日语童话故事 日语笑话 日语文章阅读 日语新闻 300篇精选中日文对照阅读 日语励志名言 日本作家简介 三行情书 緋色の研究(血字的研究) 四つの署名(四签名) バスカービル家の犬(巴斯克威尔的猎犬) 恐怖の谷(恐怖谷) シャーロック・ホームズの冒険(冒险史) シャーロック・ホームズの回想(回忆录) ホームズの生還 シャーロック・ホームズ(归来记) 鴨川食堂(鸭川食堂) ABC殺人事件(ABC谋杀案) 三体 失われた世界(失落的世界) 日语精彩阅读 日文函电实例 精彩日文晨读 日语阅读短文 日本名家名篇 日剧台词脚本 《论语》中日对照详解 中日对照阅读 日文古典名著 名作のあらすじ 商务日语写作模版 日本民间故事 日语误用例解 日语文章书写要点 日本中小学生作文集 中国百科(日语版) 面接官によく聞かれる33の質問 日语随笔 天声人语 宮沢賢治童話集 日语随笔集 日本語常用文例 日语泛读资料 美しい言葉 日本の昔話 日语作文范文 从日本中小学课本学日文 世界童话寓言日文版 一个日本人的趣味旅行 《孟子》中日对照 魯迅作品集(日本語) 世界の昔話 初级作文 生活场境日语 時候の挨拶 グリム童話 成語故事 日语现代诗 お手紙文例集 川柳 小川未明童話集 ハリー・ポッター 新古今和歌集 ラヴレター 情书 風が強く吹いている强风吹拂
返回首页
当前位置: 首页 »日语阅读 » 日本名家名篇 » 作品合集 » 正文

日本史の叛逆者06

时间: 2019-05-24    进入日语论坛
核心提示:     6 一夜明けて、六月三日午前、明智光秀《あけちみつひで》軍は勝龍寺《しようりゆうじ》城に入っていた。 ただ、夜
(单词翻译:双击或拖选)
      6
 
 
 一夜明けて、六月三日午前、明智光秀《あけちみつひで》軍は勝龍寺《しようりゆうじ》城に入っていた。
 ただ、夜間の行軍だったため、ふたたび逃亡者が相次ぎ、城に入ったときは総勢一万一千になっていた。
 またも、戦わずして一千人の兵を失ったのである。
 これが、領地を持たない傭兵《ようへい》の弱さであった。
 たとえば北条《ほうじよう》軍や毛利《もうり》軍では、こういうことはない。
 そこでは、兵士は徴兵された百姓たちである。
 国元に田畑があり、妻子がいる。
 だから、領主に人質を取られているようなもので、よほどのことがないかぎり、逃亡したり反抗したりすることはない。
 しかし、信長《のぶなが》軍団の兵の大半は、金で雇われた傭兵である。
 傭兵制だと、一年じゅう戦えるという利点はある。
 それは専門兵の集団であり、北条家などと違って、農作業のことを考える必要はないからだ。
 しかし、だからこそ弱い面もある。
 形勢が不利になると逃亡者が続出する、ということだ。
 それでも、信長が大将として君臨しているときは、そういうことはない。
 織田《おだ》信長は、圧倒的なカリスマを持っており、部下はその下で必死に働く。
 しかし、いまの大将は光秀である。
 光秀には、そういうカリスマはない。
 もし、光秀が信長を殺すことに成功していたならば、光秀はそのカリスマを受け継ぐことができたかもしれないが、それには失敗した。
 一刻も早く信長を殺さないかぎり、光秀に明日はない。
「信長が来ました」
 報告があった。
 織田軍は、摂津茨木《せつついばらき》の中川清秀《なかがわきよひで》、高槻《たかつき》の高山右近《たかやまうこん》らの軍勢三千を加えて、二万八千に膨《ふく》れ上がっている。
 その軍勢は西国《さいごく》街道を北上し、木津川《きづがわ》の西岸、大きく天王山《てんのうざん》がせり出して道が細くなっている山崎《やまざき》の手前で行軍を停止した。
 一方、光秀は、織田軍の北二里にある勝龍寺城に籠《こも》ったまま動かなかった。
 人数は減りつづけている。
 しかし、光秀があえて踏みとどまったのは、信長の出方を探るためであった。
 山崎は峡《かい》といってもいい、京《きよう》へ入る狭い入り口である。
 光秀の籠る勝龍寺城から見ると、信長軍は、その狭い入り口の向こう側にいることになる。
 光秀にとっては、有利な態勢であった。
 光秀軍のほうが、数は少ない。
 だから、狭い入り口のところで敵を待ち伏せて、少しずつ入ってくる敵をやっつける、いわば各個撃破の戦法をとればいいのだ。
 一方、信長のほうは、全軍を一気に突入させることができない。
 山崎を通過するには、大軍を細い縦列にして進行しなければならないのである。
 信長は、そのために動かなかった。
 一方、光秀も動けない。
 なんといっても、光秀軍は数が少ない。
 敵の攻めてくるのを、この有利な地形を活《い》かして待ち受けるしかない。
 信長軍が三万近くに膨れ上がっていることは、光秀の計算外のことだった。
 もし、本能寺《ほんのうじ》で信長を討つことに成功していたら、いまこの時点で三万もの軍勢に攻められることはなかっただろう。
 信長は決戦を焦らず、持久戦に出た。
 光秀は、たしかに有利な位置にいる。
 しかし、時が経てば経つほど逃亡兵が相次ぎ、布陣の有利さよりも、兵を失うことの不利がこたえるようになる。
(信長め)
 光秀は歯ぎしりした。
 このまま日を送れば、ほんとうのじり貧になる。
 本能寺の変報が各地に届けば、柴田勝家《しばたかついえ》や滝川一益《たきがわかずます》が、戻ってくるかもしれないのである。
 毛利の大軍と対峙《たいじ》している羽柴秀吉《はしばひでよし》は無理にしても、これらの軍団が引き返してきて、信長と合流したら、光秀にはもう勝ち目はない。
 六月五日早朝、光秀は業《ごう》を煮やして城を出た。
 勝龍寺城の南側にある御坊塚《ごぼうづか》という古墳に本陣を置き、斎藤《さいとう》内蔵助《くらのすけ》隊、溝尾庄兵衛《みぞおしようべえ》隊らを前面に配置した。
 これに対して、信長は、池田恒興《いけだつねおき》隊、高山右近隊、中川清秀隊の計五千を前面左方の天王山に登らせ、天王山を占拠していた明智軍の並川《なみかわ》掃部《かもん》らを蹴散《けち》らした。
 これで、信長側は山崎だけでなく、天王山山上からも明智軍を攻撃する態勢がととのった。
 この天王山争奪戦の勝利は、直接の打撃以上に、明智軍に心理的打撃を与えた。
 また、脱走兵が相次いだのである。
 そこへ、信長は天王山に新たな軍勢を派遣し、眼下の円明寺《えんみようじ》川沿いに布陣している明智軍に、大坂《おおさか》で用意した文を矢に結び、片《かた》っ端《ぱし》から射ち込ませた。
 矢文《やぶみ》には、こうある。
 
 兵に告ぐ。そのほうらは織田家の兵である。主を間違えるな。いまからでも遅くはない。戻ってくればいっさいを不問に付《ふ》す。
 
 そして、すべての文に信長の公印が押されてあった。
 このため、明智軍に深刻な動揺が起こった。
 信長は、高柳左近《たかやなぎさこん》を呼んだ。
 この男は、光秀の謀反《むほん》を察知して、いち早く本能寺の信長に注進《ちゆうしん》した、もとは明智家の家臣である。
「そのほう、光秀に従っている侍どもに、明智を見限るよう呼びかけてくれぬか」
 左近は一礼して、
「敵陣中には、我が朋輩《ほうばい》も多数おりますが、上様に対しての謀反の罪、お許しくださるのでしょうか?」
 信長はうなずいて、
「謀反ではあるまい。それと知らず、光秀の下知《げち》を我が下知と思い、従ったまでのことであろう。許す」
「ありがたき御言葉」
 左近は、ただちに馬で円明寺に行き、対岸に布陣している明智軍に呼びかけた。
「対岸の衆にもの申す。拙者《せつしや》、もと明智家|母衣衆《ほろしゆう》高柳左近でござる。上様は、ただちに陣を抜け恭順《きようじゆん》の意を表す者には、謀反の罪はいっさい問わぬ、と仰《おお》せられておる。これが最後の機会ぞ。織田家の武士ならば、謀反人に加担するのはやめよ」
 斎藤内蔵助は、左近を見て怒った。
「おのれ左近め。ただちに、鉄砲で狙《ねら》い撃ちにせい」
 鉄砲|組頭《くみがしら》は、その内蔵助の下知に首を振った。
「お断り申す」
 内蔵助は目を剥《む》いて、
「下知に逆らうのは反逆であるぞ」
「何が反逆——」
 組頭はせせら笑った。
「謀反人は明智の殿じゃ。我らは、もう御免こうむる」
「おのれ」
 内蔵助は刀の柄《つか》に手をかけた。
 組頭が慌《あわ》てて後ろへ下がる。
 それと同時に、鉄砲組がその銃口《じゆうこう》を内蔵助に向けた。
「せめてもの情けじゃ。撃ちはせぬ。だが、我等はこれにて失礼いたす」
 組頭は油断なく、じりじりと後ろに下がった。
 全軍に示しをつけるためには、どうしてもこの男を斬《き》らねばならない。
 しかし、これだけの銃口に狙われていては、内蔵助にもどうしようもなかった。
 斎藤隊の鉄砲組が、つい先刻までの「味方」に銃口を向けて堂々と退去し、織田軍に復帰した。
 それを見て、あちこちでこれに追随する動きが起こった。
(いかん。このままでは、味方は一気に崩れる)
 本陣から状況を見ていた光秀は、逃亡者は有無を言わさず斬るように命じた。
 だが、もう遅かった。
 逃亡者を斬ろうとした目付《めつけ》たちも、あまりの多さに斬りきれず、逆に取り巻かれて斬殺《ざんさつ》されるありさまだった。
「殿。東の|洞ヶ峠《ほらがとうげ》の方向より、およそ三千の軍勢が見えまする」
 新たな報告があった。
「何者だ? もしや——」
 光秀の表情が、ぱっと明るくなった。
 やはり、それは朋友《ほうゆう》、筒井順慶《つついじゆんけい》の軍勢であった。
(順慶が来てくれたか)
 光秀は、地獄に仏と思った。
 だが、その順慶は、すでに使者を信長のもとに走らせていた。
 使者は、山崎の本陣に駆け込むと、
「この順慶に、なにとぞ明智攻めの先陣を賜《たまわ》りたく、伏して上様に願い奉《たてまつ》る」
 という口上を述べた。
 先陣はすでに、天王山側からは高山右近、山崎側からは丹羽長秀《にわながひで》と決まっていたが、信長はその願いを許した。
「よかろう。ただし、光秀の首は取らずに生け捕りにせよ、と順慶に伝えよ」
「ありがたき幸せ」
 使者は喜んで戻った。
 このとき、相変わらず信長の近くに控えていた森蘭丸《もりらんまる》が、ちらりと信長の顔を見た。
「いいのだ、お蘭」
 信長は言った。
「筒井順慶は、光秀とは昵懇《じつこん》の仲。その順慶までもが光秀を裏切ったとあれば、もはや、光秀に味方する者はだれもおらぬ」
 それに、順慶に先陣をさせるほうが、予備軍として置いておくよりもいい。
 なぜなら、光秀と縁の深い順慶だけに、近くに置いておくのは、味方にとってあまり気持ちのいいものではないからだ。
 それよりも、最初に攻めかからせたほうが、味方も安心だし、順慶自身も疑いを晴らそうと必死になって働く。
 その効果も、信長は考えていた。
 このとき、津田信澄《つだのぶずみ》が前に出た。
 信澄も、順慶と同じ立場にあるといっていい。
「上様、筒井殿に先陣を賜るなら、ぜひ拙者にもお命じください」
「よいのか?」
 信長は念を押した。
 信澄の妻は、光秀の娘である。
「妻には、すでに離縁状を渡しておりまするゆえ」
 信澄は、きっぱりと言った。
「では、順慶とともに攻めよ。すぐに行け」
「ははっ」
 信澄は手勢一千を率いて、東から来た筒井軍と合流した。
 この動きによって、明智軍には、順慶がどちらに味方するつもりかわかった。
「おのれ、順慶め。恩を忘れおって」
 光秀は怒った。
 この順慶の態度を見て、さらに脱走者が相次いだ。
 いまや明智軍は、九千近くまでその数を減らしていた。
「殿、もはや攻めかかるしかありませぬ。御決断を」
 斎藤内蔵助が伝令を本陣に派遣し、進言してきた。
 これを容《い》れて、光秀はついに全軍に突撃を命じた。
 対する信長も、これに応じた。
 まず、東側の男山|八幡宮《はちまんぐう》の方面から、筒井順慶率いる三千が、明智軍の右翼に襲いかかった。
 そして、山崎口からは、津田信澄隊一千、蜂屋頼隆《はちやよりたか》隊一千が、先を争うようにして中央突破をめざし、中川清秀、堀秀政《ほりひでまさ》の両隊が続いた。
 さらに、天王山山上からは、高山右近隊が逆落《さかお》としに明智軍左翼を攻撃した。
 最初の一撃で、明智軍は崩れる一歩手前までいった。
 光秀本隊が戦場に入り、斎藤内蔵助隊も奮戦したため、一度は持ち直したが、信長はその機を狙って、信孝隊四千、丹羽長秀隊四千を山崎口から突入させた。
 これで勝負は決した。
 光秀軍は完全に崩壊した。
 光秀自身は、斎藤内蔵助に守られながら、勝龍寺城まで退却した。
 この間、また逃亡者が相次いだ。
 光秀本隊と斎藤隊あわせて七千いたはずなのに、城に入った者は一割の七百にすぎなかった。
 城を守っていた者を含めても、一千に満たない。
(こんなことがあっていいのか)
 光秀は、勝龍寺城内で呆然《ぼうぜん》としていた。
 信長軍は圧倒的な兵力で、その勝龍寺城をひしと取り囲んだ。
轻松学日语,快乐背单词(免费在线日语单词学习)---点击进入
顶一下
(0)
0%
踩一下
(0)
0%