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小説日本芸譚8-4

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   4 止利は帰化人といっても、達等から三代目である。この三代目に至る期間がどれだけの長さか知る材料は何もない。法興寺
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 止利は帰化人といっても、達等から三代目である。この三代目に至る期間がどれだけの長さか知る材料は何もない。法興寺の竣工《しゆんこう》が五八八年としたら、この前後から止利の活動が始まったのであろう。すると、あれだけの造仏技術を発揮するのだから、かなりの壮年に違いない。もとより造仏は一個人で出来るものではなく、かなりの弟子や工人たちを使用するから、統率力も必要である。飛鳥大仏は随分な工人を動員したであろう。止利が若くては出来ない所以《ゆえん》である。では、父の多須奈、祖父の司馬達等に遡《さかのぼ》ると、この鞍作部は相当期間、日本に土着していたことになる。
 達等が坂田原で仏像を礼拝した継体天皇十六年(五二二)の記述は、実は干支《え と》を一まわり誤ったという説があるから、それによると敏達天皇十一年(五八二)になる。これだと僅か六年後に止利の活動がはじまるから、少しおかしい。尤も達等が子と孫とを一緒に連れて来たとも考えられるが、それにしても六年後に止利が壮年という計算はおかしくなる。それかといって扶桑略記の六十年前は古すぎる。達等が来たのは六世紀の半ばすぎとして、大体十年乃至《ないし》二十年が適当なところではなかろうか。
 どっちにしても、達等から止利まで鞍作部はかなり長期間に日本に居住していたことは間違いない。すると、彼らの技術は、後に来た寺工や瓦工や鑢盤博士など文書に見えた一群の新しい技術者たちからみれば、古い技術を伝承していた。これは云えそうである。
 ところが、伊村は或る書物をよんで、日本書紀にある高句麗の上表文を王辰爾《おうしんじ》が解釈して欽明天皇にほめられた挿話《そうわ》は、実は、それまでの古い帰化人の技術に新しい帰化人の技術が勝ったのだという解釈を知った。なるほど、これは面白い解釈である。
 王辰爾は、東西の史《ふひと》らが解くことが出来なかった高句麗国の国書の漢文をすらすら読んだ。天皇と蘇我馬子は感嘆して、「勤《いそ》しきかな辰爾、よきかな辰爾、汝《なんじ》もし学を好まざらましかば、誰かよく読み解かまし」とほめ、読めなかった史らの怠慢を叱った。読めなかった史らは古い帰化人であり、読んだ王辰爾は新来の技術者だったというのである。古い技術に新しい技術が勝ったという、この解釈は伊村にはよくうなずけた。なるほど、そのようなことであろうと思う。
 すると伊村は、これに似たような話が止利にもあることを思い出した。法興寺の金堂《こんどう》に止利の造った丈六の釈迦如来像を運び入れるとき、金堂の戸口より像の丈が高いために、堂の内に入れることが出来ない。それを止利の工夫で、戸を壊《こぼ》つことなく無事に搬入出来た。天皇は感嘆して、止利に大仁《だいに》の冠位を与えたという書紀の記事だ。
 何となく、よく似た説話だ。すると、これも止利が新しい技術をもっていて、古い帰化人の技術を圧倒したという表現にならないか。もし、そうなら止利が空《くう》を往くように法隆寺などの諸仏を制作した理由が分るのである。
 然し、困った矛盾がここにある。止利は新来の技術者ではない。祖父以来、三代にわたって、土着した古い帰化人である。技術は当然、古いものでなければならぬ。それが新来の技術家、技能者と解釈するとどうも辻褄《つじつま》が合わなくなる。
 伊村は困《こう》じ果てた。止利の正体がいよいよ分らなくなる。小説には一向に書けそうにない。
 もし、前に考えたように、止利が新渡来者から新しい技術を導入したとしたら、どうであろう。が、それなら、新来の技術者の方が止利より遥《はる》かにうまいに違いない。教える方が習う者よりうまいに決っている。しかるに、制作者として止利だけの名前が残ったというのは——どうも問題が一つところを〓徊《ていかい》して片づかない。伊村は匙《さじ》を投げかけた。
 ところが、近ごろになって、新来の技術者と止利の鞍作部とが、別々になっているからいけないのだと気づいた。あとから来た技術者、つまり、新しい造仏工は、鞍作部首《おびと》という止利の職能集団の中に包含されたのである。つまり、実際の新しい造仏の技術者たちは、古い帰化人であってすでに蘇我氏と結びついて勢力のあった鞍作部の配下についたのである。似通った材料を扱う技術家が、どの職能団体に附属するかといえば、鞍作部しかないではないか。鞍作部が蘇我氏に結んでいたことは、蘇我入鹿《いるか》が一名鞍作臣《おみ》と呼ばれていたことでも立証出来る。
 こうなると止利が新しい技術者であっても少しも不思議はない。彼は、新技術者群の首長であり、その職能集団の代表者であったからである。
 これを進めると、法興寺の釈迦如来像も、法隆寺の釈迦三尊像も薬師如来像もその他も、止利個人が造ったのではなく、部下の新しい技術者たちが造った、といえるのだ。いや、決して止利が造ったのではない。
 釈迦三尊像の舟形光背の裏に彫られた「司馬鞍首止利仏師をして造らしむ」の銘は、実際に造仏した技術者たちの首長の名を記したに過ぎぬ。およそ公式な場合、その団体の代表者の名前を出すのが極めて当然で、普通である。「司馬鞍首止利」は文字通り制作集団の代表者《ボ  ス》なのだ。この意味で、首《おびと》の一字に大へんな重量がある。
 いわゆる止利様式が、止利の個性的な芸術でないことは前に考えた。あれは大陸や半島から来た作品の模倣である。しかもその様式は、極めて概念的な様式の真似し易い造形である。何も止利の芸術品だと強調する必要はない。書紀によると、法興寺の仏像を造るとき、止利が見本図を提出して採用されたという。これなども、請来品の見本《サンプル》をいろいろ見せたか、或いは、逆に示されたかの形跡ではなかろうか。つまり止利の個人的な芸術とまではいわないまでも、彼だけの特殊な技能の必要はなかったのだ。止利は、ただ、配下の優秀な新しい技術者たちに仕事をさせればよかったのである。
 
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