私は以前から嘘のない歴史小説を書きたいと考えていた。その時代における正確な慣習や言葉までを綜合《そうごう》した考証と、それに支えられた民衆の生活と心情の揺れを、祖父や曾祖父の姿を写すがごとく描きたかったのである。
そういう意味で、幕末の長崎は恰好の舞台となった。文明というものの実態と、やむなくそれを受け入れながら明治への新しい権力制度を準備して行く過程こそ、私の選ぼうとする主題に最もふさわしい状況でもあったのだ。
しかもあえて主題を丸山と寄合町の遊廓《ゆうかく》に限定したのは、そういう時代の変遷にかかわることなく、表面の華やかさの奥に二重にも三重にも差別されながら生きねばならぬ、女たちの真底の心がそこにうごめいているからである。
一夜の相方を求めて石段を上がって行く男たちには、つねに苛立《いらだ》ちと生々しい渇望に似た欲情が入りくんでおり、遊女たちとの葛藤《かつとう》も表現したい感情のひとつであった。
重なるわずらわしさにも耐えながら、時代の言葉を忠実に再現したつもりだが、読み手の限界だと思われる場合、幾分妥協した個所もある。やりとりの語尾に使われる「でっしょ」と「でっしゅ」は夫々《それぞれ》の出身地の違いであり、そのことを一例として会話には可能な限りの神経を使った。
『週刊朝日』一九七五年四月十一日号より一九七五年十一月二十八日号までに連載されたものに新しく〈一八六三年秋〉十三章以下十五章までを書き足したのがこの創作である。