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丸山蘭水楼の遊女たち1-6

时间: 2019-05-22    进入日语论坛
核心提示:   6 堺の商人、辻野屋嘉右衛門の盃《さかずき》を傾ける手の甲に、青い血筋がくっきりと浮かび上がる。三十代後半の色艶と
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   6
 
 堺の商人、辻野屋嘉右衛門の盃《さかずき》を傾ける手の甲に、青い血筋がくっきりと浮かび上がる。三十代後半の色艶と船乗りに似た精悍《せいかん》な顔つきは、寝所をともにする客としてむしろ好ましい部類に属したが、尾崎太夫の気持ちはもうひとつ屈折していた。
 一昨日の晩、自分を名差してこの家に上がったという船乞食《こじき》の正体と真意をつかめないのも落ちつかぬなら、網屋友太郎がこれまで決して自分を相方に選ぼうとしない素振りも胸のおりとなっている。相方というより、そもそも蘭水に泊まろうとしないのだ。それでいて、登楼する場合はかなり以前から尾崎を指定しておき、ひとりと客を連れた時とを問わず、精一杯心をつくした遊び方をするのであった。
「さぁて、今度は鶴吉さん。得意の唐人歌ばきかせんね。……旦那さま方、こう耳の穴ほじってきいとって下さいませ。いっぺんに意味のわかれば、この巳之助が莫大な褒美《ほうび》を差し上ぐるごとなっとります」
「巳之助さんの褒美は大方、ちゅうちゅう蛸《たこ》かいなでっしょ」
「またいらんことをいう」巳之助は若い芸子に目を剥《む》いた。「さあさあ。鶴吉あね。巳之助に腹切らせんごと、用意、用意。……」
「月琴のあればよかとですけどね」
「月琴、月琴ならすぐ持ってこさせるたい。小太夫さん、使いに行ってやらんね」巳之助は尾崎の後にひかえる禿《かむろ》に声をかけた。「そいじゃその前にひとつ、旦那さま方を退屈させちゃいかんけん、長崎弁になおしたとばやらんね」
 年かさの芸子は居ずまいをただしておじぎをすると、「節は唐人の歌ですけん」といった。
 三味線とも思えぬ抑揚のこもった絃《げん》を鳴らして鶴吉は前奏を弾き、一瞬呼吸をおいて歌いだした。
たいしゅうん ひやざけ のんでみや ながざけのみじらけ もひとつのんでみや
たんたらふく 二日えい こうかい 金たらい
「何や、二日酔いになって顎《あご》だしたみたいな歌やな」
「ほうら一発でわかんなさっとよ。巳之助さん、褒美はどんげんすっと」よねは素早く相槌を打つ。ちゅうちゅう蛸といった芸子だ。
「顎だしたとはこりゃまたいい得て妙。ああこっちも顎ださにゃいかんごつなってきた」
「あては何やようむずかしゅうてわかりゃしませんでしたわ。……ながざけのみじらけ、もひとつのんでみやというてはったな」手代が主人を立てた。
「ながざけのみじらけ、もひとつのんでみや。鶴吉さん、どうぞあんたからあんじょう説明しておくれやす」巳之助は奇妙な上方弁で促す。
「ながざけは腰のおもか酒のことをいうとでっしょ。そいけん、ああたは深酒のはずじゃろけん、もう一杯飲めというてすすめよるとですよ。……」
「かえってわからんごとなったとじゃなかろか」太鼓持ちはわざとらしく辺りを見廻した。
「わからんことはなかよ。酒の強か人に、飲め飲めというてすすめよるとよ。鶴吉あねはそういいよらすとじゃなかね」
「さすがあねさん思いのことはあるたい。泣かす、泣かす」
 嘉右衛門が盃を干したので、尾崎は銚子《ちようし》の柄を手にした。
「これは、これは。お手ずから」
「何ばいいなはるとね。旦那さまあってのおなごですけん」
「松蔵、今の言葉をききなはったか」嘉右衛門が手代の方を向く。
「はい。確かに長崎の太夫はんは噂通りでおましたな」
「噂といいなはると、どんげんことをいいなさっとったとね」
「みめかたちの美しさもさることながら、長崎の太夫にはもう一匹、肩に蝶が舞いよる。きいたことあんなさるやろ」
「いいえ」
 尾崎が頭を振ると、すかさず巳之助がやりとりのなかに割り込む。
「丸山の太夫には肩に蝶が舞う。これはまたたまらんごつきれか話ですたい。それはよかこときいた」
「早速、自分の作ったごついいふらしなはっとでしょ」と、よね。
「何ばいうとるか」と、巳之助はいう。
「あたしにそんげんうつくしかお世辞を作れる頭があれば、何も苦労して太鼓持ちにはならんばい」
「お世辞なんかじゃない。ほんまの噂でおます」
「こりゃまたしくじった。あんまりきれか文句をひとにいわるっと、もうかっとして、見境のつかんごとなりますけん、どうぞ堪忍どっせ。何時も、ああたは太鼓持ちより悋気《りんき》持ちというた方がよか、といわるっとですよ」巳之助は掌で自分の首筋をぴしゃぴしゃと叩いた。「ところでその、尾崎太夫の肩に一匹、蝶が舞うとるという心を教えてくんしゃらんね」
「そりゃ、あんさんの方が専門でっしゃろ」
「これはまたにくいことを。その手で何時も上方のおなごしを手玉にとっておいでやすのやろう」
「肩に蝶がとまるか。うまいことをいうな」網屋友太郎が口を入れた。「巳之助さん、松蔵さんのいわれる通り、解釈、解釈。……」
「さあ困ったぞ。その心はなんと、いらんこといわん方がよかった。……」巳之助は額を抑えた。「そんげん解釈はできまっせんと頭を下げれば、それこそ尾崎太夫に申し訳もなし、引いては丸山に傷がつこうというもの。これはまたどう仕様。……こと此処《こ こ》に至ればない知恵をしぼって、何とのうつじつまをあわせるより詮方《せんかた》なし。……恐れ入りますが、さっきのきれか言葉を、もう一度いうてくだはりませ」
「みめかたちの美しさもさりながら、長崎の太夫にはもう一匹、肩に蝶が舞いよる。……これでよろしいか」と、松蔵。
「さて、その心は。……」と巳之助はいった。「肩には蝶、胸には蘭、想い想われる男の盃のうちに舞う。あわせて唐紅毛人も賞めそやす蝶蘭山館のごとし」
「できたな」網屋友太郎が巳之助の語呂合わせに似た解釈を引き立てるようにいった。
「蝶蘭山館とは蘭水楼のことを唐人がそんなふうに呼ぶんですよ。いやあ、できた、できた。……」
「長崎の太夫にして、丸山の幇間《ほうかん》ありでおますな。いやあお見事。……肩には蝶の謎《なぞ》掛けに、胸には蘭とでやはったところが、何ともいえん呼吸や。巳之助さん、どうぞ受けてくんなはれ」
 辻野屋嘉右衛門が調子を合わせて盃を差し出すと、巳之助は額を畳にすりつけんばかりにしていざり寄った。傍《そば》のくら橋がそれに酒を注ぐ。ぐいとあおる太鼓持ちが直接返盃《へんぱい》できぬ盃を膳の隅におくと、くら橋はそれを杯洗でゆすいだ。
「何とまあ心の優しか旦那さま方でありんすか。でまかせの思いつきにおとがめを受けるどころか、こんげん盃まで頂いて、ほんなこつこれは末代までのほまれ。……さあこれ以上難題ば吹っかけられて化けの皮のはげんごと、鶴吉さん、歌うた、歌うた。……」
「月琴のまだ届かんとですよ」
「月琴なんかどうでもよか。早う三味線ば弾いて、あたしの立場を助けてくれんね」
「そいじゃ、少し賑《にぎ》やかに長崎名物ばやりまっしょ」
「ちょっと待ってくれ」網屋友太郎が制して席を立った。「折角の歌だ、安心したところでききたいからな」
「旅は道連れ……」
 腰に両手をあてて嘉右衛門が立ち上がると、手代もそれに従った。皆は挨拶のように声を立てて笑い、それが止むと、巳之助は「あちきもこの際別口で心おきなく……」といいおいて部屋をでた。
 又次という名の船乞食は溜牢《ためろう》につながれたというが、結局どういう仕置きを受けるのであろうか。三年もの間貯《た》めた日銭を銀札に替えて登楼した客が、ただ賤《いや》しい稼業《かぎよう》についていたというだけで、なぜ処罰をされなければならないのか。
 懐紙をだして口許を拭うくら橋を目の隅におきながら、尾崎は思った。芸子の鶴吉は連れのよねを相手に、招き猫のような手つきで何やらふざけている。
 尾崎も小さい頃、遊び友達もなく、用事があって親子で町にでると、何時も後ろ指を差されていた。四歳の時に病死したという母についての記憶はまったくないが、自分を九つまで育ててくれた庫太《くらた》はずっと松浦藩の平戸でわずかの田畑を耕すかたわら隠亡をしていた。海辺から山手にかけてせりあがる丘陵を開いた墓地の奥にその焼き場はあり、竹藪《たけやぶ》を背にした住居に親子二人はくらしていたのだが、近在の村落から知るべや友達はおろか、棺を運ぶ人々以外にかつて一度も訪ねてくる人さえなかったのである。
 手足や体いっぱいに紫蘇《しそ》色の斑点ができる熱病に喘《あえ》ぐ最中《さなか》、父親の庫太は枕元の水を息を切らしながら半分ばかり飲むと、痩《や》せた手をのばして彼女の膝《ひざ》頭をつかんだ。
「お美代、ようととのいうことをきいとけよ。ととが死んだらお前はすぐ田平《たびら》の助佐のところに行け。助佐の家は知っとるな。ととの死骸はほったらかしとってよかぞ。誰にも知らせるな。知らせるのは助佐ひとりでよかと。お美代、ととのいうとることがわかるか。……」
 庫太が息を引き取ると尾崎は、いやお美代はいわれる通りにした。父と助佐がどんな関係にあったのか曖昧《あいまい》なまま、彼女はそこで自分より年下の子供たちにまじって一年余りくらすと長崎に連れてこられたのであった。それっきり助佐とは会っていない。
 彼女の家から浜辺に下りるなだらかな道があって、それを一丁程歩いて行くと左手に段々墓地と小川に挟まれた細長い野原にでた。美代はそこで初めて自分に口をきいてくれた同年輩の童に出会ったのだ。ひび割れる位頬の赤い女の子は虫籠にいっぱい草花を摘んでいた。
「何処に行きよるとね」
「あたいのこと」美代はどぎまぎして答えた。「あたいは浜に行きよっと」
「浜に何しに行きんしゃると」
「何もせんとよ。ただ浜に行って歩くだけ。……たまに、貝を拾うたりすることもあるばってん」
「魚は捕らんとね」
「魚を捕ることもあるよ、たまにはね。そいでも網も竿《さお》も持たんとやから……」
 自分が本当に相手と言葉をかわしているのか、信じ難い昂《たか》ぶりにゆすぶられながら、美代の足はふるえた。
「網を持たんとなら魚は捕れんやろう。浜に行ってもおもしろうなかよ」
「ととにきけば網を持っとるかもしれん。探せばみつかるかもしれんよ」
「あんたの家は何処」
 それを教えた途端、逃げだすかもしれない。美代はなかばあきらめた気持ちで下りてきた道の方角を指差した。しかし、童は親から何もきいていないのか、眉ひとつ動かさなかった。
「そう、浜に近うしてよかとね」
「あんたの家は浜から離れとると」
「すぐ下は海。そいでも浜にはずっと遠廻りして行くとよ。崖《がけ》の上を通って、それから畔道《あぜみち》を下りて行くとだから」
「今は何をしよっと。此処にはあんたひとりできんしゃったとね」
 女の子は虫籠を上げて見せた。
「ほんとは蝶々を取りにきたとよ。此処の墓場には紫揚羽とか帆掛け揚羽とかいっぱいめずらしか蝶のおるときいたけんきてみたと。そいでも、きてみたら普通の紋白ばっかりで黒もおらんとじゃけんね。もう帰ろうかと思うとった。……」
「黒なら何時もいっぱい舞うとるとにね。あたいは捕ったこともなか」
「あんたは蝶々は好かんと」
「好かんことはなかばってん、黒を捕ったら縁起のわるうなるというとでしょう。飛んどる時の黒は黒か羽のきらきらしてほんとにきれいかごと見えるとに、ほかの蝶と違うて、つかまえるとすぐぱたっと動かんようになるけんね。それに墓地にばっかりでよるし、何かしら可哀相なごとしてつかまえとうなかとよ」
「黒は隠れの生まれかわりという者もおるけど、ほんとじゃろうか。そいけん普通の野っぱらにはあんまりおらんといいよらした。……」
 美代はその童の顔をふたたび見なかった。明日の今頃此処にくれば帆掛けのいっぱいおるところに連れて行くと約束したのだが、女の子はあらわれず、矢張りそうかと思いながら、浜にでたのである。
「旦那さまのお帰り」
 遣手《やりて》の小声で尾崎太夫はわれに返った。巳之助はとうに戻っていて、嘉右衛門が席に着くと、うやうやしく平伏した。次いで網屋友太郎、やや遅れて手代。
 思いだしたくもない平戸で、明日帆掛けを捕ろうと約束した童との出会いにふっと気を奪われたのは、矢張り肩には蝶という先程の文句が心の奥底に蹲《うずくま》る情景を引き出したのであろうか。尾崎は作法通り、客に向かって丁寧に会釈をした。
「さあ、旦那さま方のご安心のいったところで、鶴吉さん、長崎名物をお願いしますよ」と、巳之助。
 何かいいたげに嘉右衛門が太夫を見る。それを受けて尾崎がまた銚子の柄を持つと、見せつけられています、というふうに太鼓持ちが顔を上げて天井を向いた。
 鶴吉と若い芸子のあわせる三味線が小気味よく弾む。
紺屋町の花屋は上野の向うかど、弥生《やよい》花三十二文で高いもんだいチュー。
紺屋町の橋の上で子供の紙鳶《は た》喧嘩《げんか》、世話町が五六町ばかりで三日もぶうらぶら、ぶらりぶらりというたもんだいチュー。
遊びに行くなら蘭水か中の茶屋、梅園裏門叩いて丸山ぶうらぶら、ぶらりぶらりというたもんだいチュー。
沖の台場は伊王と四郎が島、入り来る異船はすっぽんすっぽん大筒小筒を鳴らしたもんだいチュー。
嘉永七年、きのえの寅《とら》の年、四郎が島見物がちらに、おろしゃがぶうらぶら、ぶらりぶらりというたもんだいチュー。
長崎の、沖の方に、唐人船が入ってきた。そら唐人と、めいんと、馬と牛と、犬と狐と、猫と鼠の、声聞かしゃんしたか。ヒーヒ、モーモ、ピョーピョー、クワイクワイ、チュウに、ヒーモ、ピョーピョーピョークワイ、ニャア。
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