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小説日本芸譚7-1

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   1 寛政七年正月の半ば、午下《ひるさが》りであった。 寒い日である。東洲斎写楽《とうしゆうさいしやらく》は、鼻の頭
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 寛政七年正月の半ば、午下《ひるさが》りであった。
 寒い日である。東洲斎写楽《とうしゆうさいしやらく》は、鼻の頭を赤くしながら、八丁堀の自宅を出て弾正橋《だんじようばし》を北に渡った。掘割の水が凍えそうな色をし、霰《あられ》が落ちていた。
 掘割に沿って真直ぐすすむと、南伝馬町《みなみてんまちよう》になる。それを東に曲るところで写楽は、ちょっと足が怯《ひる》んだ。角は辻番《つじばん》である。その隣が絵草紙屋であった。大錦絵、大判、間《あい》判、長判、小判などが、一枚もの、二枚続き、三枚続きにわけて雑然と店さきにならべられてあった。店の奥は暗くて往来からは覗《のぞ》けない。が、それを後に背負って、前屈《まえかが》みの親爺《おやじ》がいつも銀煙管《ぎせる》を咬《くわ》えて端然と坐っていた。
 いや、端然というのは写楽の見た形容だが、親爺は火鉢を抱えてあぐらをくんでいるのかもしれない。ただ、彼はいつも眼を店先に向けて、ついぞ顔を横に向けていたのを見たことがない。それは絵草紙を択《よ》っている女客の手もとを監視しているときでも、客がなくてぼんやり往来を眺めているときでも、親爺は表を通る写楽を視界に捕まえるために意地悪く構えているように思われた。
 いま見ると、店先には幸いに客が立っていた。三人は町家《ちようか》の若い娘で、互いに喋《しやべ》りながら中腰で品選びしていた。少し離れて屋敷の宿下りらしい女中が、ひとりで草紙に見入っている。写楽は、やや勇気を得て、こっそりとその前を通りかかった。
 が、やはり親爺は写楽の姿をのがさずに、小暗い店の奥からお辞儀をした。これがいけないのである。写楽は眼の端にそれが入ると、矢張り軽く頭を下げてしまった。それから、いつものことだが、あわてるように足を早めて通り過ぎた。写楽は、仕事に倦《う》むと八丁堀から畳町《たたみちよう》二丁目の碁会所に行く。近所にも一軒あるのに、わざわざそんな遠いところに行くのは、自分の職業をそこでは知られていなかったからである。ところが、その通る道順にその絵草紙屋があった。奥に坐っている親爺は、商売柄、写楽を絵師と察しているらしい。いや、写楽本人と知った様子である。往来を通る彼をみつけると、彼がどんなに知らぬ顔をしていても、銀煙管を口からはなして、丁寧にお辞儀をするのであった。
 写楽はその度に、羞恥《しゆうち》と卑屈に身体《からだ》が熱くなった。何とも嫌な気持であった。礼を送ってくる親爺の眼に、嘲《あざけ》りと軽蔑《けいべつ》の色を感じずにはおられない。
「あれが写楽という、妙な、売れない役者絵を描く奴さ」
 親爺の冷たいお辞儀はそんなことを云っていそうである。お辞儀をするのは、彼らの仲間が蔑称している先生への義理なのである。
 もし、それが絵草紙屋の親爺でなく、板元《はんもと》や、口煩《うるさ》い好事家《こうずか》の悪意な眼だったら、写楽は昂然《こうぜん》と頭を上げたに違いない。いつもの皮肉と辛辣《しんらつ》な舌で対抗したであろう。が、絵草紙屋では彼の正当な理念は役に立たなかった。何も親爺が絵のことを解せぬからではない。銀煙管を咬えているこの老人が、直接に客に絵を売っている現実の圧迫感であった。つまり、写楽が日ごろ軽蔑しているひろい諸人に、この親爺がじかに結んでいる重圧なのである。
「お前さんの絵は、おれの店では、ちっとも人気が無いよ」
 それは作家の自信とは別な問題である。売れないということは作家の自尊心を傷つけない。別な現実の問題だから、写楽は屈辱と羞恥を感じるのであった。
 写楽は、その絵草紙屋の前を通る時は、いつも足駄の音を忍ばせるようにして通った。それなら、そんな嫌な気持になるところを通らねばよさそうなものである。廻り道をして畳町に行けないことはないのだ。実際、写楽はその思いを厭《いと》うために、道を変えて松幡橋や越中橋《えつちゆうばし》を渡ったこともあった。しかし、その道順には絵草紙屋が一軒も無かった。絵草紙屋を見ないということは、やはりもの足りないような寂しさがあった。彼の足もとはもとの道順に戻り、前屈みの姿勢で端然と坐っている親爺の店先を憚《はばか》るように通った。
 何故《な ぜ》、絵草紙屋の前を通らねば寂しいのであろう。写楽は、さり気ない顔をして素通りしているようだが、実は眼が敏《さと》く店先にならんでいる大錦絵や間判に走っているのであった。春章《しゆんしよう》がある、春英《しゆんえい》がある。豊春《とよはる》がある。重政《しげまさ》がある、清長《きよなが》がある、それから今、流行《はやり》っ子の哥麿《うたまろ》があった。北斎、豊広《とよひろ》、豊国《とよくに》という彼より若いのもあった。色彩を雑然とぶち撒《ま》けたような店先からでも、写楽の一瞥《いちべつ》は、それぞれの絵を鋭く眼に収めているのである。
 ならべてある絵の分布に興味があった。春章、清長といったところは依然として広い場所をもっていたが、この頃は哥麿がぐんぐん場所を拡げつつあった。通る毎に彼の絵が多くなっている。それも大錦絵二枚続き、三枚続きといったものが目立つようになった。客が選《よ》っている絵も、大かたは哥麿であった。写楽は、それを眼の端に見るたびに、焦躁《しようそう》と昂奮を感じた。あんなものが迎えられるのか、と軽蔑する傍《かたわ》ら、何ともいえぬ焦りが出てくるのだ。彼自身の絵は、隅の方に貧弱に縮んでいた。燻《くす》んだ単調な色彩であった。美しいどころか、醜い顔であった。そのために周囲の華麗さから目立っているといえばいえそうである。なるほど、あれでは売れそうもないな、と思った。
 彼が絵草紙屋の前を通るのは、そういう競争心に似た焦躁と自虐を味わうためのようだった。仕事に倦《あ》いたとき、そのひそかな昂奮を求めに通るようなものであった。或いは碁会所に行くよりも、途中のその方が実際の外出の理由かも知れなかった。
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