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小説日本芸譚6-6

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   6 光悦の指は、まだまだございます。角倉素庵は光悦の書道の弟子でございますが、この豪商が朝鮮渡りの印刷道具で出板《
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 光悦の指は、まだまだございます。角倉素庵は光悦の書道の弟子でございますが、この豪商が朝鮮渡りの印刷道具で出板《しゆつぱん》を思い立つと、色変りの紙に、いろいろな下絵を雲母《きらら》刷りにさせております。これも光悦一流の意匠でございます。謡本百番の用紙などは、色染めの雁皮紙《がんぴし》に、鹿、蝶、月、蔦《つた》、槇《まき》などの具引《ぐび》き雲母模様にさせております。下絵は光悦という者が居りますが、宗達が描いたと思います。この題字は、光悦が自分で書いたのもございます。
 それから茶碗でございますが、世間には随分ほめる人があります。ひいきは勝手ですが、光悦をえらく思うあまり、賞め方も少々、度が過ぎた云い方をする人もあります。
 なに、あれは大したものではなく、織部には遥《はる》かに及びません。これは余人にやらせるのでなく、じかに自分がするのですから、出来不出来がすぐ分ります。本人は、松花堂よりうまいと自慢していますが、あれは素人芸でございます。楽焼《らくやき》に赤焼が多いのは、この方が黒より素人にらくだからで、なかには割れ目があったり、窯《かま》破れがあったりしている。「障子」と名づけた茶碗は、窯破れのために、陽が透いてくるところから由来したようで、勿体《もつたい》をつけたものでございます。「不二」は黒楽ですが、上に白釉《はくゆう》をつけています。この白黒というのは光悦意匠でございますな。
 それにくらべて、蒔絵の方は、光悦が指図するだけで、実際の制作はわれわれ職人がやるのですから、光悦の芸術の特徴が一番よく出て参ります。これは意匠そのものですからあの仁の得意とするところです。評判の「舟橋硯箱」は、光悦屋敷の隣にいる土田宗沢がこしらえたものですが、蓋の弓なりの形、金蒔絵の舟と橋、鉛の幅広い橋、東路《あずまじ》のさのの、という古歌の銀文字の散らし。これくらい光悦の意匠が露骨に出ているものはございますまい。「左義長《さぎちよう》硯箱」や「忍草《しのぶぐさ》硯箱」などいろいろございますが、みんな蒔絵の描き方や方法が異います。これは当り前で、職人がそれぞれ異うからで、光悦自身が手を下したのは一つもございません。ただ己れの意匠で申しつけるだけでございます。
 まあ、あの仁のいいところも悪いところも、蒔絵に縮まっているとみてよろしいと存じます。
 結局、私は光悦については、書以外には認めないのでございます。世間で評判している万ず秀でたる正体はこんなところでございましょう。私は、一つの芸の心は多芸に通じると申しましたが、あの仁のその心とは意匠だということがお分りになったと存じます。書も、絵も、茶碗も、蒔絵も、みんな意匠でございます。
 われわれは、光悦の不思議な采配に動かされております。光悦という天才的な名前だけが世間に輝き、われわれは永久にその下積みになっております。光悦の世間への身振りというものは、なかなかうまい。茶屋四郎次郎、角倉素庵などという豪商を己れにひきつけていることは、どんなにあの仁の得になっているか分りません。当節は、次第に金のある町人の世の中に移っていますからな。士《さむらい》衆はせいぜい位を足場に踏み堪《こた》えていますが、実力のある町人にはこれから圧《お》されてゆきます。江戸の幕府が光悦を見下さないのは、光悦にこんな世間的な位置があるからだと思います。それから堂上方との交際を抜け目なくしているということも、あの仁を何となく偉くみせております。その辺、自分の売り方はなかなか心得たものでございます。
 まあ、われわれは光悦という名前のかげに埋もれている職人でございます。宗達ほどの者さえ、光悦という輝きのために、光がうすうございます。その点は、紙漉《かみす》きの宗二や筆つくりの妙喜などとあまり違っていないといえましょう。光悦は、われわれの矢を刎《は》ねかえす石のような重さを身につけております。
 けれども、光悦だって己れの世間への身振りを、時々、寂しく思うことがあるに違いありません。世間の評判と、己れの中身との開き、その隙を寒い風が吹き抜けてくるのを感じていることでしょう。そう思うと、あの大きな坊主頭と光っている眼と肥えた鼻と厚い唇とが、一瞬にちぢんで、ただの中風病みの老人に萎《な》えて見えてくるから奇妙でございます。
 一度、そんな光悦を見かけたことがございます。私が仕上げた鐔の細工を持って行きますと、あの仁は掌の上にそれをうけて、ぼんやり視て居りました。私は、また何か小言を食うのではないかと、おそるおそる顔色をのぞきますと、光悦は何か考えごとでもするように、長いこと眺めていました。いつものきびしい目ではなく、虚《うつ》ろな、そしてどこか感嘆の色さえ出ている目でございました。それから、ふと自分にかえったように私を見ると淋しそうな笑いを泛《うか》べて、「茶でも呑もう」と誘いました。私は、はっきりその瞬間、光悦の敗北を感じとりました。ただ、これは後にも先にも、一度きりでございましたが。
 まあ、そんなことを時には考えて、私は自分の気を晴らしております。
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