風通しのために少し開けてある表戸を引いた途端、卯八の耳は女房の立ち上がる気配を捉《とら》えた。めずらしいこともあるものだと、草履を揃《そろ》えかかったところに、わきが手招きでもするような恰好であらわれた。
「夕方、峰吉さんの見えなはったとですよ。何か用事のあるとかいうとらした」
「峰吉さん……探り番のか」彼は呟《つぶや》くようにつけ足した。「おかしかな……」
卯八は狭い裏土間で顔を洗うと、首筋の汗を拭きながら居間に戻った。
「なんね、包みは」
「こりゃ大事なもんたい。きちんとしもうとかんか」
仕度されている夕餉《ゆうげ》の菜も不断より品数が多い。高菜の油いために、烏賊《い か》の煮付け、もうひとつ別に小鉢。
「その百尋《ひやくひろ》(鯨の腸《はらわた》)は峰吉さんの持ってこらしたと」わきはいった。「こんげん高かものば下げてきなはるとだから、よっぽどああたに頼みたかことのあるとでっしょ」
「頼みたかことのあると、そがんいうとらしたとか」
「言葉じゃなかばってん、そう見えたと。百尋なんか持ってこらすとがよか証拠ですたい」
「探り番か……」
虫の好かぬ男といいたかったが、それは止《や》めた。卯八は百尋のひと切れを酢醤油の小皿に移した。飲める口なら何よりの肴《さかな》であろうが、飯の菜としては少し生臭い。
「今夜行きなはっとでしょう」
「何処《ど こ》に」
「何処にって、決まっとるじゃなかね。峰吉さんのうち」
「こっちからわざわざ行くこともなかやろう」
どうかしたのか、というふうにわきは卯八を見た。
「ぜひとも耳に入れときたかことのある。そんげんいうとんなはったとよ」
耳に入れたいこと。気持ちは動いたが、卯八は黙って高菜に箸《はし》をつけた。ことさら理由もないのに峰吉を嫌いなのは、何時《い つ》もすべてを見通したような面構えと口振りに反発するのだ。たかが出島蘭館の見張り役を勤める小者のくせに、態度が太すぎる。
「親父《おやじ》は」彼は思いと違うことをきいた。
「何時もの通りでっしゅ。まだ帰っとんなさらんようだから」わきは隣家に接する壁に顔を向けた。「毎日毎晩、あれでよう体のつづきなはっとですね」
「自分の金で飲むとだけんな」卯八はいった。
「この頃はあんまりご飯もたべなはらんし、ものもいいなさらんと。洗濯物はなかですかときいても、じいっとしてきこえんごとしとんなはるとだから」
「偏くつの相手にはならん方がよか。ものいうと余計につけ上がりよる」
「これは人からきいた話で、いうてよかかどうかわからんとばってん、おとしゃま(父)はフランス寺を建てる仕事ば手伝うとんなさるらしかですよ」
「そんげんこつ……」卯八の声は詰まった。「誰がそんげん妙なこつばいいよるとか」
「誰でも噂《うわさ》しとるらしか。直接きいたとは喜助さんからですばってん」
「喜助が何をいうた」
「そいけんそういうたでっしょ。大浦のフランス寺を建てる工事についとんなさるから、金廻りがよかとじゃろうって」
「親父は何というた」
「おとしゃまには何にもいうとりまっせん。そんげんこときいたらそれこそ、何というて腹かかる(怒る)っか、わかりまっせんもん」
「喜助にきいてやる」
「喜助さんより、おとしゃまに確かめるとが先じゃなかとね。……それに喜助さんはおんなはらんと」
「喜助がおらんと、どうして知っとる」
「今頃の時刻におんなはるもんか。その辺はおとしゃまと同じことたいね」
卯八は一膳の飯を食べ終わると、茶をくれといった。百尋はひと切れしか口にせず、碗に注がれた茶にも顔をしかめた。
「新しゅう入れたとですよ」
「ぬるか」
そういうと彼は立ち上がった。
「峰吉さんの家に行きなはるとね」
「風呂」
「湯屋は休みですよ。釜《かま》にひびの入ったとかいうとらした」
卯八は舌打ちしたが、そのまま草履を突っかけた。
「矢張り顔だしなはった方がよかとじゃなかね。峰吉さんのとこ」
彼はものもいわず外に出た。峰吉、峰吉というから逆に気持ちが動くのだ。しかし、蘭館の探り番がどんな用件でわざわざ出向いてきたのか。百尋の手土産まで持参して。
本大工町から今魚町へ通じる道路を折れようとして、卯八はしゃれた身形《みなり》の女とすれ違った。三年程前、夫婦共々上方から移り住んでいる板前の女房で、土地の風習になじまず、眉毛を剃《そ》り落とした細面の色っぽさを、何かというと人々は取り沙汰していた。
亭主の板前が見るからに風采《ふうさい》の上がらぬ男であるだけに、なおさら話の種になり易く、わざと家の周辺をぶらつく好き者もいるという話であった。
蔦《つた》の絡む低い石垣を横手に、なだらかな坂道を上がって行くと、やがて軒先のぎっしり並んだ通りにでる。気に染まぬうちに何時しか卯八の足は峰吉の家に向けられているのだ。
それにしても出がけにきいたフランス寺の話は事実か。父の兼七がまさかという思いの反面、そこに落ち着けない疑いも湧《わ》くのであった。と、同時に、あの年あの事件で被った屈辱をよもや忘れたわけではあるまいという、覗《のぞ》きからくりに似た情景が走る。
安政三丙辰《へいしん》年の秋、腕の立つ指物師として名の通っていた兼七は、あろうことか切支丹信徒の疑いを受けて捕手《とりて》に踏み込まれたのだ。
その年の九月、異教者佐城《さじろ》の利吉の訴人によって端を発した浦上在住の隠れの一斉検挙事件による取り調べの途中、兼七の作製した手箱の中から赤銅の十字架がでてきたというのであった。しかも手箱は仕掛けのついた二重底になっており、逃れようのない証拠物件として、進退きわまったかに見えた。
助かったのは手箱の所有者だった肥前国彼杵《そのぎ》郡浦上村山里の百姓有次郎が、どんなわけか入牢《にゆうろう》中突如放免となり、それに連れて兼七もまた釈放されたのである。
所謂《いわゆる》、浦上三番崩れという事件だが、白々とした世間の目の注がれるなかで、翌安政四丁巳《ていし》年、指物師兼七と息子卯八に下命された長崎奉行所の通達は西坂刑場で獄門台に使用する磔木《はりつけぎ》の製作提供であった。
当時十九歳の卯八にとって、あちこちから降りかかる声はまさしく火の粉に似ていた。
「なんのかのいうても、矢張り兼七つぁは伴天連《ばてれん》やったとじゃなかか。もしなんにもなかったとならはりつけ台を作れなんていわれんやろう。獄門台に限らず、今までの杖竹《つえだけ》も材木《ざいぎ》もみんな丸山からだしとったとだけんね。おしてしるべし、磔木を作れというとはなかなかのことよ」
「ひょっとしたら、兼七つぁも犬じゃったとと違うか。決まっとるこつ、伴天連の犬さ。伴天連の犬ちゅうとなんかわけのわからんごとなるが、奉行所の犬といえば通りが早かろう。いくらおてんと様が傾いとるというても、伴天連は伴天連じゃけんね。……兼七つぁの作った手箱にクルスの入ったというのが意味のあり過ぎっとよ。おいはずっと前からそう思うとった」
「卯八つぁ、ああたも災難たいね。……磔の木作らされたらもう嫁のきてはなかよ」
「土台、並みの人間のやることじゃない。丸山の連中はそんたびに加勢にだされよるが、内心は煮えたぎっとるとだけんね」
「しかしまあ選《よ》りにも選って兼七さんになあ。伴天連が無罪放免なら、何もそこまで嫌がらせすることはなか。おんだち(俺達)はみんなそういうとるとよ。お寺さんの経机まで作っとった指物師に磔台にあぐる木を作れということは、どげんした皮肉のつもりたいね」
おためごかしにいう者もあれば、奉行所の指示で借り受けた寄合町の小屋までわざわざ覗きにきて悪態を放つ仲間連れの男もいた。
それっきり兼七への注文はぷっつりと跡絶《とだ》え、卯八もまた修業中の手職を投げだしてしまったのだ。
フランス寺か……。柳の葉を頬にかすめながら、彼はそこから左手に入る。今年の二月、南山手に司祭館と称するフランス・オランダ人の家ができたことは承知しており、寺を建てるための地ならしが行われたこともきいている。その寺のために兼七は、どんな手伝いをしようというのか。
いや、それはまだわきの耳に入ったにすぎぬ。手箱ひとつで、いわば一生をねじ曲げられたといってもいい親父が、この上フランス寺などに手をだすはずはない。喜助さんより、おとしゃまに確かめることが先じゃなかとね。……
探り番なんぞを訪ねるより、親父に問いただす方が先決だという苛《いら》だたしさを、無理にも押しつぶして卯八は峰吉の住居に近づいた。どっちみち、兼七は酔いつぶれるまで戻ってこないし、何処で飲むのかさえ奇妙に判然としていなかった。
峰吉は彼を見ると、手を取らんばかりにして六畳の居間に招じた。稲荷《いなり》大明神でも信仰しているのか、神棚には麗々しく真新しい神札が祭られ、後添いの律義者だと噂される福々しい顔の女房が丁寧に挨拶した。
「こっちの方はあんまりいけん口ときいとるが、そいでもちょっと位ならよかとじゃなかと」
卯八が固辞すると、あらかじめそれをはかっていたかのように、女房が茶と茶請けを運ぶ。地役人にしては裕福な暮らし向きだと話はきいていたが、妻女の着ている物にもそれはあらわれていた。
出島蘭館の探り番としての余得ならおおよその見当はつく。それにしても見渡す部屋の恰好と備えつけられた家具の夫々《それぞれ》は分を過ぎている。しばらく雑談をかわした後、頃合いをみて峰吉は切りだした。
「まどろしか話はやめて、いっぺんにいうとばってん、ああた、わたしの仕事を加勢する気はなかね」
「加勢といいなさると……」
「そんげん難しゅう考えんでもよかとよ。というても誰にでもでくる仕事じゃなかとばってんね。ああたも知っとる通り、みることきくこと昨日と今日じゃ大違いの世の中で、あっちからもこっちからも、長崎にゃどんどんひとが集まってきよる。それもみんながみんな腹の中には色合いの違うこつを考えとる。なんちゅうことはなか、伴天連の坊主まで大手を振って歩きよるさまたい。……」
峰吉の喋《しやべ》っていることと自分への尾行とつながりでもあるのか。卯八は茶を啜《すす》った。
「いくら長崎というても、大目にみてよかものと、絶対に気持ちを許してはならんものがある。そいでも、そうはいうても今の奉行所じゃどうにも手の廻らん。こりゃあんまり大きな声じゃいえんことだが、これから先どんげんなって行くか自分でもようわからんもんけん、半分は投げてしもうとるとたい。……しかし何べんもいうとばってん、そいでよかはずはなか。どんげん世の中に変わっても、人殺しは人殺し。盗人《ぬすつと》は盗人じゃけんね。お寺をつぶして伴天連の十字架ばっかりおったてるわけにもいかんやろう。……」
きたぞ、と卯八は思った。だが峰吉の言葉は別の方向に進展した。
「鉄砲の売り買いをいうても、ほんなこつはみんなご禁制のことやけんね。それをみんなこの頃は、あたり前のごたる顔ばして、誰様にいくら売りなはったとか、長州の何様がどれしこ(どれだけ)買いなはったとか、色町にまで喋りよっとだから、もうどうにもならんとよ。……卯八さんは国友屋の話を知っとんなはるね」
「いいえ」
「きいとんなはらんかな。……上方からきたという触れ込みで、そりゃもうたまがるごたる商売ばして帰った男。ああた、どんげん商売ばして行ったと思うね。……」
低いがよく通る声で峰吉はつづけた。その間をとって女房が茶を入れ替える。
「鉄砲二十丁に遠眼鏡六個。そん男から佐賀藩と松浦藩が買うた品物の数がそいしこ(それだけ)。ちょっときけばまあ、何処にでも転がっとる話たいね。ところがどうしてどうして、裏返してみるとたまがるばっかり。よう調べてみると、ほんのふた月ばかり前にその男が長崎に持ってきた荷物は行李《こうり》三杯のまるめ(丸薬)だけということがわかったとよ。早い話が行李三杯の万金丹が鉄砲二十丁と遠眼鏡六個に化けたという話たい。国友屋というそん男は、二十丁分の手形を遠眼鏡の分も合わせて、がぼっと懐に入れて帰ったとだけんね。……何処でどんなからくりを使うたかしらんが、事実は事実。こりゃもうどんげんしようもなか。上方か富山か、大方富山辺りから潜り込んだ者じゃろうというとるが、あん時つかまえてしまえばよかったというて、地団太踏んでみても、これはもう後の祭り。見逃したというか泳がしとった罪はみんな奉行所がかぶらにゃならん。鉄砲二十丁といえば、ああた銀何貫になると思うとるね」
卯八は頷《うなず》くしかない。相手の言葉がどちらの方角に転ぶかわからないのだ。
「かというて、たった今、長崎の商人をしらみつぶしに調べて、誰それが鉄砲を何丁持って、それを何処そこに売ろうとしとるか、探索するわけにもいかん。手間もかかるし、第一そげんことしてみても誰もほんなこつはいわんやろう。博多や堺からきた商人ならいくらか手だてもあろうが、大浦や出島におるイギリス・オランダじゃ手も足もでよらんけんね。……たまたま国友屋の一件が明るみにでたので、余計に何かせにゃいかんということになったとだが、鉄砲に限らず、始末におえん事件の次から次にでてきよると。……」
峰吉はそこで茶碗を手にした。部屋の構え同様、まるで与力のような口をきくと、卯八はひそかに思う。
「まあ喋ってしもうたから終《しま》いまでいわにゃならんが、奉行所じゃ今度から本腰を入れて探索するこつは探索すると覚悟ば固めなさったとよ。そんために新しか役付も決めなはった。……これはまあああたを見込んでそこまで打ち明けるとばってん、出島の仕事は仕事として、そっちの方面でも手助けしてくれんかというふうになって、そんためには必要なだけの銭を使うてもよか。これと思う人にも加勢を頼め、というこつになって、しょっぱなに卯八さんを思いだしたというわけたいね。……」
卯八は黙っていた。つまりは探り番を兼ねた岡っ引の手下になって働けということか。
「いきなりで面くろうたかもしれんが、そんげんわるか話でもなかとよ。いまもいうたごと、探索にかかる銭はいくらでもだしてよかといわれとるし、成績によっちゃ番株のひとつも世話してよかと、これは向こうからの話じゃけんね。……そこまでいうてよかかどうかしれんが、通詞《つうじ》見習いが所望ならそれも考えてみるというとらした。……」
「わたしにゃ過ぎた仕事ですたい。とてもできまっせん」卯八は取り敢えずそう答えた。
「できんこつのあるもんね」峰吉はいった。「ああたに打ってつけと思うたからこそ、いの一番に、こうして話しとるとだけん」
「もういっちょ、何かこうぴーんとせんごたる」
「何がぴーんとせんね」
「探索というても、中身はどんげんこつをするとか。たとえば何処の誰を調べろといいなはるとか……」
「たとえば、大浦居留地のマックスウエルたい」
卯八の面を思わず熱い息がよぎる。茶請けをつまむ峰吉のそしらぬ手つき。