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日本史の叛逆者08

时间: 2019-05-24    进入日语论坛
核心提示:     8 そのころ、勝龍寺《しようりゆうじ》城は、蟻《あり》の這《は》い出る隙間《すきま》もないほど、ひしと囲まれて
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      8
 
 
 そのころ、勝龍寺《しようりゆうじ》城は、蟻《あり》の這《は》い出る隙間《すきま》もないほど、ひしと囲まれていた。
 城兵は一千に満たず、このままでは落城は必至の情勢である。
 織田信長《おだのぶなが》は、そこで奇妙な命令を出した。城の北方の囲みを一時、解かせたのである。
 だれが見ても、奇妙な措置だった。そんなことをしては、光秀《みつひで》が京から本拠地の近江坂本《おうみさかもと》城へ逃げてしまう。
「よいのだ、放《ほう》っておけ」信長は、家臣の反対を叱《しか》りとばした。信長には信長の秘策があったのだ。
 明智《あけち》光秀は、その知らせを聞いても、すぐには動こうとしなかった。
(罠《わな》だ)
 そう思った。
 罠にちがいない。
 いくら囲みが解かれているといっても、全軍あげてそこを進めば、あっという間に気づかれる。
 逃げるならば、少人数で夜陰《やいん》に乗じて進むしかない。
 しかし、そういう形で城を出ることは、信長にとって思う壺《つぼ》なのではないか。
 光秀は、斎藤《さいとう》内蔵助《くらのすけ》に相談した。
「罠でござる」
 内蔵助も断言した。
「誘いの手でござろう。城を出てはなりませぬ。出ては討ち取られるだけのこと」
「だが——」
 光秀は、それはよくわかっていた。
 しかし、それでも出たい。
 光秀は、こうなったら家族に会いたいと思った。
(どうせ死ぬなら、女房殿のもとでがよい)
 息子もいるし、娘もいる。娘は早々に嫁いでいるが、男の子は幼い。長男もまだ元服《げんぷく》前である。
 家族の顔が脳裏に浮かんだとき、光秀は決断した。
「城を出るぞ」
 光秀は宣言した。
 内蔵助は呆《あき》れて、
「なりませぬ」
「言うな、内蔵助。罠であることは、わしにもわかっている。だがな、このままここで座して死を待つよりは、一歩でも女房、子供のもとに近づいて死にたいのだ」
 光秀はそう言うと、内蔵助にていねいに頭を下げ、
「世話になった。もうよいから行け。わしはひとりでも、この城を出る」
「馬鹿なことを。拙者《せつしや》もお供いたします」
「死ぬことになるかもしれぬぞ」
「もとより、死は覚悟の上でござる。殿ひとり、見捨てるわけには参りませぬ」
「では、今夜おそく出よう」
「兵どもは、いかがいたしましょう」
 内蔵助は聞いた。
「わしらがいなくなれば、信長のもとへ帰るであろう。それで命が助かればよいではないか」
 光秀は、さばさばしたように言った。
 その夜、光秀は斎藤内蔵助、溝尾庄兵衛《みぞおしようべえ》らとともに、わずか十騎で城を出た。
 これから、京を抜けて近江坂本へ向かうのである。
 京には、まだ信長の軍勢は入っていないはずであった。すなわち、そこは一応の安全地帯ということになる。
 もっとも光秀は、京の市中に入るつもりは毛頭なかった。洛南《らくなん》を抜け、小栗栖《おぐるす》から山科《やましな》へ入り、そして坂本をめざすつもりなのである。
 こうすれば、信長軍の目に触れずに坂本へ抜けられるだろう、と踏んだのである。
 ところが、その動きは、すでに信長の耳に入っていた。
「やはり、そう動いたか」
 信長は、大きくうなずいた。
「いかがいたしましょうや」
 報告した目付《めつけ》は、信長の指示を仰いだ。
「放っておけ」
 信長は言った。
「はあ?」
「放っておけと申したのだ。すでに手は打ってある」
 信長は、自信ありげに笑みを浮かべた。
 光秀は、もしも信長軍の待ち伏せがあるとしたら、京の南にあたる伏見《ふしみ》のあたりではないか、と踏んでいた。
 そこを無事に通過すると、さすがの光秀も全身に張りつめた力が抜け、ほっと一息ついた。
 ここから小栗栖という在所を通り、その山を越えれば、もはや近江の国である。近江坂本は、光秀のもともとの領地であり、最大の本拠地でもある。
 もし本能寺《ほんのうじ》の変が成功していたら、安土《あづち》城を占領していたはずの明智|秀満《ひでみつ》の軍勢が、いまは坂本城に入っている。
 秀満の軍勢は五千。
 これと合流すれば、もう一戦、死に花を咲かせるぐらいの華々しい戦いはできる、と踏んでいる光秀であった。
 そのために、勝龍寺城の一千の軍勢は見捨てた。これを連れていこうとすれば、どうしても敵の目に触れやすくなり、無事に坂本へ入ることができなくなるからだ。
 ところが、光秀が山城と近江の国境を越え、やれやれと一息ついたところで、突然あたりの様子が変わった。
 周囲をひしと大軍によって取り囲まれているのである。
「何者か」
 光秀は、竹藪《たけやぶ》の奥に向かって誰何《すいか》した。
「これは近江|瀬田《せた》城主、山岡景隆《やまおかかげたか》にござります。明智|日向《ひゆうが》殿とお見受けする。なにとぞ拙者《せつしや》に降参していただきたい。上様の御命令でござる」
「なんと」
 光秀は驚いた。
 山岡景隆という名を知らぬではない。いや、それどころか、光秀が近江を本拠地としていたころは、この景隆は光秀の配下の大名であった。
 畿内《きない》の交通にとって、もっとも重要な瀬田の唐橋《からはし》を守るのが、景隆の役目である。
 ところが信長は、早くから光秀の謀反を憎み、信長に忠誠を誓う手紙を送ってきた景隆に対し、光秀生け捕り作戦の指揮を命じたのである。
「もはや、これまでか」
 光秀は覚悟した。
 このあたりは、山岡勢に完全に囲まれている。こうなっては、逃げ場はない。
「内蔵助、庄兵衛」
 光秀は、その名を呼んだ。
「御前《おんまえ》に」
 二人が、それぞれ馬を寄せてきた。
「わしは、ここで腹を切る。介錯《かいしやく》を頼むぞ」
「殿!」
 斎藤内蔵助が、断腸《だんちよう》の思いで叫んだ。
「願わくば、我が首を敵に渡してほしゅうはないのだが」
 と、光秀はあたりを見回して、
「それも、かなわぬ夢かもしれぬな」
 光秀は馬を止めて降りた。重臣たちも、それに続いた。
 山岡景隆は、このことを予期していた。しかし、信長から絶対に光秀に自害をさせてはならぬと厳命を受けている。実は、そのための準備もしてあった。
「急げ!」
 景隆は下知《げち》を下した。
 これに応じて、景隆の旗本勢がいっせいに包囲の輪を狭め、光秀主従を発見すると、投網《とあみ》を投げた。
「何をする」
 光秀が叫んだ。
 その投網は、まるで蜘蛛《くも》の巣《す》のように光秀らの身体に絡《から》みつき、動きを封じた。
「急げ! 刀を取り上げ、縛《しば》り上げよ」
 景隆は命じた。
 投網のために身動きがとれぬ光秀と重臣たちは、こうしてまんまと生け捕られてしまった。
「山岡殿、武士の情けでござる!」
 内蔵助は叫んだ。
 景隆は馬を降りて、縛《いまし》められた光秀主従の近くに寄り、膝《ひざ》をついて頭を下げた。
「まことに申し訳なきことながら、すべては上様の御下知でござる。なにとぞ堪忍《かんにん》してくだされ」
 光秀は、もはやまな板の上の鯉《こい》のように、縛られたまま目を閉じ、身じろぎもしなかった。
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