徳川家康《とくがわいえやす》はそのころ、九鬼《くき》水軍のもっとも船足の速い船で、伊勢《いせ》沖を通過していた。
大坂湾を出るまでは、毛利《もうり》水軍や長宗我部《ちようそかべ》勢の襲撃を恐れて、鉄甲船《てつこうせん》に乗っていたが、紀伊《きい》水道を抜けたところで、同行していた快速船に乗り換えたのである。
外海に出てしまえば、黒潮がある。
この速い流れに乗ってしまえば、紀州潮岬《きしゆうしおのみさき》から伊勢|志摩《しま》まで、半日もかからない。
志摩は、九鬼水軍の本拠地であり、伊勢は、信長《のぶなが》の次男で北畠《きたばたけ》家を継いだ織田信雄《おだのぶかつ》の領地である。
「ここまで来れば、もう安心でござる」
九鬼嘉隆は甲板上で、隣にいる家康に言った。
「左様か」
家康は青い顔をしていた。
船酔いである。
こんなに長時間、船に乗るのは初めての経験であった。
家康ばかりでなく、酒井忠次《さかいただつぐ》も本多忠勝《ほんだただかつ》も、全員が船酔いにやられていた。
(やれやれ、船はもう御免じゃ)
家康は岸を恨めしげに見て、嘉隆に、
「九鬼殿、三河《みかわ》の大浜にはいつ?」
「左様、夕刻には着きましょう。先触れをしておきましたゆえ、岡崎《おかざき》の城から迎えがあるはずでござる」
「それは、かたじけない」
家康は、ふと思った。
もし、本能寺《ほんのうじ》で信長が殺されていたらどうだろう。
おそらく、大坂の軍勢も大半は逃げてしまい、信孝《のぶたか》や丹羽長秀《にわながひで》らも、光秀《みつひで》をどうすることもできなかったはずだ。
すると、新たな天下人《てんかびと》にもっとも近いのは、自分ではないか。
こうして、三河に戻り、遠江《とおとうみ》や駿河《するが》からも兵を呼び、合計して二万の大軍を擁《よう》し、光秀軍と決戦する。
そのためには、数日間の準備期間が必要だろう。
なにしろ、大|博奕《ばくち》を打つのだから、ありったけの鉄砲と武器弾薬を持っていかねばならない。
しかし、それも単なる夢だ。
おそらく、信長は光秀に勝つだろう。
自分が駆けつけなくても、それはもう目に見えている。
(せいぜい五千を率いて、近江《おうみ》へ出ればよかろう)
その程度であれば、二、三日で準備はととのう。
(しょせん、天下は、わしには縁がなかったな)
「いかがなされた」
家康が物思いにふけっているのを見て、嘉隆が不思議そうな顔をした。
「いや、なんでもござらぬ」
家康は、慌てて微笑を浮かべた。
一方、織田家中で最大の軍団を任されている羽柴秀吉《はしばひでよし》は、思いもかけぬことから本能寺の変報を聞いた。
光秀が毛利方の小早川隆景《こばやかわたかかげ》に宛《あ》てた書状、その書状を持った密使を、黒田官兵衛《くろだかんべえ》が捕らえたのである。
官兵衛は、名軍師といわれた竹中半兵衛《たけなかはんべえ》亡きいま、秀吉の片腕ともいうべき存在であった。
「明智|日向《ひゆうが》殿の密使を捕らえましたぞ」
「明智殿の?」
秀吉は、けげんな顔をした。
光秀は敵ではない、味方ではないか。
その味方がなぜ「密使」を出すのか、どうして捕らえなければならぬのか。
「毛利への密使でござる」
官兵衛は、一言で説明した。
秀吉は今度は驚いて、
「では、裏切りか」
敵毛利へ密使を送るとは、それ以外に考えられない。
「御覧くだされ」
と、官兵衛は明智の密使から奪った密書を差し出した。
一読して秀吉は、今度はへなへなと腰が砕けた。
そこには、光秀自身の手で信長を本能寺で討ち取った、と書かれていたのである。
「まさか、まさか、上様が——」
「しっかりなされよ、殿。これは千載一遇《せんざいいちぐう》の好機でござるぞ」
「好機じゃと?」
秀吉の物問いたげな視線に、官兵衛が何か答えようとしたとき、だれかが近づく足音がした。
「何事じゃ。だれも来てはならぬと申しつけたはずだぞ」
「はっ、申し訳ござりませぬ。火急の用件にて」
障子《しようじ》の向こうから声がした。
「火急とは?」
「上様からの書状が参っております」
「なんじゃと?」
官兵衛は急いで障子を開け、書状を受け取った。
まさしく、それは信長からの書状だった。
官兵衛が秀吉にそれを渡すと、秀吉は急いで封を切り、中身を読んだ。
しばらくして、安堵《あんど》のため息がその口から洩《も》れた。
「殿?」
一歩前に出た官兵衛に、秀吉は書状を渡した。
それには、光秀に襲われたが無事本能寺を脱出したこと、近々光秀を倒すので安心してこの戦線を維持せよ、ということが、見覚えのある信長の自筆で書かれてあった。
「光秀め、人騒がせな」
秀吉は、光秀の密書のほうをびりびりと裂いた。
「よろしゅうござりましたな。さすがは、上様」
官兵衛が言うと、秀吉もうなずいて、
「あのぐずの光秀めに、上様が討たれるはずもないわ」
「まことに」
「ところで、官兵衛」
と、秀吉は意味ありげな笑いを浮かべ、
「先ほど、たしか、千載一遇の好機とか申したな。あれは、どういう意味だ?」
「いや、それは、その——」
官兵衛は言葉を濁した。
「申せ、官兵衛」
秀吉は薄笑いを浮かべて、さらに問い詰める。
「お許しください」
千載一遇の好機——それは、秀吉が天下人になれる、ということだ。
しかし、信長が生きているとわかったいま、もはや夢にすぎない。
そのことは、秀吉もわかっているはずだ。
(殿もお人の悪い)
官兵衛は困惑した。
秀吉は知っていて、わざとからかっているのだ。
「まあ、よい。竹半《ちくはん》亡きいまとなっては、そなただけが頼りだからな」
竹半とは、ついこのあいだ亡くなった名軍師、竹中半兵衛のことである。
半兵衛は、若くして結核で世を去った。
その半兵衛の在世中から、黒田官兵衛と竹中半兵衛は、秀吉の両腕と言われていたのである。
「さて、どうするか。戻らずともよいか」
秀吉は、話題を現実に戻した。
「おそらく、上様の軍勢は苦もなく明智を蹴散《けち》らすでしょうな」
官兵衛は、自信ありげに言った。
「そうか。ならば、毛利との戦《いくさ》は断じて隙《すき》を見せてはならぬ、ということになるな」
秀吉はうなずいた。
毛利はいま、高松《たかまつ》城を水攻めにされて困っている。
信長が京の支配権を回復するまで、この優位を保つことだ。
丹波《たんば》の細川藤孝《ほそかわふじたか》のもとへも、本能寺の変報は届いていた。
光秀から味方につくように懇請《こんせい》した書状と、信長からの書状である。
藤孝は、息子の忠興《ただおき》を呼ぶと、その目の前で髷《まげ》を切った。
「何をなさいます」
忠興が驚いて問うと、藤孝は落ち着いた声音《こわね》で、
「わしは、今日かぎり隠居する。そして、名を幽斎《ゆうさい》と改める。家督はむろん、そなたに譲る」
「なぜ、でござります」
「これを見よ」
と、藤孝改め幽斎は、二つの書状を息子の前に投げ出した。
忠興は、急いで読んで顔色を変えた。
「父上——」
「言うまでもないが、そなたは光秀殿の婿《むこ》、舅《しゆうと》につくのは勝手じゃ」
しかし、実は幽斎の本心はそこにはなかった。
もともと、忠興は潔癖|性《しよう》ともいうべき男である。汚いことは、極端に嫌う。
だから、たとえ光秀の反乱が成功していたところで、これに味方することはなかっただろう。
しかし、親の口から命ずるのと、自分で決心するのとでは、天と地の開きがある。
「とんでもない。謀反人のことを舅などとは思いませぬ」
幽斎は、忠興を見据《みす》えると、
「光秀殿には味方せぬ、と申すのだな」
「もとより」
「では、玉《たま》はどうする」
忠興は、返答に窮《きゆう》した。
玉。洗礼名ガラシア。忠興の妻で、光秀の娘である。
忠興との夫婦仲は、すこぶるいい。子も三人、生まれている。
「——離縁いたします。与一郎《よいちろう》は、廃嫡《はいちやく》にいたしまする」
忠興は、うめくように言った。
玉とのあいだにできた、長男のことであった。
明智の血を受けているとなれば、今後、どんな形で信長の疑惑を招くかもしれない。廃嫡せざるを得なかった。
「よかろう。それが細川の家を守る道だ」
幽斎は、満足げに言った。