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小説日本芸譚6-5

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   5 したが、色の配り方は、さすがに巧みでございます。また「舞楽図屏風」を引き合いに出すようですが、左の四人の衣裳《
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 したが、色の配り方は、さすがに巧みでございます。また「舞楽図屏風」を引き合いに出すようですが、左の四人の衣裳《いしよう》は青色、次の二人は赤色、その次は青色、その次の翁は白色という風に、寒い色と暖かい色とを交互におきかえて、見た眼に、色の移り変りの綺麗《きれい》さを狙っております。あの八曲一双の扇面散らし屏風の中の合戦図だってそうでございます。着物が緑ならば、下着の赤をちらりと塗り、人馬がならべば、一方は白馬に紺糸の鎧《よろい》、別な方は黒馬に緋縅《ひおどし》といったようにしております。すべて、色の変化、変化と考えております。これが意匠だと私は云いたいのでございます。
 それが、一番露骨に現われているのは、扇面散らし屏風でございます。これは全く光悦の思う壺になっている意匠絵でございます。四十八もの扇が、重なったり、離れたりして散っているのですが、それが、もう模様です。画題は保元平治《ほうげんへいじ》物語からとっていますが、合戦の場面ばかりではない。間には草花の絵があったり、伊勢物語を挿《はさ》んだり、西行《さいぎよう》法師の話があったりしている。純粋な絵には程遠いものです。扇面では、六曲一双の扇面流しもその通りでございます。浪を描いた地に、扇と色紙が散らばっております。色紙の中には土佐風の密画をかき、扇面には花鳥を描き入れている。中には歌をかいたのもあります。絵ではなく、模様図案でございますな。まあ、われわれが鐔や蒔絵を細工しているのと、意匠ということではちっとも変りはありません。それはそうでしょう。いずれもみんな光悦の意匠でございますから。宗達の絵は、光悦の工芸なのでございます。
 それから宗達に、五十四帖《じよう》の場面を悉《ことごと》くかいた「源氏物語屏風」とか、「関屋澪標《せきやみおつくし》図屏風」とか、「浮舟《うきふね》図屏風」とか平安期の物語に取材した画題が多いのですが、何度も云う通り、これは光悦の王朝趣味です。宗達は光悦の思いのままに使われたのでございます。
 こう考えてみますと、宗達はまるで光悦の呪縛《じゆばく》にかかったようなものでございます。宗達ほどの者が、と仰言《おつしや》るかもしれませんが、有りようはそうでございます。画題からして、宗達の独創でないことは、光悦がいろいろ室町期の古い絵から取って与えていることでも分ります。ですから、宗達の描いたものには、古い画のあの部分、この部分が入っております。誰もまだこのことには気がつきませんが。
 可哀想に、宗達も、また、われわれと同じように、光悦の一本の指でございます。彼も光悦をいやらしい男と思いながら、その強引な圧迫から解放されることが出来なかったのだと存じます。
 光悦は、宗達に下絵を描かせて、その上に書を書き流しています。絵は桜や、藤や、秋草や、千鳥といった四季の花鳥の類ですが、さすがに見事な絵でございます。光悦は、その上に、まるで白紙の反古《ほご》にでも書くように無造作に書き流して居ります。宗達の絵など、まるで眼中にないような、無遠慮な書き方でございます。よほど自信がないと、ああは書けません。宗達を自分の下職《したしよく》か何かと心得ているような傍若無人な筆の下ろし方でございます。私は、光悦が宗達の下絵を手にして、厚い唇に薄ら笑いを上《のぼ》せ、あぐらでもかいていそうな気がいたします。
 そういう光悦に、宗達は「あの爺め」と唇を噛《か》んで反撥しているように私に思われます。いや、これは宗達から聞いたわけではございません。あの口の重い、おとなしい宗達が、そんなことを云う気遣いはありませんが、私の想像でございます。そして私と同様、光悦の巨《おお》きな重量に、反撥は己れだけの小さな呟《つぶや》きとなり、相変らず身動き出来ないのではないかと存じます。
 そうそう、それについては、こんなことがございました。
 丁度、私が拵え上げた鐔をもって光悦の屋敷に行きますと、折から宗達も来合せておりました。描き上げた絵を十枚ばかり座敷にひろげ、光悦は硯《すずり》を横において、一枚一枚、それに筆を走らせておりました。走らせているといっていいほど無頓着《むとんじやく》な書き方でございます。われわれが親類に消息を認《したた》めるよりも、もっと平気な無造作でございます。宗達は、傍に畏《かしこ》まってそれを眺めて居ります。私は、宗達が丹誠して描いた絵を、あんな風に光悦に無頓着に、筆を下ろされては、さぞ堪《たま》るまいと、ひそかに宗達の顔を窺《うかが》ったくらいでございます。そのうち、光悦は一枚を書いて横に除き、次の一枚をとって筆をつけようとしていましたが、ふとその手をとめ、絵をあの大きな眼でじっと見ていましたが、何と思ったか、宗達の方を向いて、「これは、いけないね」と云ったかと思うと、ぽいとそれをはじくように宗達に戻しました。私は、はっとしました。宗達の顔を見ますと、さすがに宗達の表情も硬くなっていました。けれども、彼は何も云わずにちょっと低く頭を下げると羞《は》ずかしそうにその絵を自分のわきに置きました。一体、光悦という男は何という男だろう、宗達ほどの絵描きに対して思い上りも程がある、と半分は呆《あき》れ、半分は憤りを覚えました。ところが、次には、それよりももっとひどいことが起りました。光悦が全部を書き終って、改めて字を見直しておりましたが、二枚だけとりあげると、いきなりそれを破ったではございませんか。私は思わず、口の中で、あっといったくらいでございます。
 宗達はとみると、これも顔色を蒼《あお》くしておりました。すると、光悦は、その宗達をみて、にやりと笑い、「今日は出来が悪い」と呟きました。宗達の気持などてんで考えていない平気な顔つきでございます。
 そりゃ手前の字が不出来で破るのは勝手かも知れませんが、白紙ではございません。宗達が苦心して描き上げた絵でございます。それを稽古紙か何かのように、いきなり裂くとはどのような根性をもっているのでしょう。一言、宗達に詫《わ》びるならまだしも、本人の目の前で反古のように破り捨てるとは、もはや、おどろいたの呆れたのというのではなく、とんと声が出ません。ところがこれほどの侮辱に会っても宗達はそれに一言も苦情をいわないのです。相変らず気弱げに眼を伏せているではございませんか。私は、もう見るのが気の毒になって、用事にかこつけてその場を逃げ出しました。
 外に出ますと、私は一層腹が立ってきました。光悦のやりかたの傲慢さにわれながら気持の遣《や》り場が無いくらいでした。けれども、私は草の上に坐っているうちに、次第に心持がおさまってきました。おさまってきたというよりも、宗達のあのときの気持が分ってきたといったがいいでしょう。私にはよく判ります。それは私が今まで光悦から何度となく味わわされた気持です。どうしても抵抗出来ない悲しいあの気持です。この鷹ヶ峯の住人が例外なく散々味わわされている気持です。光悦の前に出ると、われわれは小石のようになって了《しま》うのです。気の毒に、宗達も、真黒い心になってとぼとぼと山を下って京に帰ったに違いありません。光悦の指にわれわれは全く縛られて居るのでございます。
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