは、以前に光悦が中風にかかったことがあり、そのことを云われたので、当時も権現様から烏犀角《うさいかく》を賜ったほどでございます。
 光悦がこのように江戸将軍家から殊遇をうけたのは、ただ親の因縁からだけではございません。あの仁が天下一の芸道家であると思われているためでございます。
 さきほどから、くどくど申します通り、私はあの仁については、書道以外には認めて居りません。早い話が、絵にしても、その師匠といわれる海北友松《かいほうゆうしよう》には及びませんし、茶道や茶碗にしても師匠の古田織部《ふるたおりべ》には叶《かな》いません。師匠を抜いているのは、ただ書だけでございます。それを、何もかも一流に秀でているように思わせるのは、あの仁の巧妙なはったりと強引さでございます。
 しかし、強引さやはったりだけではない、それだけでは、そういつまでも世間をごまかすことは出来ない、ということを今度は申し上げようと存じます。やっぱり、何かがなくてはなりません。
 さきほど、一芸に長じれば、その心持は諸芸に通じると申しましたが、その感性がさすがに光悦は鋭うございます。そして己れの感性を確かに具現させる腕が光悦にはあるのでございます。つまり、己れが指図して、誰彼の芸を己れの思うままのものに仕立てる、そういう腕は大したものでございます。その感覚と手練は、認めないわけには参りません。つまり、あの仁は書道以外は、諸芸術家の采配者《さいはいしや》であります。決してあの仁自身が秀でたる実技者ではないのでございます。それを世間は混同して、いかにも万事秀でたる芸術家のように思うのでございます。また、そう思いこませるように装っております。そこに光悦の企んだ振舞があるのでございます。
 ところで、始末の悪いことには、あの仁に感覚があるだけに、われわれは、つい、その采配に従ってしまいます。いや、これは云い方が弱うございます。もっと強い支配をうけとります。私などは、あの仁に圧迫さえ覚えるのでございます。私は親の代から刀剣の鐔《つば》、鞘《さや》飾りなどの鋳金に従って居りますが、光悦の大きい眼で透すように仕上げを視られるときは威圧さえ覚えます。これは漆塗り師にしても、象嵌《ぞうがん》師にしても私と同様なことを云って居ります。
 こう申しますと、それはお前たちは一部分の工程に携わる職匠だから当り前だと云われるかもしれません。けれども、われわれは自分の技芸には自負をもっております。ほかから指図されても、普通の人間では動くものじゃございません。己れの技芸に思い上りがありますから、向うの云うことを小莫迦《こばか》にいたします。そして自分を出したがるものでございます。ところが、あの仁にかかっては、全く自分が惨めに萎縮《いしゆく》してしまって、云うがままになるから妙でございます。己れは完全に喪失し、自分が光悦の手の指の一本に化けてしまうのでございます。
 大きな坊主頭、ぎょろりとしている眼、肥えた鼻、厚い唇、歯だけは抜けているが、脂のういた皮膚、そうしたあの仁の精力的な赭《あか》い顔を見ますと、いやらしさを感じながらも、重い石でも据わっているように手向いの出来ないものを覚えます。いや、それはわれわれだけではございません。あの俵屋宗達《たわらやそうたつ》だって同じでございます。
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