相模屋喜兵衛を追い帰して、写楽は障子を開けた。縁は濡縁になっているから、縁の半分は雪で白くなっていた。いつの間に降ったか、庭の南天の葉の上にも薄く積っていた。狭い庭で、鼻を突くようなところに垣根がある。隣は鍛冶《かじ》屋で、鞴《ふいご》の音が聞えていた。写楽は、南天の紅《あか》い実を見ながら、外の冷たい空気に顔を当てた。
彼は心の中で相模屋の云った言葉を反芻《はんすう》していた。鳥羽絵か、なるほど、と思った。自嘲《じちよう》が水のように湧いてきた。
あれが相模屋だから追い帰せた。思い附きで一山当てようとする小さな名も無い板元だから追い払えたのではないか。もし、あれが、耕書堂蔦屋重三郎だったら追い帰せまい。すると、おれの良心も当てにならないな、と思った。
写楽は、これまで反逆的な精神は持ってきたつもりであった。誰を描いても同じような顔と恰好をしている類型的な役者絵を打ち破ろうとした。彼は役者の特徴を掴《つか》み、それを写実的に表現した。そのため誇張はあったが、それがかえって真実に似せたことになった。のみならず、手つきの表情まで工夫した。在来の役者絵の手は死んだものだった。これも型にはまった人形の手で、大首絵の場合は大てい膝の上に置かれたままで死んでいた。彼は拳《こぶし》や腕の恰好をさまざまにつけて、大首絵の単調に構図上の変化と均衡とを与えた。この工夫に自負があったし、蔦屋重三郎がそれを見て、
「これはいい。凄いな。誰にも描けぬ、お前さんだけの絵だ」
と激称したものだ。蔦重が賞めたことにもう一つある。肉線と、衣皺の輪郭は淡墨で引き、髪、眉、眼、口隈《くちぐま》と襟《えり》、帯などの要所には濃墨を入れて抑揚と力点をつけた。こうしたことで絵に立体感が出てきた。見ていて人物が画面から浮き上ってくるようである。その効果をもっと強くするために、描線はなるべく煩くないようにし、単純に整理した。それがかえって複雑な内容を感じさせた。
「こういう調子で描いてくれ。お前さんのものはうちで一手で引きうけよう」
蔦重が激励してくれたのは、その時であった。写楽が感激して血を湧かして描いただけに、いま彼が考えてもいいものが出来たと想うのだ。ところが、それが一向に人気が立たないのである。地は黒雲母摺、淡紅雲母摺という新しい豪華な趣向なのである。
蔦重は、おかしいな、と首を傾けた。
その不人気の原因はやがて分った。彼の描く役者の顔が醜悪だというのである。よく似せてはいるが、あまり醜いから嫌悪を感じるというのであった。殊に絵草紙の一番の購買者である女子供は一向に寄りつかなかった。
写楽は、それを聞いた時に腹が立った。絵は、ただ綺麗《きれい》に描けばよいのか。どれもこれも同じような型にはめた人形のような顔。ただただ、きれいごとに仕上げた顔。人間でない嘘の顔。それが人気があるのが不合理でならなかった。
おれは、金輪際《こんりんざい》、あんなものを描くものかと決心したのは、自分の絵が不人気ときいた時からである。人間の個性を写そうと思えば自然に醜に見えるであろう。だが、もう一つその底に真実の美があるのが見つけられないのであろうか。売れなければ売れないでいい。おれはこの調子で描いてゆく。頑固のようだが、生涯決して改めないぞ。女子供の低い好みに合せて無知な絵を描く奴には描かせればいい。それで金が儲《もう》けたければ、勝手に儲けさせるがいい。おれは貧乏しても、あんな俗受けのする絵をかくものか。おれだけが自分を守って、一生、反抗をつづけてやるのだ。——
隣の鞴の音が止んだ。今度は金物を打つ音がきこえる。その金属性の音は、冷たい空気を余計に凍らせた。
写楽は、その時の反抗心が今は砂のように崩れてゆくのを感じている。蔦屋が雲母摺を止めて、背色を黄土にするといえば、それは仕方がないと同調した。細絵に役者の名を入れてくれといえば、それくらいはいいだろうと承引した。背景に舞台の屋台や小道具を入れてくれと要求されると、その程度も止むを得ないと引受けた。
こうしておれは、それ位なら、それ位ならと次々に妥協しているではないか。信念の一歩一歩の後退なのだ。どこに反抗の精神があるのだろう。
蔦重の要求をいれたのも、根は生活のことだった。彼はこの名のある板元一軒で生活していた。蔦重に見限られたら、それでなくとも一家の苦しい生計が忽ち食えなくなってしまうのである。その弱さが彼の足を引張っている。この上、蔦重にもっとひどい要求をされても、結局、眼を瞑るであろう自分を感じている。
「卑怯者《ひきようもの》。高慢ぶって、おれに相模屋を追い帰す資格があるか」
写楽は自分の身体に唾を吐きかけたくなって、障子を破れんばかりに音たてて締めた。音は自嘲に爽快《そうかい》であった。
数日の後、写楽は蔦重に呼ばれて行った。話があるからというのである。こういうときは大てい、彼の絵に註文をつける場合が多かった。写楽は、いやな予感を覚えた。
「早いものだな。今日はもう夷講《えびすこう》だな」
重三郎は炬燵《こたつ》の上に茶を運ばせていった。今日も底冷えのする日であった。
「ときに、写楽さん、お前さん、一つ相撲絵を描いてみなさらんか」
「相撲絵?」
写楽は茫然として重三郎の皺の深い顔を見詰めた。
「うむ、近ごろは芝居に負けず相撲も人気があるようだ。大童山文五郎や雷電為右《ためえ》衛門《もん》なんざ、なかなかの騒ぎというじゃないか。この連中を、お前さんの腕で似顔絵にして売り出したいと思うんだがね」
写楽の浮かない顔を見ると、重三郎はまた厚い唇を動かした。
「お前さんの役者絵にわたしは肩入れしてきたのだが、どうも捗々《はかばか》しく足が伸びないのでね。世間には節穴の目あきが多いということが分った。しかし、笑ってもおられない。実は、わたしも例の山東京伝の蒟蒻本《こんにやくぼん》を出して、お上に身上《しんしよう》半減されて以来、ちっとばかり参っている。ここらで目先の変ったものを出したいと思うのだが」
目先の変ったもの——ここにもそれがあった。大きな鼻をもった相模屋だけではなかった。
「どうだね、写楽さん。引きうけてくれないかね?」
半刻の後、写楽は凍ったような空模様の町に迷い出た。
相撲絵は、結局、引きうけてきた。制作上の意欲も感興も何も無い。あるのは生活のためという鉛を詰めたような絶望した心であった。
「また、能役者にかえるか——」
写楽はこれからの生活を遠く虚《うつ》ろに考えて、ぼんやりと歩いていた。