ようやく終わりに近づく宴の中で、太鼓持ちの声だけが妙に空々しくきこえた。体の具合がわるく、かれこれ十日余りも伏せっているという巳之助の代わりにきた捨丸とその相棒のわざとらしい二番煎《せん》じの未熟な掛け合いが、まるっきり場の空気とあわず、芸子たちの調子も一向に弾みのつかぬまま、上辺を繕うばかりのような時が流れて行く。
客の顔ぶれは網屋友太郎とつい先頃堺を往来してきた辻野屋嘉右衛門、それに廻船《かいせん》問屋と雑貨商を営む金ケ江屋境平。その間のやりとりにいまひとつしっくり行かぬものが挟《はさ》まるのも、宴席の盛り上がりを欠く原因と思えた。あまり質のよくない噂《うわさ》のある当事者について尾崎はすでに遣手からきき、主人の太兵衛にもそれとなく暗示されている。
「今日のお客には金ケ江屋さんのまじっとらすとききましたばってん、何かもういっちょ腑《ふ》に落ちんとですよ。なして網屋や辻野屋の旦那さんがあんげんおひとを呼びなさるとでっしょかね。煙のでる塩辛売りの元締めちゅうことを、知らん者はなかとに……」さくはそういったのだ。
網屋友太郎の日頃にない不機嫌もそこに由来するらしく、自分の方から金ケ江屋には決して口をきかない。とすれば辻野屋嘉右衛門の一存で、両者を引き合わせるために金ケ江屋は招かれたのかもしれぬ。それとも他《ほか》にどんな三様の思惑が絡んでいるのか、それを見極めることは尾崎にもなかなか難しかった。
「はい、これから取り行いますは悲恋座頭の透視術。生まれながらに会得した忍法に年期修業を加えること三十余年に及ぶ秘術でござります。……そこんところのいわればようとわかるごとあんた話しんしゃい」
「はいはい、いまは昔、西坂にあがる本蓮寺裏の掘っ立て小屋に捨市という座頭の住んどらした。その男は生まれた時からめくらで、鐘撞《かねつき》堂の下に捨てられとった赤子を不憫《ふびん》に思うた寺男が、とにかく拾い上げることはあげたが、自分で養うわけにも行かず、寺に入れるにはきついご法度。思い余ってもう一度地蔵堂に捨て、時折、食べ物やなんかを運んどるうちに、不思議に生きながらえたという因縁つきの人間でござんしたと」
「何がござんしたや。ぬしの口上はまどろしゅうていかんばい」
「はいはい、そのめくらさんの捨市が年頃になってものを思うようになった。というより、こまか頃から自分の住む掘っ立て小屋にしょっちゅう食い物を運んでくる寺男の娘の顔ば、一度でよかけん見とうなった。そいでも生まれつきの不自由はどんげん仕様もなか。そいで西坂の刑場で露と消えた人に願をかけた。あんた方のうちには無実の罪で胸ば突かれたひともおんなさるとでっしょ。そんひとたちの冥福《めいふく》ばあたしは一生かかって祈りますけん、どうかこの目ん中の闇に、月のごと娘の顔ば浮かびあがらしてくださんせ。娘の方でも日頃憎からず思うとった男が、自分の顔ばみたか一心に願をかけとることを知ると、それほど迄《まで》にと思う心のいじらしさ。……はい、これが額、これが眉、これが目と鼻、唇でござんすと、男の指先で自分の顔をなぞらせているうちに、何時《い つ》しか触れてはならぬ花の蕾《つぼみ》をはたとつまむあやしき手つき。……」
「いやらしか。ぬしの話は何時もそこに行くとだけんな」
「そんげん腹かくとなら、ああたがやればよかたい」
「慕い慕われた二人の仲が行きつくところまで行くとは自然のなりゆき。月ははらみやがて生まれでたややがひとり。何を隠しまっしょう、その名こそ捨丸なのでございます」
芸子たちが挨拶のような笑い声をあげ、それを間にして相棒の藤丸は掛け合いを継いだ。
「何か肝心のところば抜かしとりますが、大事な娘を傷物にして、恩を仇《あだ》で返したと怒り狂った寺男が座頭を刺そうとしてそのあげく足を滑らせて、われとわが身を傷つけてしもうたとです。必死に看病する甲斐《かい》もなく、寺男はやがて息を引き取りますが、いまわの際に娘の手を取ってひと言。丈夫なややを生めよ。ああ、ととさんはややのできたことを知っとんなさったのかと……この辺が捨丸誕生のいちばんのさわりになっとりますと。……」
「栴檀《せんだん》は双葉よりかんばし。それはそれは捨丸は、利発なお子でござりました」
「親の因果が子に報い。よたよた歩きの頃から、何かしらん暗闇の好きな餓鬼でございました。月のでとらん晩になると、何時も機嫌のようなってはしゃぎだす。気色のわるか餓鬼じゃなあと思うとるうちに、今度は真っ暗闇の中でものが見えるといいだした。坂をあがってくる人間の姿恰好が見える。畑ん脇にしおれとる花や、道端に捨てられとる犬の死骸まで見える。おかしかとは、昼間のうちは、何かこうぼうっとしとって、夜になると生き生きしてくる。こりゃもう大泥棒になる前兆じゃなかろうか。昼間の仕事が駄目なら、行灯《あんどん》代わりに晩専門の船頭にでもなるよりほかあるまいと思案しとるうちに、やっとの思いで見つけだしたとがこの太鼓持ちという闇の仕事でございました。……」
「はい、かくもあからさまに、親の代から因果につもる身の上話を前口上としての秘伝座頭術でございます。はい、これからあたしが目隠しをします。かねて用意したる黒手拭い。はい、これでもうあたしの目は闇になってしまいました。はい、どがん品物でも結構でございますよ。藤丸の差し出す盆の上に乗せて下さい。ことわっときますばってん、小判や銀はやめといてくんなまし。ちゃりんという音はいけまっせん。邪念が走りますけんな。それ以外の品物なら何でもよかとです。はい、藤丸さん、旦那さま方や芸子さんにしっかりお願いして下さいよ。……」
金ケ江屋境平がわざと興に乗る手つきをして、煙草入れからキセルを取り出す。それも並のものではなく、自慢の逸品らしい吸い口から棹《さお》、雁首《がんくび》までがすべて陶製のキセルである。
「はい、秘伝座頭術の旦那。でましたよ、でましたよ。はい、盆の上にきちんと預かりました。はい、今更、見えんとは口が裂けてもいわんとですよ。まさか、勘の狂うたとはいわんとでっしょね」
「がちゃがちゃ何ばいうとるとか。折角の闇夜に心の乱れてしまうじゃなかか」捨丸は思い入れたっぷりな様子で中空を凝視する。
「はい、闇夜を飛ぶキセルが見えます。それもその辺に転がっとる雁首さまじゃない。金、銀、銅、いやそれよりもっと上等かもしれん。白地に輝くオランダキセル。……」
芸子たちも女郎衆もわっと囃《はや》し立てる。藤丸の文句と相の手のなかに品物の符帳が示されている種明かしを知っていながら、熱心に手を叩く年季あけを勤める女。それから恐らく一挙に白けるに違いない座の空気をいくらかでも救おうとして、尾崎は三味線を借りた。
「捨丸さんの見事にあてなさったけん、景品にキセルにちなんだ弄斎節《ろうさいぶし》ば歌いまっしょ」
「こりゃ願うてもなか花ば添えて貰うた」
「闇の捨丸もこいで箔《はく》のつくばい。何ちゅうても蘭水の太夫《たゆう》の歌ば引きだしたとじゃけんな」
二人の幇間《ほうかん》は尾崎の気持ちを知ってか本気で追従をいい、網屋友太郎の表情もやっとゆるむ。それを察して辻野屋嘉右衛門の口も軽くなった。
「おおきに。蝶蘭山館で尾崎太夫の歌をきいたといえば、何よりの土産になります。みんなよだれ流して羨《うらや》ましがりよりますわ」
「そげんこといいなさると、恥ずかしゅうして声のでまっせんけん……」
それでも尾崎は三味線を引き寄せて調子を整えた。籠斎《ろうさい》と呼ぶ僧の作った音曲で、今はあまり歌う者もいなくなったが、しめやかな低い響きから乗せて行く歌の哀切さには独特の味わいがあった。
いらぬ煙草の
羅宇が長うて
様と寝た夜の
短さよ
月と闇との
交わる夜を
羅宇が長うて
寝もやらぬ
静まり返る人々の耳に、沁《し》み入るように尾崎の愁いのこもる深い呉須《ごす》のような声は届いた。芸子のひとりが思わず叩こうとした手を止め、金ケ江屋境平がしなのつく身振りをしながら盆のキセルを握った。
「いやあ、あたしのキセルに情のこもった歌ばつけて貰うて、何というてよかか、お礼の言葉もなかですばい。弄斎節も久方振りなら、羅宇の長さというとがまたたまらん。雪の降る晩に船出ばするごたる気色でしたと。……そいでこんげん申し出をしちゃ何ですばってん、うれしゅうてならん記念に、こんキセルば尾崎太夫に差しあげとうなったとですよ。自分勝手のわがままと思われちゃいかんとですが、どうでっしょか、みなさん」
捨丸と藤丸の強い手拍子にひきずられるように、女たちはうなずく。
「気儘な申し出ばってん、受けてくれんね」
断わりようもない陶製のキセルを尾崎が受け取ると、皆はやんやと囃し立てる。両手を重ね合わせる網屋友太郎の盃《さかずき》に注ぐ、金ケ江屋の図太い銚子《ちようし》を持つ腕。
「大切なキセルばいただきましたと。こいからは勝手な仕打ちで汚さんごと、大事にしますけん」
型通りの礼を尾崎が述べると、辻野屋嘉右衛門がちらっと隣席の方に目を走らせる。いまはもう網屋の機嫌こそが重要なのであろう。
「様と寝た夜の 短さよ、か。折角の座頭忍法も、太夫の歌にかかっちゃ手も足もでまっせんたい。なんかこう神通力ののうなりましたと」
「鳶《とんび》に油揚げさらわれるごとさらわれましたもんね。やり辛か、もう……」
「そいじゃもう、透視術は止《や》めて、弄斎節だらけといきまっしょか。あねさんたちも並んどられるし、こりゃおもしろか趣向ですばい。そり節にれんぼ節、何でんよかけん、さあ次々によかところばださんね」
「太夫のごとはとてもゆきまっせんばってんね」
芸子の小福は思いがけぬ受け方をした。普通ならまずひと呼吸もふた呼吸も間をおく場合なのだ。太夫のごとはといういい方に、尾崎はふっと引っかかる。
朋輩《ほうばい》たちの仲間意識をむきだしにしたような喝采《かつさい》。小福の歌うれんぼ節をきいた尾崎は身を強張《こわば》らせた。
恋は異なもの気づいたときは
引きも返せぬ浪《なみ》枕
浪枕漕《こ》ぎ手の肌に緋文字《ひもんじ》
それはまさに昨日、主人太兵衛の口からでた乞食《こじき》三蔵と遊女吉井の一件を文句にしたものである。町人と偽ってしげしげと枡屋《ますや》に通ううち、身もとが判明してもすでにどうすることもできなかった二人の仲。誰が作ったのか、緋文字とは恐らくそれをあてこすったのであろう。そして小福は明らかにそれを自分に突きつけたのだ。しんとした気配のなかに、太鼓持ちのうろたえたような取りなしがかえってきき苦しい。
「恋は異なもの味なもの。これはまた粋《いき》な文句たいね」
「味をみてから買いなされ、姿形じゃ中身は見えぬ、ほれ、朝方水ノ浦でとれた赤貝じゃ」
「そんげん歌、初めてきいたばい。意味のわからんけん、ようと説明ばしてくれんね」
「ぬしはしっかい(すべて)天《あま》の邪鬼《じやく》じゃけんね。わかっとることばわざとききよらすと」
「おるはああたのごと助平じゃなかとよ」
「そん言葉が何よりの証拠たい。言葉のわからんとになして助平というとね」
「赤貝のところがどうもようとわからんとたい。味ばみてから買えというとるが、売り物ばあんたいちいち食べてしもうたら、魚屋の取り分はのうなってしまうとじゃろうが」
「ほんなこつもう。自分だけ聖人のごたる顔ばして。魚屋がどうしたとか、あきれてしまうばい。……」
網屋友太郎が盃を手にしながら幇間の声を制止するようにいう。
「れんぼ節というのはそれだけか」
「わけのわからんいい廻しは止めて、もうちょっと気のきいた歌はなかとか」金ケ江屋境平がそれに合わせる。
「そいじゃ今度はあたしがいっちょ赤貝節ば歌いますけん。一昨日のとれとれで、味の大分落ちますばってんね」年輩の芸子が剽軽《ひようきん》な声をだした。名は松子。
蛸《たこ》と鰯《いわし》はどっちがよかね
床の肴《さかな》はぬし次第……
昨日、夕飯をすませた後、尾崎を自分の部屋に呼ぶと、主人の太兵衛はいきなり丸山に伝わる吉井の話を知っているかと、きいてきたのである。文化元甲子《かつし》年(一八〇四年)二月十一日入牢《にゆうろう》を申し付けられた丸山町枡屋抱えの遊女吉井にまつわる事件だ。知らぬと彼女が答えると、太兵衛はこういういい方をした。
「丸山にゃぜんもんがあがっちゃならんということはぬしも知っとるやろう。そん掟《おきて》ば破って町はずれのぜんもんと仲のようなったけん牢屋に入らにゃいかんようになったとたい。牢屋だけじゃなかぞ。とどのつまり枡屋の吉井はぜんもんの身内におとされてしもうた。世間じゃ粋な裁きというもんもおったそうな。ぜんもんにおとされた女はぜんもんの男と一緒になっても構わんとだから、まあそんげん理屈もなりたつとたい。……
そいでもな、そこんところばようと考えにゃいかんばい。身分ば隠して吉井に通うとった男はそいでもまだぜんもんの親方じゃったけん、身請け銀も持っとったし、そいだけの金ば使うて吉井と添いとげようとした。まわりの者にも大分金ば撒《ま》いたらしか。そこまでしとって矢張り、二人の仲ば世話した者は全部罪人になったと。……
入牢に追放、手鎖、町払い、男と吉井の仲をとりもった者はみんながみんな、そんげん目に会うたとよ。ぬしは利口かけん、その辺のわきまえはついとると思うとるばってん、何ちゅうても掟は掟じゃけんね。自分ひとり火の粉をかぶればよかというふうにはいかんとよ。……
丸山に質のわるか噂はつきものだけん、知らん顔をしとればよかとじゃろうが、噂には黙っとればすむ中身と、取り返しのつかん中身と二通りあっとたい。今もいうた通り、吉井ば身請けしようとして、八百五十目という銀までだした。その上かかわりを知っとる者みんなに何貫目かの銭ばばら撒いて、あげくの果てに訴人されたという話じゃけんな。……」
固い蓋ほど
吸物茶碗
中身に熱い湯気の立つ
小福のあてつけた皮肉をとりなそうとして、松子の鄙猥《ひわい》な取り廻しはつづいたが、尾崎の脳裡《のうり》は「漕ぎ手の肌に緋文字」という文句をなおも離さなかった。いっそ何処《ど こ》そこではやっているという又次の繰りごとでもうたえばいいのだ。
櫓《ろ》を漕いで 銭ためて
みとせがかりの危な絵の
朱色の主は蘭水の尾崎
濡れる間もなく溜《たま》り場に
ひかれる又次の繰りごとは
せめて色香の袖なりと
哀れもおかし船乞食 哀れもかなし船乞食