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小説日本芸譚6-4

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   4 宗達はこの鷹ヶ峯には住まって居りません。あれは京の唐織物《からおりもの》屋で分限者《ぶげんしや》ですから、洛中
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 宗達はこの鷹ヶ峯には住まって居りません。あれは京の唐織物《からおりもの》屋で分限者《ぶげんしや》ですから、洛中に大きな家をもって居ります。けれども、精神的には全くここの住人と同じでございます。何故《な ぜ》なら、あれも光悦の手の中に握られた男でございますから。
 宗達が誰に絵を習ったか、詳しいことは分りません。あの男は、口が重いから滅多に自分のことを話したことがありません。けれども、私が思いますに、これという師匠は無かったのじゃないかと思います。それは絵の手ほどきくらいは誰かに受けたに違いありませんが、名のある師匠ではなかったと存じます。その方が、結局、幸いして、師匠の癖をうけない自分の絵になったのだと思います。お気づきになりませんか。宗達の絵の描線にどこやら素人臭い頼りなげなところがあるのを。
 はじめに習っていたのは、唐画《からえ》でございましょう。今でも水墨画をかくのはそのせいです。そのまま進んでゆけば、永徳《えいとく》や山雪《さんせつ》がかくいまの狩野《かのう》派のような絵になったと思います。それを途中から土佐《とさ》派に惹《ひ》かれたらしいのは、光悦の指図だと思います。
 土佐派は、と、わざわざお断わりするまでもなく、唐絵に対して大和絵の伝統を守ってきたが、狩野派の盛大にくらべて、いや、それに圧倒されて振っていません。それは土佐派が昔ながらの技法にかかずらって、相変らず狭い緻密《ちみつ》な絵をかき続けてきたからでございます。信長、秀吉といった、室町の貴族とはおよそ反対の、気宇の大きい武家権力階級に狩野派の壮大さは迎えられても、巻物に縮こまった土佐派がうけ入れられる筈がございません。けれども、土佐派の、王朝風な色の鮮やかな装飾性は、光悦の好みにぴったりと合いました。
 光悦は、その歌道の素養から、平安朝に憧《あこが》れている男です。あの仁が、色紙に好んでかくのは、古今集や新古今の和歌ばかりでございます。書だって定家に似ているではありませんか。土佐派は、室町以来、御所絵所預《えどころあずかり》として王朝風の優雅な美しい絵を描きつづけてきたのでございます。
 されば、いかにも光悦が好みそうな絵でございます。典雅な装飾性が何とも申されません。元来、光悦という人は、ひどく装飾性が好みに合う人でございます。ですから、あの仁の芸術の本質は、意匠だと私は考えております。意匠以外には何にもありません。やれ光悦の書がどうの、絵がどうの、茶碗がどうの、蒔絵《まきえ》がどうのといったところで、みんな意匠です。少し酷に申しますと、まあ飾り芸術でございましょうな。それは本職の刀剣拵《ごしら》えから出たことで争えぬことでございます。
 ですから光悦が宗達を知ると、——さあ、いつから知り合いになったか分りませんが、宗達は光悦の従妹《いとこ》の夫《つま》ですから、そんな縁組みがあって後のことでございましょう。どっちにしても、光悦は宗達を知ると、彼は土佐派の描法をすすめたに違いありません。すすめたというのは普通の云い方で、あの仁一流の指図をしたのだと思います。
 それも、土佐派そのままというのではない。狩野派のように、襖《ふすま》絵や屏風《びようぶ》絵のように大きなものをというわけです。土佐派のやりかたでは、いかにも小さいのです。幸い、宗達は唐絵をやっておりますから、大きなものを描くのには慣れております。
 けれども、唐絵の描法で土佐絵の色を容《い》れることは永徳がすでにやって居ります。色彩は華美になったが、優雅というわけには参りません。やっぱり硬い。そこで宗達は、土佐を主にして狩野を容れる試みをしました。土佐の色に狩野の線を調和させることです。つまり、線を使うときには、焦墨《しようぼく》の硬いものを捨てて、淡墨の柔らかい曲線にし、線も色彩も同価に置く。出来れば没骨《もつこつ》法でいって、堅い線も生硬な色彩も避ける。それで全体の調子をぐっと柔らげる。そうして優雅な落着いた感じを出すのでございます。
 光悦の心がけは、万事意匠でございますから、そうした新しい絵を宗達に描かせただけでは気が済みません。構図を出来るだけ装飾風にとらせました。色彩も濃い色で画面をずぼりと塗りました。淡い色が全くありません。色の墨暈《ぼかし》だって狩野法と違って、宗達のは繧繝《うんげん》塗りでございます。
 こう申すとお気づきかも知れませんが、ほら、あの評判の「舞楽図屏風」でございます。あれ一つ例にとったってそうじゃございませんか。
 金地を庭前になぞらえ、輪舞する崑崙《こんろん》八仙、輪形の蛇を手にする還城楽《げんじようらく》、竜頭の面をつけた蘭陵王《らんりようおう》、立姿と後姿の納曾利《なそり》、鳩杖《はとづえ》を手にした翁《おきな》、これらが意匠的な配置でおかれています。一双の屏風のもつ一番遠い距離は左上の角《すみ》と右下の角の対でございますが、これには桜と松の一部と、反対側に楽器と幕舎《まくや》の一部を覗《のぞ》かせて、画面に限りない広さを思わせています。人物の配置は、水の流れるような曲線の上におかれてございます。
 樹を緑青の下地に、細かく葉描きをしたところは土佐絵そっくりの描き方ですが、幹は墨に白線のたらし込みをしています。たらし込みも土佐のやり方ですが、宗達は唐絵の墨画をやってきただけにそれとも異《ちが》う別な味を出しております。ほかの絵には墨に金粉をまぜて書いたりしている。どこまでも装飾が主でございます。こんな風に墨暈の調子を出しますと、細かい描写はさほど入用ではなくなります。宗達の描き方が簡略なというのは、こういうところからもきておりますが、簡略な描法というのは、模様に必要な条件でございます。模様、つまり、意匠でございます。
 そういえば、宗達は、大てい、太い、ずぼりとした線で括《くく》っております。稍々《やや》細い線でも、初筆に筆勢を見せるということがない。初めから、すうと引いております。これも模様絵には、都合のいい線でございます。太い線は豪快でごまかせますが、私の眼からみますと、この細い線は、少々頼りなげでございますな。びりびりしてぎごちのうございます。私が、さきほど宗達に素人臭いところがあると申したのは、こんなところでございます。
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